第228話 北方21星の大結束行政の中心地 8歳 夏
「議事録は、どうやって保管しようかなあ」
僕は、書き上げた議事録を前にして考える。
議事録は公的な文書として書いたものであるから、一定の手続きを踏めば誰でも自由に読んだり写したりすることができるべきである。
北方21星の大結束の村長の許可さえあれば、誰でも写本できるようにしたい。
となると、公文書の保管と公開に手続きに関しても定める必要があるのか…。
北方社会は文書主義の社会でないから、伝統や凡例の蓄積がないのが困りもの。
前向きに考えれば、僕が定めたことが、そのまま以降の規範になるので楽でもある。
「これはシグリズ様に相談だなあ」
実は、北方21星の大結束に関わる公文書がもっとも多く保管されているのは、シグリズ様の私室の文書庫なのである。
なにしろ、北方21星の大結束の中心地として機能させるために急ピッチで作り上げた諸々のインフラ建設、交易の仕組みや収益の管理などに関わる殆どの文書は、シグリズ様と2人の文官手伝いによって書かれて管理されているわけで。
事実上、北方21星の大結束に関わる行政の中心であると言っても過言ではない。
ただでさえ膨大な仕事量をこなしているというのに、ときどき村の子どもが思いついたイレギュラーな仕事が挟まれたりしては、そのストレスをグリグリやムニムニで晴らしたくなるのも無理はないこと。
「北方21星の大結束に関わる文書だけは公開指定したいなあ」
例えばシグリズ様が所有する薬草羊皮紙については公開の必要なない。
それはシグリズ様個人の資産であり、村の資産でもあるから。
一方で、北方21星の大結束から融資を受けた事業や施設については、幾らの融資を誰から受けて、その事業の運営に幾ら投資したのか。事業の利益から幾らの配分を受けているのか。それらの会計情報については、積極的に航海している必要があるだろう。
このあたりの「何を公とし、何を私とするか」「何を公開し、何を非公開とするか」という基準についても、規則として定めていかないとならないだろうけれど、法令として定めることは北方社会の文化にそぐわない。
まだまだ公と私の区別がつかない時代なのだ。
「とりあえずは、お金に関わることからかなあ」
北方社会の戦士達は優れた貿易商人でもあるから、出資したお金に対する利益という話だけなら理解もされやすいだろう。
僕はとりあえずの結論を出すと、今頃は机の前で難しい顔をしているであろうシグリズ様の承認をとるため長屋敷へと向かうことにする。
「エリン姉?あれ、いないの?」
「エリンなら、馬で出ていって帰ってきてないわよ?」
「乗せていってもらおうと思ったのに…」
エリン姉も、家に居着かない子だからなあ。
近所の子供達を率いて、また何か新しい遊びをしているのだろう。
仕方ない。馬と運転手がいないなら、歩いていくか。
「うーん、気持ちいい…!」
北方のフィヨルドの夏は美しい。家の周囲にはシロツメクサの白い花々が敷き詰めた絨毯のように広い範囲で咲き誇り、たくさん蜜蜂が飛び回り蜜を集めている。
「そろそろ父ちゃんと一緒に、蜂蜜の巣の回収をしないとなあ」
白い絨毯が広がる野原の所々に立っている柱は、蜜蜂の巣とするために父ちゃんが打ち込んだ丸太巣箱だ。
去年は忙しくて採蜜が十分に出来なかったせいか、たくさんの蜂が越冬できたらしく元気に飛び回る蜜蜂の姿が多い気がする。
「あの蜂蜜も薬に加工するのかな。戦争をするなら傷薬も必要だし」
戦闘時の士気を高める薬草入り蜂蜜酒と、薬効成分を煮出して蜂蜜で防腐し脂肪で伸ばした化膿どめの傷薬。どちらも売れ筋の高価格商品だ。
母ちゃんは、料理系インフルエンサーとして村の女衆たちから人気を集めるだけでなく、製薬においても他社の追随を許さぬ稼ぎを誇る職人でもあるのだ。
そして金属製の滑り軸受けつきの原始的な遠心分離機も開発されたことで、蜂蜜を加工する手間も楽になり歩留まりも上がり、ますますの利益を我が家にもたらすことになっている。
エリン姉が馬に仕事もさせず乗り回したり、僕が思いつきの試作品に材料費を突っ込んでも嫌な顔一つされないのは、母ちゃんがそれだけ稼いでいるという裏付けあってのことでもある。ありがたいことだ。
白い絨毯を踏みしめて海岸に向かって歩いていると、船小屋から女達の歌声が聞こえてきた。
塩風を吸った太糸よ、硬き羊毛の帆に通せ
ひと針は波を越えるため、ふた針は無事の帰りため
針を押し、糸を引き、荒海に耐える壁を織る
彼らが漕ぎだす北の海、重き帆布よ、風を孕み
針糸合わせる手拍子に、寄せて返す波の歌よ
「歌…。そうか、クナトルレイクの国歌も考えないと」
試合前に皆で歌う北方21星の大結束の国歌については、北方21星の大民会に議題として投げる必要はあるけれど、大枠は僕が考えないとダメな気がする。
なにしろ、国歌の重要性を認識している人が少ないんだよね。
北方21星の大結束の社会統合の鍵を握るもの、と僕には確信があるのだけれど、そこまでの効果を信じていないというか。
筋としては、詩才に優れたシグヴァルド様にお願いしたいところだけれど、あの人は陰謀で忙しそうだし。
それと国旗も広めたい。観客席でコレオのように大きな国旗も本当は掲揚したい
「何かうまいやり方はないかなあ…」
観客席を塗り分けるとか、観客に色つきの板をもたせるとか?
考え事をしなが歩いているうちに、長屋敷についた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「シグリズ様、今ちょっとよろしいですか?」
シグリズ様の私室に通されると、アルフヒルドさんとエリスさんの2人も机に向かって仕事をしていた。
「あら。トールですか。今日は何を思いついたのですか?」
「ええ、いやだなあ。文書の提出と管理をお願いに来たんです。先日、村で行われた第一回のクナトルレイク小民会の議事録を書きました。こちらの確認と保管をお願いしたくて。それから、閲覧の権限についても相談したいんです…あれ?」
いつもなら、僕が来ると黙って背中を向けたまま不機嫌なオーラを撒き散らしている2人の文官手伝いのお嬢さんたちの雰囲気が柔らかい。
ぴんと来た僕は、シグリズ様に別の話題を振った。
「それにしても驚きましたよ!模範試合での槍の乙女の舞の素晴らしさ!村の人たちだけでなく、視察に来た大きな村の有力者達も、この村にこれほど美しい舞い手がいたのか、と目を丸くしていましたよ!」
すると、背中を向けていたはずの2人は器用に椅子の上でくるりとこちらへ向き直り、久しぶりに見る笑顔で胸を張った。
「グリームル様の要望を受けて、密かに練習していたのです!」
「ええ、ええ。あの舞を憶えるには少しだけ苦労しましたわ」
とっても饒舌で上機嫌だった。
「トール、本当に凄い評判になったのですよ。あの舞を披露してから2人への婚儀の申込みが殺到しているのです」
ああ、それで凄い上機嫌なんだね。もともと2人は、この村と強い絆を結ぶ、いわば婚活目的で来ていたわけだから、その目的に立ち返ったとも言えるわけだ。
「これでいつでも仕事を辞められますわ!」
と、上機嫌なアルフヒルドさん。
そんな…ここまで一緒に頑張ってきたのに悲しいことを…と引き止める代わりに、僕は少し先のことを話題にした。
「そうですか…ご結婚となると、家のことを最優先にしないといけませんよね。
でしたら、決勝大会の舞い手をどなたに選ぶか、今から考えないといけませんね…北方中から村々から、指折りの有力者や選ばれた戦士達が集まる名誉ある大きな大会になるでしょうから、出来るだけ早く代わりの方を見つけないと…」
僕が困り顔でシグリズ様に相談を切り出すと
「や、辞めるとは言ってませんわ!お仕事は大事ですもの!」
「そうです!シグリズ様をお支えして、村を発展させることにやり甲斐を感じてますの!トールさんも、早とちりはいけませんわ!」
アルフヒルドさんだけでなく、エリスさんまでが焦ったようにくるくると掌を返したのだった。




