第229話 純粋な蜂蜜を採ろう 8歳 夏
北方の夏は夜になっても夕方のような明るさが続くものだ。
それでも深夜の森ともなればほとんど真っ暗闇で、夜目がきいてもかなり歩きにくい。
「トール、足元に木の根があるぞ。気をつけろ」
「うん!」
僕は父ちゃんがかざす松明の明かりを便りにして、慎重に足を運ぶ。
しばらくの間、がさがさと下生えをかき分け、ようやく昼間のうちに目印をつけておいた丸太の杭を見つけた。
「これか…かなり立派に育った巣だな」
「うん。ちょっと穴からはみ出てるね」
一昨年から打ち込んでおいた丸太をくり抜いた蜜蜂の巣箱である。
母ちゃんに「そろそろ蜂蜜が必要ね」と急かされたので、父ちゃんと一緒に採蜜に来たのだ。
我が家の採蜜事業は、じつのところ資源の供給超過である。
父ちゃんが張り切って丸太をくり抜いた巣箱を設置しまくったのと、シロツメクサの栽培が村中に流行り蜜源が爆発的に増えたことで、村で繁殖する蜜蜂が爆発的に増えてしまったのだ。
けれども父ちゃんが貴族になったので、ある種の聖域や利権と見なされたのか、他の家々は遠慮して養蜂の規模を拡大はしなかった。
結果として、我が家で採ることのできる蜂蜜の量はものすごいことになっているのだけれど、採蜜の手が足りないのと事業の継続性を重視して「10%ルール」つまり全体の蜂の巣の1割だけを採ることにしている。
「トール、刺されないようにな」
「大丈夫!」
僕はそっと地面の泥や落ち葉を掴むと、えいっと蜂の出入り口を塞いだ。
それから簡単に食い破れないように木の皮の切れ端を被せて、ぐるぐると縄で丸太を縛った。
「ようし、よくやった。掘り起こすから松明を持っていてくれ」
僕は松明をうけとると、父ちゃんがスパジ(シャベル)で丸太の巣箱を掘り起こす作業を照らした。
父ちゃんが丸太巣箱を揺らすたびに、中で驚いた蜂が一斉に羽音を鳴らすのが恐ろしい。
「よし。まずは一つか。今夜はこれで帰ろう」
父ちゃんは蜂と蜂蜜でいっぱいになった思い巣箱を、背負った籠に入れた。
僕はふと、父ちゃんの胸と腰に渡されたベルトが気になって尋ねた。
「父ちゃん、その背負い方が気に入ったの?」
「ああ、かなり楽だな。長時間背負っても楽になる」
チェストストラップとウエストベルトで背負う方式は、徐々に村に広まりつつある。
建設業や収穫で重い籠を背負う機会が多い男衆に流行っているみたい。
夜の間に、社交場に併設された冷燻所に設置して、中の蜂の動きが落ち着いたら、そうっと出入り口を塞いだ泥や木の皮を除けるのだ。
「そんなことをしても、蜂は死ぬかも知れないぞ?」
「そうなんだけど、扉を開けておけば逃げてくれるかも知れないし」
このあたりでは「虫は土から生えてくる」と信じられているので、出来るだけ蜜蜂を逃がそうとする僕の姿勢は少し奇妙に見えるらしい。
放牧する家畜のようなもの、という僕の主張は通らない。
同じ理由で箱型の蜂蜜箱の製作も捗っていない。木工所が忙しく必要性が理解されないのと、薄い板材の巣箱では越冬できない可能性もありそう。いろいろとノウハウや試行錯誤が必要そうで、僕も無理押しはできないんだよね。
養蜂事業もしばらくは、丸太巣箱と10%ルールで運用するしかなさそうだ。
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翌朝は、久しぶりに西風炉に火を入れる。今回は熱でなく煙を出すのが目的なので、水分を含む生木や木の葉も一緒にくべる。
煙の香りが蜂蜜に移って、香りを良くする効果も期待できるしね。
しばらくすると、もくもくと螺旋形冷燻施設から白い煙が昇っていく。
これで巣が火事になったと勘違いして、女王蜂が逃げてくれるといいんだけど…。
やがて煙が落ち着いてから、慎重に丸太巣箱を燻製施設から取り出す。
「どうだ?」
「うーん…たぶん逃げたと思う…けど…」
燻製施設の中には、何匹も逃げそこねた蜜蜂が落ちていた。
女王蜂が逃げ出せたかは、巣箱を切り開いてみるまではわからない。
それらを掃き出してから、丸太巣箱を慎重に運ぶ。
なんといっても、蜂蜜の甘味は高級品だからね。
「はいはい、こっちに持ってきて!」
「蜂蜜!」
ここからは母ちゃんとエリン姉の出番である。
丸太巣箱に、慎重に斧とナイフを入れて、巣を取り出す。
「わあっ!立派な巣!蜂蜜がいっぱい!」
「これは良い巣ね…」
丁寧に取り出された蜜巣と呼ばれる、蜂蜜だけが詰まった巣の部分。
それを、新開発の蜂蜜遠心分離機へと投入する。
「なんだか凄い器械ねえ」
「まあ見てよ。去年のやつとは効率が違うんだから」
新開発の蜂蜜遠心分離機には、現在の村の最先端の技術が詰まっている。
経験を重ね精度の向上した青銅製の滑り軸受には蜜蝋が塗られ、足踏み式弓動力ろくろを用いて製造した精度の高い芯棒とハンドルは安定して握りやすい。
小さな樽の中で回転させる籠に過ぎない器械だけれど、これは北方一の蜂蜜遠心分離機である、と胸を張って言えるのだ。
「そんなに違うの?」
と少し疑問をいだき回し始めたエリン姉だけれども、数秒で目を見張ることになった。
「すごいよ!クルクル回る!」
抵抗なく回り続けるハンドルに興奮し、去年までは大人が交代しながら行っていた採蜜をエリン姉は一人で終えてしまった。
樽の木栓 ―― これも足踏み式弓動力で作った部品だ ―― を抜くと、黄金色の蜂蜜がとろりと流れ出してくるので、木杯で受けて母ちゃんに渡した。
「うん…美味しい。本当に雑味がない、純粋な味ね」
遠心分離機で採蜜すると、押しつぶす方式ではどうしても混入する巣の破片や蜜蝋を排除することが出来るので、高品質な蜂蜜になるのだ。
そして自然に蜜が落ちるのを待たなくても良いので、短時間で衛生的に作業を終えることもできるのも良い点だ。
この時代の垂れ蜜方式は蜂蜜を数日間放置することになるので、どうしてもハエやネズミなどが寄ってくるからね。うちの猫も舐めちゃうかも知れないし。
ステンレス容器などで完全密封できる未来社会とは事情が違うのである。
「この蜂蜜なら良い薬になるわ。最後の一滴まで絞り出さないと!」
「う…うむ。だが巣についた蜜は、酒にした方が無駄にならないのでは…?」
父ちゃん。残念ながら、最新の遠心分離機には圧搾方式で発生してた巣にこびりつく蜜、というやつが発生しないのだよ…。
僕は懸命に母ちゃんに食い下がり説得する父ちゃんを姿を横目に、遠心分離機の点検をする。
あれだけ酷使されたのに、特に問題は出ていない。木工職人も鍛冶職人も良い仕事をしてくれた。
「トールは、この器械はいっぱい売るの?」
「まさか!これは母ちゃんのための器械だもの。売ったりしないよ」
この最新鋭の蜂蜜遠心分離機を量産すれば北方全体の蜂蜜の品質と量は向上するかも知れないけれど、僕は母ちゃんの権益を優先的に保護します。
「ねえお母さん!今日のパンには、いっぱい蜂蜜かけてね!」
「はいはい」
「やはり蜂蜜酒も作っておいた方がいいと思うぞ。いや飲みたいからじゃなくてな…」
いずれ北方21星の大結束全体のために、蜂蜜遠心分離機の公開と蜂蜜ブランドの展開を進めるかも知れないけれど、今はまだ、家族のためのささやかな公私混同は許してもらおう。




