第221話 トールステイン大王伝記 日進月異の章
スウェーデン地方には、王立経済博物館という、古代から現代までの様々なコインや貨幣の膨大なコレクションの展示があり、なかでもトールステイン大王の治世下で発行された様々な貨幣は人気の展示物である。
中でも最も人気があるのは、黄金の大金貨と白銀の大銀貨。
それは北方連合王国の偉大な英雄、トールステイン大王の即位と治世を記念して発行された金貨と銀貨である。
トールステイン大王即位大金貨はトールステイン大王の即位を称え発行された金貨であり、逞しく雄々しい大王の横顔のレリーフが施された記念金貨は当時最高の技術が投入され、最高の黄金の純度と加工の精度を誇り、現代に残り市場で流通する数少ない大王金貨はコレクターの間で超高値で取引されているという。
またトールステイン大王即位大銀貨も金貨に劣らぬ人気がある。
金貨と同様に最高の技術と材料が投入されたのは同じだが、レリーフには大王に加えて常に傍らにあったとされるワタリガラスが肩に止まっている姿である点がユニークであるとしてコレクター垂涎の品となっている。
トールステイン大王といえば、世間ではその優れた指導力と偉大なカリスマにより率いられた精鋭の力で広大な連合王国を打ち立てた戦記部分に人気が集まる傾向があるが、歴史好きな者たちは、その安定した治世にこそトールステイン大王の英雄として非凡な点があると主張する者も多い。
王立経済博物館に併設された大王が発行した貨幣の解説によれば、大王の治世を通じて貨幣の価値は安定しており、民は飢えることも争うこともなく、また温かい住居に住んで、衣服にも困らなかったという黄金の羊皮紙の記述を裏付けている、という。
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以下、引用する。
見よ、いかなる勇者よりも猛々しく軍を率い、数々の奇跡を起こせし大王を
されど、その威光の及ぶ治世において、王の御心が最も向けられしは、小さき民のささやかなる「営み」であった
ある時、王国の女たちが、凍てつく川の冷たき水に手をおどらせ、衣を洗う姿が大王の目に留まった
大王が「その手を見せよ」と仰せられれば、女たちは霜やけに裂けし己が手を恥じ、ただ伏して隠した
王はその痛ましき手をご覧になり、胸を痛めて深く憐れまれた
「神々の戦士を支え、家に命を吹き込む女の手が、いかで虐げられてよいものか」
王がその大いなる手を振るうや、絶え間なく湧き出る川の瀬に、回転し続ける無数の巨大なる木樽が浮かび上がった
その樽の奥底からは、聖なる白樺の葉の清冽なる香りが溢れ出し、
ただ衣を投げ込むのみで、あらゆる穢れと汚れはまたたく間に洗い流された
大人も子らも、汚れた衣が呼ぶ邪法のごとき病の恐怖から解き放たれ、
女たちの肌は雪の如く滑らかに、衣は絹の如く輝いた
諸国の男たちは「トールステインの王国の女を娶ることこそ至上の誉れ」と、競って北を目指したという
またある年、不吉なる星のめぐりにより畑は実りを拒み、冬の海は荒れ狂いて魚を拒んだ
幸運に放たれ、飢えに震えるわずかなる民がいた
彼らを数年間養うに余りある大麦と黄金の魚は、王の食料庫に山と積まれていたが、
誇り高き北の民は「ただ大王の慈悲を乞うのみにては、戦士の血が廃たる」と、その気高き胸を痛めていた
大王はその殊勝なる忠誠を愛で、巧みな技を持たぬ者であっても、厳しい冬の間に糧を得るための「聖なる業」を下賜された
民は大王の授けし秘宝の道具を手に取り、日夜を継いで蜜酒の館に納める美しき木盃や皿を削り出した
王国を訪れる遠方の商人や船乗りたちは、その酒場で振る舞われる飲食の勘定が、ただの一分も狂うことなく、適正に支払われることに恐れおののいた
「これぞ、正しき取引を司る公明正大なる神の魔術なり」と、異国の者どもは口々に大王の徳を讃えた
勢いを増し、天へと広がりゆく王都を視察された大王は、
怒涛の海に長船を繰り出す勇敢な船乗りや、王都をアスガルドの如き大城塞となすべく巨石を運ぶ人夫たちの背をご覧になり、その労苦を慈しまれた
大王は万知の渡り鳥たる「フギンの正円」の秘法を編み出し、民に授けられた
魔術によって複製されたフギンの正円は、一から十、十から百、百から十万へとまたたく間に国中を満たした
民はこの秘法を高く掲げて畏敬し、大いに活用した
正円の奇跡により、巨船を駆る交易は大波の如く隆盛を極め、王都の巨石建築は巨人の手によるがごとく目覚ましく進んだ
港には雲を突くような大船団が列をなして押し寄せ、王都には天の蒼穹を穿つ幾重もの塔と城塞が立ち並んだ
王国は、かつて九つの世界が目にしたこともない黄金の繁栄へと昇りつめた
神のごとき知恵をもって王国を統治し続けていた大王であったが、ある時、その御身に病の影が落ちた
オーディン神の失脚を思わせるその報せに王国は大混乱に陥り、民は「太陽が陰り、王なき世が訪れる」と髪をむしり、声を上げて泣き叫んだ
幸いにもその病は淡雪の如く消え去り、大王は再び立ち上がられたが、己が去りし後の世に深く思いを巡らされた
「我が肉体が神々の加護の魔術を帯びていようとも、千年の時を生きることは叶わぬ。されど、この地上に築かれし楽土は、千年の後までも潰えてはならぬのだ」
臣下や民は「王は永遠にまします!」と否定しむせび叫んだが、
千年王国を維持せんとする大王の肩にかかる重圧は、世界樹ユグドラシルを支えるが如くあまりに過酷であった
内政を司る三詠聖、とりわけ運命を紡ぐ予言の巫女は、大王の御足元にひれ伏して強く乞うた
「我が至高の王よ、我ら微力なる臣下にも、その大いなる事業の端緒をお手伝いさせ給え!」
その声に応じ、九つの世界から英傑と賢者たちが大王の治世を補佐せんと怒涛の如く集い、
宮廷詩人たちは大王が成し遂げられた無上の功績を、永遠の歌として世界中に響き渡らせたのであった
大王はまた、国の血脈たる「商い」をも深く重んじられた
あらゆる取引において、司法の神フォルセティの天秤のごとき絶対なる『正義』を求めたのである
ある時、他国より一人の傲慢なる商人が大麦を船に積み、王国へとやって来た
冬の荒海を越えて一番乗りを果たしたその男は、「この大麦を買うがよい」と高飛車に言い放った
北国の村が冬の飢えに苦しんでいるという噂を聞きつけ、足元を見ようとしたのだ
しかし、その大麦は道中で潮風を浴び、腐臭を放つ穢れた代物であった
村人たちは静かに、大王より賜りしフギンの箱を引出でた
麦を箱に通すや否や、ルーンの光が閃き、正しき黄金の粒と、腐り落ちたゴミや藁屑とを瞬く間に切り分けた
あとに残った真の大麦は、最初の二割にも満たなかった
「二割の価値ならば、相応の対価で買い取ろう」
村人が言うと、企みを破られた商人は激昂し「その箱は客を欺く悪魔のイカサマだ!」と大王の威光を侮辱した
王を貶められた村人たちの怒りは雷神トールの如く爆発し、商人を容赦なく叩きのめした
命からがら逃げ出した商人の手に残されたのは、ただ一樽の大麦酒のみであった
されど、その大麦酒は諸国において「大王の国の極上の蜜酒」として恐ろしいほどの高値で売れ、商人は計らずも失った富を取り戻した
男は肝を冷やし、以降、周囲の者どもに強く忠告したという
「トールステイン大王の治世においては、いかなる欺瞞も通じぬ。ただ正しき取引のみを行え」と
王国の空前絶後の繁栄を聞きつけ、嫉妬に狂い悪神ロキに唆された愚王がいた
彼は大軍を編制し、北の黄金を掠奪せんと企てた
しかし、目先の欲に目が眩んだ愚王は、兵を養うべき軍糧の大麦を、すべて甘美なる酒へと取り換えてしまったのである
それこそは、大王の誇る賢者シグヴァルドが仕掛けた、底なしの甘き罠であった
大軍を維持する糧を失った愚王と部下たちは、飢えと狂気の中で互いの不義を責め立てあい、宴の席で隠し持っていたナイフを抜き抜き、自滅の血の海の中で全滅したという
かくして、大王の慈悲と魔術の庇護の下、王国の民は永久に等しき幸福を謳歌した
以上
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11世紀のイタリア、アマルフィの歴史家であり聖職者でもあるレオは、その手記に北方の蛮族がもたらした信仰の危機を、こう記した。
「北方の蛮族が大量にもたらしたフギンの正円は、その正確で真なる円であること、さらにどのフギンの正円をとっても寸分違わぬこと、まさに脅威の産物である。教会は北方の蛮族どもが魔術を使用した証左である、として使用の禁止を通達した。しかし無学な船乗りや人夫どもは異教の印を削り落とし、素知らぬ顔で使っている…」と嘆いている。
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歴史の教師は解説を続けた。
「フギンの正円とは一体なんであったのか、学者の間でも議論は分かれています。
ある学説では正円とは正確な方向を示す羅針盤である、あるいは水晶を丸く削り出したレンズである、と。突飛なところでは、魔術的な力を発揮する魔術具である、というものもありますね」
「魔術式円環砲だ!」
極東の文化に詳しい生徒が鋭く声を上げ、何人かの生徒が同意し頷いた。
「そういう設定のアニメやゲームもあるそうですね。ですが今のところ最も支持されている学説は、通貨である、というものですね。
トールステイン大王は商業活動を重視し、統一的な単位や通貨を定めたことは事実です。
現代に残るトールステイン大王金貨や銀貨は、いずれも最高の純度と精度を誇る貨幣として歴史に燦然と輝いています」
金貨と銀貨。いつの時代も、金銀の輝きとそれがもたらす富は冒険心を刺激する。
授業を受けている生徒たちも例外ではなかった。
「すげえなあ、家の庭を掘ったら出てこないかなあ」
「そういうこともあったらしいですね。家をたてようと地面を掘ったら金貨の詰まった箱が泥の中から出てきた、とか」
歴史の教師の言葉が引き金となり、生徒たちの関心は爆発した。
「ほんとに!?帰ったら掘ってみる!」
「おいおい。お前んちはマンションじゃねえか。建設するときに全部地面は掘り返されてるよ」
「じゃあ婆ちゃん家の庭を掘り返してみる!」
「いえ、あの数百年は前のことですよ…?」
金貨に目がくらみ、早速週末の宝探しの予定を立てる生徒たちには、教師の声は届かないのである。
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トールステイン大王の物語は、まだまだここからも続きます。
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