第230話 国歌の案を出さねば 8歳 夏
足元に咲き誇る白い花々を、周辺の葉や草と一緒に柔らかい唇で器用にまとめてからブチブチと前歯で引きちぎると、奥歯でもぐもぐと美味そうに噛みしめる。
また一歩、蹄を進めると、頭を下げて同じように草を食いちぎる。
耳を少し横に寝かせ、目を細めながらゆっくりと味わっているようだ。
「よく食うなあ…これが本当の道草を食う、というやつ?」
「ちょっと!トールも馬の毛漉きを手伝うの!」
北方の馬は寒さに耐えるためか、体躯は小さくずんぐりしていて毛が長い。
それで冬はセーターを着込んだように全身がもこもことしてくる。
放っておくと長い冬毛にノミやシラミなどが入り込んで繁殖するので、駆虫のため木灰をかけてブラッシングするのが冬場の子どもの家の仕事だったりするわけなのだけれど、春から夏にかけて馬の毛は一斉に抜けて生え変わり短毛になる。それはそれで大変なのだ。
朝の見回りを終えて、馬が白い花をつけたシロツメクサなどの道草を食っている間に、馬の全身に硬い木で出来た大きな弓状の櫛でゴリゴリと表面を削るように毛を漉くと、無限に思えるほど毛が抜けてくる。
削っても削っても抜ける毛に、思わず言葉が漏れる。
「これが本当の梳るというやつか…」
「トール、抜けた毛も捨てちゃ駄目よ!船小屋の人に売るんだから!」
エリン姉から鋭い注意が飛んだ。
馬の毛は、お菓子やお小遣いになるからね。
「はいはい、っと」
僕は櫛から抜け毛を集めて麻の袋に詰める。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
これには、最近の村での産業構造の変化が関係しているんだ。
もともと長い尻尾やたてがみの毛は釣り糸や縫い糸として人気があったのだけれど、それに加えて短く縮れた体毛に船の隙間を埋める充填材として需要ができたからだ。
それというのも、以前は歩留まりの悪い縮れた羊毛を使っていたのだけれど、羊毛の糸の技術革新で再利用できる廃棄物がなくなってしまったためである。
今は村の方で少し補助を出して家畜の毛の買取りを行っている。家畜の毛を漉くことは家畜だけでなく冬の間は屋内で一緒に暮らす人々の健康増進につながるし、子どもが自由に使えるお小遣いにもなる、という政策だ。
村で補助を出している理由は、最初は村の祭りの買い食いでも良いから小さい子には少しずつ商取引を経験させたいからなんだよね。
北方21星の大結束の中心地になることで、村にはだんだん経済活動が入り込んできている。今は直接取引を禁止しているけれど、将来的には解禁されるだろう。
海千山千の商人たちに村の人々が騙されないよう、今から備える必要がある。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「とーる、ふぎん!とーる、ろき!」
「…ムニも夏羽…なんだよね?」
馬の背に留まり、鳴き声を上げるムニのシルエットはだいぶん丸っこい。
聞くところによれば、ワタリガラスは1年で羽が完全に生え変わるらしい。
風切羽や尾羽のような大きい羽がときどき家の中に落ちていることがあるし、少しぼさぼさとした不揃いな印象もある。よく脂を食べるせいか、羽の色艶は良くなっているような気がする。
そして冬羽の時期と比べて、シュッと痩せた印象になるはずなのだけれど…。
「なんか、ボテッとしてるね」
「むに!むに!むに!むに!」
飛ぶことも渡りも自分で餌をとることも忘れたワタリガラス。
それがムニである。そのうちムニムニに名前が変わりそう。
僕はムニの抗議を聞き流しつつ、馬の毛漉きを続けた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
朝の手伝いが終われば、長屋敷に出勤して懸案の相談事を持ちかける。
「それで北方21星の大結束の国歌なのですけれど、どうしましょうか?シグリズ様には何か案や詩才を持つ人に心当たりはありますか?」
僕は議事録の羊皮紙をバインダーのように綴じようとして、何か装飾された板はないかとシグリズ様の私室を訪ねるついでに聞いてみた。
「国歌…ですか?」
「はい。北方21星の大結束の成り立ちとか神話とかにつながる戦歌を機会があるたびに歌うことで成員の一体感を高めたいのです。僕に詩才があればが良かったのですが…」
シグヴァルド様に詩才があるのなら、同等の教育を受けたであろうシグリズ様にも何かしら心得がありそうだしね。
それにシグリズ様が出した案であれば、シグヴァルド様も反対にしにくいだろうし。
シグリズ様は少し胡乱な目つきで僕を眺めてから。
「そうですね…神話でしたら、こういう歌はどうでしょう?」
と、透き通るような耳に心地よい声で歌い始めた。
「ロキの影に操られし悪王の臣アルンビョルン
女と童しか残らぬ静かな村へと迫り来る
燃え盛る炎が黒煙を上げるとき立ち上がる一人の幼子あり
その名はトールステイン
掲げし黄金の剣から眩き光が解き放たれ
解き放つ言葉は轟く空を割り裂く雷ごとく
悪臣は大いに狼狽し畏怖に慄く手下どもは半数が逃げ去った
再び振るう黄金の剣 立ち込めし霧を切り裂けば
そこに現れしは大軍勢率いるは将軍グリームル
悪臣の野望を容易く打ち砕き いま静かに固き誓いを打ち立てる
我らは北方の星々 悪王の支配を拒む者
互いに手を取り合い高らかに繁栄を謳おう
村と村を航路で結び 結ばれし途は新たなる大地となる
掲げよ希望の光を 我ら北方二十一星の大結束!
我らは誓う 絆の星々 北の空に刻む 永遠の大結束
掲げよ希望の光を 我ら北方二十一星の大結束!
我らは誓う 絆の星々 北の空に刻む 永遠の大結束」
…そうして静かにシグリズ様は歌い終えた。
素晴らしい歌声に、とても良い曲調であったと思う。
優れた歌い手を一人で独占してしまったことの罪悪感のようなものまで感じたほどだ。
けれども、僕は言いたい。
「…なんです、それ?」
いや国歌らしきものであることは分かるし、最後のあたりはとても素晴らしい歌詞だと思うよ。
「我らは北方の星々」とか、「村と村を航路で結び 結ばれし途は新たなる大地となる」とか。
まさに北方21星の大結束の理念を表しているよね。
皆で歌うだけで一体感を感じて涙が出そう。
だけれども!前半の歌詞はなに?
ロキに唆された悪王のくだりは良しとして、なんか僕の名前を冠した見知らぬ英雄が誇大化されて入っているんですが!父ちゃんは良いとしても!
「少しは誇張されていますね。神話ですから」
「少しじゃないですから!霧も切り裂かないし雷とか吐きませんし!」
僕はあまりの扱いに抗議した。
あの事件で活躍しなかったとは言わないけれど、それにしても、である。
けれども、シグリズ様は静かな態度を崩さなかった。
「トール、村の民は冬の間は家々に集まっては、同じような歌を繰り返し歌っていたそうですよ。後半は、少しだけ付け加えた部分もありますが」
「…なん…ですと?」
聞いてないよ?冬の間、僕が仕事を作り出したりこなしたりと、村中を走り回っている間に一体何が起きていたの?
村の中に流れの宮廷詩人でも紛れ込んでいたりしない?
「さすがにこのままの歌で、とはいかないでしょうが、とりあえずの案として兄に送ります。トールもなにか新しい歌の案があれば、一緒に送ってもよいですよ?」
「ぐっ…」
まずいまずいまずい…早急に何か良い歌を思いつかなければ、僕の厨二病黒歴史的な行いの歌詞が国家になってしまう…!
僕は両手で頭を抱えながら、シグリズ様の悪戯っぽい微笑みを背にして退散するほかはなかったのだった。




