第227話 訓練の汗は戦場の血を節約する 8歳 夏
高台にある夏の家からは、フィヨルド沿いの村の建物が一望できるから好きだ。
「うーん…村もずいぶん変わったなあ…」
複数の長船が停泊できる大きな港、大きな倉庫、パン釜とサウナ…去年までは存在しなかった施設や設備が建設中のものも含めて対岸に幾つも存在し、村の変化と活気が目に見えてわかる。
かつての僻地の漁村は、今や多くの重要人物を迎え入れ歓迎する北方21星の大結束の中心地へと生まれ変わろうとしている。
「トール、エリン落ちるなよ?」
「大丈夫。大丈夫。白樺の皮、あと6枚ちょうだい!」
「あたしの方はあと4枚で終わるー!」
僕とエリン姉は夏の家の屋根に登って、父ちゃんが梯子に昇り降りして運んでくる白樺の枝や皮などの資材を受け取り、屋根をふいていた。
やっぱり父ちゃんという男手がいると、家の仕事の進み具合が違う。
「これで何とか夏の家も格好がついたわね。今夜から星を見ながら寝なくてすむわね」
「まあ…そうだな」
母ちゃんのホッとした声に、父ちゃんが済まなそうに頷いた。
いくら北方の夏は涼しく気候が穏やかといっても屋根がない家での暮らしは落ち着かなかったものね。
「あとは、冬の家も掃除してしまいたいわね!頼りにしてるわよ!」
家の掃除を仕切る母ちゃんが張り切っている。
去年から始まった消石灰による消毒、薬効成分を薬草の煙による駆虫、定期的な大規模掃除の習慣化を通じて、清潔な家がいかに快適なのか知れ渡ってきている。
最近では、洗濯樽と白樺の葉による衣料品や寝具の頻繁な洗濯も普及しつつあって、目に見えて衛生環境が改善していることもある。
家畜は放牧に出して、いくつかの生活に必要な家具などは夏の家に運んできたけれども、保存食などは冬の家に置いてある。
「冬の間に家畜が暮らしていた区画は完全に土を掃き出しちゃわないと駄目でしょ?それから全部の床に貝殻粉(消石灰)を撒くでしょ?それから虫を追い出すための草も焚かないと…」
父ちゃんがいかに北方一のクナトルレイクの上手であったとしても、家という職場では母ちゃんが指揮官なのだ。僕もエリン姉も黙って母ちゃんの指示に従う他はない。
家を掃除して、牛で畑を耕して、豆や野菜の種まきをして、雑草を抜いて、牧草を刈って積み上げて、家畜の世話をして、漁具や船のメンテナンスもする。
そうして、やっと家での暮らしは回るのだ。
「あなた。そろそろ蜂蜜も採れる頃じゃないかしら。少し見回ってくれない?」
「ああ、日が沈んだら見てこよう」
北方の短い夏は、長い冬に備えるため目の回るような忙しさと共に過ぎていく。
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数日の研修会の後、クナトルレイク予選大会の主催者達は慌ただしく去った。
「それでは、頑張って下さい。何か困ったことがあれば相談にのりますから」
「は、はい!そうさせていただきます!」
短い研修会の最中に何度も青い顔をして胃を押さえていた面々も、日程の最後の方には覚悟を決めたように開き直っていたからね。
殺人的なスケジュールと無理と無茶を押し付けてきた上司を敵と見做すことで、僕たち小民会のメンバーは団結したのだ。全部シグヴァルド様が悪いのです。
「…準備、間に合うのかなあ」
「どうだろうな。かなり厳しいとは思うが」
予選大会の主催者達は、村に帰ったら首脳陣に報告し、予選大会の日程を布告し、初参加の村々に対して説明会を実施するはずだ。
北方で初めての大クナトルレイク大会の予選。
予選の運営も初心者であるなら、予選の参加者も初心者である。
手元にある知識と文書は、クナトルレイク大会運営マニュアルと、クナトルレイク競技総則のみ、という便りなさよ。
運営者と参加者の双方が手探りで、スポーツイベントを共同で作り上げていかなければならないのだ。
「たぶん競技総則の基本の読み合わせから始めないと駄目だと思うんだよね」
「…そこまで酷いのか?」
「父ちゃんが鍛えたうちの村のクナトルレイクを基準に考えたら駄目だよ。たぶん人数を同じにしましょう、とかいうレベルから教えないと駄目だと思う」
クナトルレイク競技総則は筆写されてかなりの数が広まっていると思うけれど、ローカルルールでやってる村も多いだろうからね。
まずは、競技総則に書かれたルール通りのプレーするのだ、という基本認識合わせから始める必要があるだろう。
現場の苦労はいかほどか。頑張ってほしいものだ。
「いやあ…競技総則を書いておいて良かった…小民会を組織しておいて、本当に良かった…」
もしも事前に小民会を組織できなくて、競技総則の文書化も行っていなかったとしたら、大クナトルレイク大会に参加を希望する全ての村々への説明会のツアーを僕が行う羽目になっていただろう。
まったく、官僚機構と分業万歳である。
苦しみ…じゃなかった、大きく価値のある仕事は皆で分かち合うべきなのである。
「とにかくも、模範試合で運営のテストはした方が良いです!必ず想定外の事態が起きます!
俗に『訓練の汗は戦場の血を節約する』と言いますが『運営テストの苦労は本番の損害を減らします!』それを忘れないで!」
と、口を酸っぱくして強調しておいたけれど、真意は通じただろうか。
「なるほど…訓練の汗は戦場の血を節約する…良い言い回しだ…」
などと宮廷詩人の人は、例示した言葉に意識がとられていた気がする。
大勢の選手や観客を迎えて大会を運営するノウハウは、結局のところ苦労しながら学んでいくしかないわけで。痛い思いをしなければ憶えませぬ。
「まあ最後は物資と人海戦術でなんとかするでしょ」
と、最後のところで僕は楽観してもいる。
予選大会を主催する村はいずれも1000人を超える人口を抱える大村で、うちの村のように300人程度しか人口がいない僻村とは規模が違う。
効率的な仕組みが出来ていなくとも、大勢の来客を受け止めるだけのキャパがあるのだから。
「でも、本当に夏に大会がやれるのかな?」
「うむ…」
例え全ての準備が順調に進んだとしても、スケジュールはかなり厳しい。
本当に夏に大会を実施できるんだろうか?
今のスケジュール感だと予選大会はともかく、決勝大会は夏を過ぎて秋、もしくは来年の夏の実施になるんじゃないかなあ。
というか、そうなって欲しいね。
夏には夏の仕事をしないと、僕たちの暮らしが破綻しそう。
いや秋に開催されても、収穫の人手と冬の備えが足りなくて困るんだ。
ほんと、偉い人たちは庶民の暮らしの忙しさを理解していないよね。
戦争なんてしている暇はないんだ。
王様と家臣を招くシグヴァルド様の陰謀はどうなるのかな。
決勝大会は間に合わないとして、大民会は行うとか?
それとも別の場所と口実で呼び寄せるのかな。
陰謀とか血生臭いのは嫌いだから、僕と父ちゃんの見えない場所でやって欲しい。
「父ちゃん、審判になって出かけたりしないよね?」
「ああ、村に残って、より多くの審判を訓練して派遣しなとならないからな」
予選大会を行えるようになったら、村から審判員を派遣しないといけない。
クナトルレイク競技総則を隅から隅まで熟知し、試合にあたっては競技者や会場の圧力に負けずにフォルセティの名において公平公正な判断を行うという、重要で、そして危険な役割だ。
そもそも「審判ってなに?」というレベルの観客やチームを相手にしなければならない可能性も高いからね。
「試合においては審判の意見に従わなければならない」「審判の身体を傷つけてはならない」という基本が共有されていないことだってあるだろう。
だから審判の保護についてはクナトルレイク競技総則についても記載されているし、保護については念押ししてある。
もしも判定に不満があれば、証拠や証言を揃えた上で本戦を執り行う小民会に申請すること、もしも違反があれば本戦には参加させない等の申請ルートと罰則も同時に整備した。審判を害したら最悪の場合は、北方21星の大結束からの追放もあり得る、とまで言えば、保護に全力を尽くすだろう。
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「…以上、かな」
僕は研修会に参加した人たちと交わした意見を整理して、羊皮紙にルーン文字で「第1回クナトルレイク競技大会開催小民会議事録」と記して…少し考えてから、トールステイン、と署名した。




