第222話 人手不足の夏の始まり 8歳 夏
北方の夏は、最も眩しく、最も短い生命の輝きの季節である。
太陽は暗く閉ざした冬の代償を払うかのように、白夜となっていつまでも空を輝かせ、植物は緑の絨毯を広げ、花々は一斉に開いて蜜の香りで虫を誘う。
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「もう夜なんだねえ。まだ昼みたいな感じがする」
「そうねえ。でもお腹がすくから夜なのは間違いないわ!」
僕はエリン姉と並んでシロツメクサが一斉に開花した白い絨毯の上に毛皮をしいて座り、母ちゃんが夕食を料理してくれるのを待っていた。
「はいはい。もう少しで出来るから待ってなさいね」
母ちゃんが鉄の鍋を載せているのは、頑張って修復した西風炉だ。
夏の家の外に去年作った石積みの炉だけれど、冬の雪や春の雨に晒されて崩れかけていたし、中には蜘蛛が巣を作っていたから、しっかり追い出して掃除しておいた。
僕たちの村では、冬の間は暖かさ最優先で家畜と同居する窓が狭く土壁で分厚い屋根の家に住むけれど、暖かくなってくると夏の家と呼ばれる、少し高地にある開放的で清潔な家に移り、家畜や畑の世話をする暮らしを送る。
「父ちゃん、帰ってこないねえ」
「まあ、もてなしで飲んでいるんでしょうから。食事は先にとってしまいましょう」
「うん…」
父ちゃんは、昼間にやってきたクナトルレイク予選を主催する村の代表たちと村の酒場でお酒を飲んでいる。
村へやってきた来客は、他の船員たちがするようにサウナに入り、贅沢パンを食べ、特製大麦種を飲む、というもてなしを受けている。
おかげで僕の方は、いろいろと準備をする時間が稼げてありがたい。
父ちゃんは「これは仕事!仕事だから!」と少しだけ申し訳なさそうにして行ったけれど、見送る母ちゃんの機嫌はちょっと良くなかった。
クナトルレイク大会の事業は父ちゃんがいないと回らないし、村の代表として歓迎の宴には誰かが参加しないといけなから仕方ないよね。
僕は全然お酒が飲めないし。
「今日は雨が降らなさそうだから、大丈夫でしょう」
「そうだね」
今日から暮らす予定の夏の家は、寝床こそあるものの、寝転ぶと空が見える状態だ。
夏の家は白く塗られた木の骨組みと壁だけを残して、冬の雪で屋根はすっかり落ちてしまっているんだよね。
それで床に落ちた苔土や木の枝を取り除き、好き放題に茂った草を刈り取って家の中でとりあえず動けるようにするだけで一苦労だった。
さらに屋根をふく仕事にはどうしても男手が必要になるのだけれど、父ちゃんは村の仕事で呼び出されていない、となると母ちゃんの眉間にシワも深くなろうというもの。
「母ちゃん、そろそろ奴隷を買う?人手が足りないでしょ?」
「うーん、どうも家族じゃない人と一緒に暮らすのは馴染めなくてねえ…」
「あたしも嫌だなあ…」
僕たちの家は村でも指折りの富裕な家になったし、貴族にもなった。
だから普通ならもっと大きな家を持って、郎党を養ったり奴隷を買ったりするものなんだけど、うちは普通の農家の感覚から抜け出せないでいる。
これは僕たちの家族が、北方の民としては極めて奇妙な方法で富裕になったことと関係している。
一般的に北方の民が貴族になるほど豊かになる方法はといえば、普通はマンパワーに頼らざるを得ない。
大勢の奴隷を買って大農園を経営する、大勢の漁船を保有し漁師たちを組織し網元となる、大勢の郎党を養って略奪遠征する、これらの方のいずれか、あるいは全ての方法をとって北方の男たちは成り上がるのだ。
だから北方の名士たちは、農園領主、漁船の網元、戦士の長、いずれであっても多くの人間たちを指揮し、養い、所有するという人を通じて資産を蓄積する過程を経ているので、自然と大きな屋敷に住んで、紐帯を深めるために大勢の人と同居することになる。
ところで我が家はと言えば。
父ちゃんはクナトルレイクと建設業の技術者として村の外でも独自の地位を得で稼いでいる。
母ちゃんは料理の腕と蜂蜜薬の製造で女衆の間で絶大な人気を誇り稼いでいる。
僕は、木工製造事業とかでいっぱい稼いでる。
エリン姉は村長婦人を手伝ってお小遣いを貰ってる。海鳥も狩ってる。
小さな漁船と畑と少数の家畜を所有し自活している。
以上。
誰一人として、大勢の人々を所有し指揮して稼ぐ、というビジネスをしていない。
敢えて言うなら僕の木工製品製造業がマンパワー事業にあたるかもしれないけれど、基本は木工職人に任せているし機械化も進めているからなあ…。
つまり我が家は北方の貴族としては奇妙なぐらいに職住分離のライフスタイルを送っているのである。
「はい、どうぞ」
「わあ!」
鍋をかき回していた母ちゃんが、深い木の皿によそってくれるスープの香りは、小難しい理屈に染まっていた僕の頭を、空腹だけに向けさせる力があった。
「カブ、リーキ、玉ねぎ。それに冷燻鰯。大麦も!やっぱり夏は野菜が入ってるといいねえ…ビタミン不足の体に染みる」
「トールがまた変なこと言ってる」
「新鮮な野菜が食べられるのは夏だけなんだから、エリンもちゃんと食べなさい。野菜を食べないなら、鱈の肝油をスプーン一杯飲ませるわよ」
「うげー…、はーい」
今は冬でも大麦が倉庫に積み上がっていて、その気になれば好きなだけ大麦パンが食べられるようになったから単純な飢えの恐怖な遠ざかったはずなんだけれど、やっぱりお腹がすくことは今でも怖いし、冬は塩漬けもしくは干した萎れた野菜しか食べられないことに変わりない。
だから、僕は新鮮な野菜があればあるだけ食べてしまうんだ。
母ちゃんが料理が上手くてスープとか蒸し物で食べやすくしてくれるから、という理由も大きいけどね!
「父ちゃん、今夜はどうするのかなあ」
「一晩中飲んで、元気があったら帰ってくるのじゃない?そのへんで寝ちゃうかもしれないけど」
「うーん、ぜったい体に良くないと思うんだけど…」
夏は凍死する危険がないのと遠征で野宿に慣れているせいか、酒を飲みすぎた北方の男たちはマントや毛布にくるまって、木の下や草むらでごろりと転がって朝まで寝てしまうんだ。
今は少数の来客しかいないから問題になってないけど、クナトルレイクの本大会中にそこかしこで寝られたら困るなあ。
宿泊地を指定してテントを張るように言っても、お酒を飲んだらそんな注意は忘れちゃうだろうし…。
「木材とロープで組み立て式簡易寝台でも作ろうかな…」
地面で寝るよりは体に良さそうだし、寝る場所をコントロールできそうなものいい。
組み立て式で普段は小さく仕舞っておけるようにすれば、酒場の近くで前金をとって貸し出す商売がやれるかもしれない。毛皮も一緒に貸すようにしてもいい。
「誰かやる人いないかなあ?」
僕は夏野菜のスープを啜りながら、婿入してきたばかりで村から持参金を貸し付けている何人かの男衆の顔を浮かべた。
「トール、何か思いついたら、ちゃんとシグリズ様に相談するのよ?」
「うっ…はーい」
僕の事業構想は、エリン姉の注意で中断された。
あぶないあぶない。
またもグリグリの被害に遭うところだった…。




