第219話 滑車を売り出す前にやること 8歳 春
『滑車を売る。出来るだけたくさん作って売る』
という大方針は定まったので、次は具体論に移るのだ。
「まあ、滑車を売るにしても工程を最適化しないとね。品質も確かめたいし」
滑車を売り出すからには、滑車の品質も大事だけれど、同じぐらい製造技術も大事。
高い品質の滑車を、安く、速く、大量に製造できるよう製造工程の整理と設備に投資しないといけない。
「今は、どうやって滑車を作ってるの?」
「そりゃあ、木を切り出して削ってだなあ…」
木工の工房で実際に滑車を製造しているところを見せてもらう。
「あー、一人で全部やるんだ…」
「最初から最後まで一人で作れないと、一人前の職人とは言えないぞ?」
「いやまあ、そりゃそうなんですけど…」
滑車に適した木材の選定、大まかな加工、削り出し ―― ここで初めて足踏み式弓ろくろが活躍する ―― 仕上げ、で加工は終了。
「あとは松脂で煮込んで完成だな」
「塗装じゃなくて煮込むんだ?」
「ああ。脂がいい感じに滲み出し続けて、よく滑るし強度も上がる」
「へえ…」
「あとは乾燥させて歪みの出きった木を使うのも大事だな。だが煮込んで灰汁を出して乾かしても同じようなことはできる。少し費用は嵩むが」
なるほど。加工の前に素材の歪みを出すのと、加工の後に松脂や鯨の油脂で煮込んで防水性や強度をも上げるのね。
「うーん…分業したいなあ」
製造ラインの構築問題として考えるなら、まずは足踏み式弓ろくろの稼働率を高めたい。それに作業工程も分解したいなあ。
例えばなんだけど…
1.滑車と同じ太さの丸太の削り出し
2.丸太に適切な感覚で滑車の溝を掘る
3.滑車を1つずつ切り離す
こんな感じに分業すれば、作成速度はすごく上がると思うんだよね
1も足踏み式弓ろくろを使えば効率は上がるし、熟練職人は2の溝を掘る工程だけやればいいし。3は回転する木材を切るノコギリが欲しいね。
「いや2の工程も専用工具刃物を作ったら、もっと楽にできるかも?」
滑車の滑らかな溝を掘る専門の工具刃物があってもいいよね。
量産する前提なら、新しい工具に投資してもいいんだし、最終的には水車動力ろくろに耐えられるだけの工具刃物も、替刃も大量に要る。
あとは煮込んだりする工程なんだけど、幸いなことに、この村では熱源にあまり困っていない。最初のうちは製塩業やパン焼き釜の際の熱を貰ってきて処理させてもらえば良いだろう。
「お、おい!勝手に決めるな!そんなことしたら職人じゃなくなっちまうじゃねえか!」
「いやあ、樽づくりでも同じようにやってるじゃない」
「ぐっ…そ、それはそうなんだが仕方ねえだろ!あんな大量の注文を持ってきやがるんだからな!」
木工職人の工房の樽作りでは、既に一人の職人が最初から最後まで一つの仕事をする、というやり方は捨てて、外注した部品を分業して組み付けるようになっている。
その理由は簡単で、分業して効率を上げないと押し寄せる大量の注文に応えることができないからだ。
その意味では、この工房では工場制器械工業の前提となる工場制手工業の段階には既に踏み込んでいるんだよね。
あとは、製造プロセスに器械を組み込めば工場の完成だ。
「大丈夫。いっぱい人員も器械も用意するから!」
「つっても、素人じゃねえか」
「素人でもやれるようにするから!工具刃物も鍛冶職人に作らせるし!」
鍛冶職人に滑車の溝掘り用の工具刃物を作るようにお願いしとこう。
あとはシグリズ様に、使ってない不用品の鋼の剣がないか聞いておこうか。
折れたり錆びたり欠けたりした不憫な鋼鉄の剣にも、第二の役割と仕事をあげよう。
「ほらよ、持っていきな!」
「うん。ちょっといろんな人に意見を聞いてくるよ」
とりあえず、試作品で出来上がった滑車を営業用に一つ貰う。
工作器械で削った滑車は、人間の手では不可能な完全な真円を実現し、松脂で仕上げも表面はじっとりと濡れて滑らかだ。
素人目には、かなり良さそうに見える。
器械で製造された、北方社会最初の滑車。
僕の小さな手でも持つことが出来る小さな部品が、後に北方社会のみならず西方社会全体を大きく揺さぶるようになることを、この時の僕は全く認識しておらず。
「滑車が売れるようになったら、例え鱈や鰊が不漁でも村の人達がご飯に困らなくて済むかも。たくさん売れたらいいなあ」
などと呑気なことを考えていたのだった。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「どうです?僕は良さそう見えるんですが、船大工の親方から見たら使えそうですか?」
僕はまず、出来上がった滑車を村の船大工のところに持っていった。
村で一番の大口の滑車利用者だし、命も懸かっているから品質にも厳しそうだしね。
器械制滑車が本当に職人の手作りの滑車と比較して優れているのかを判断するのに、これ以上ない人選だと思う。
「ふうむ…なるほど…こいつは…」
「どうです?採用できそうですか?」
僕は受け取った滑車を叩いたり表面の感触を確かめたりしている船大工の親方に、採用の有無を尋ねた。
「…こいつを幾らで売り出すつもりだ?」
「ええと、手作業の滑車の半分くらい?」
熟練の職人が2日かけて作るものを、普通の腕の職人が1日10個作れるようになるから人件費は20分の1だから価格も20分の1、とはいかない。材料費もかかるし刃物工具や後工程で煮込む松脂のコストも上乗せされるからね。
「よし買った!村の長船の滑車は全部こいつに入れ替えるぞ!それで、いつ出来上がるんだ?」
「え?え?えっ?」
船大工の親方は、いきなり長船の全ての滑車を交換する、とか言い出した。
おまけに予備部品も兼ねて40個欲しい、と。
ま、まだ試作品の段階なんですが…。
「これは…まずい…」
たらり、とこめかみを冷や汗が垂れる。
だって想定していた滑車の市場規模は「消耗品の滑車が壊れたら取り替えるときに代替品として買ってもらう」という購買行動を想定して、安定的で小さな市場を狙って計算していたんだ。
それが今。眼の前で「全ての古い滑車を入れ替える」という、想定の3倍の規模に市場が膨れ上がってしまったのだよね。
「ま、待て待て…まだ慌てる時間じゃない」
そうだ。水車動力ろくろの導入を早めよう。1人が1日10個の滑車を製造できるところを、水車の力を使えば50個も行けるだろう。生産能力は5倍になる計算だ。
市場規模が3倍になっても、生産能力が5倍になれば耐えられる。
夏以降に注文が殺到したとしても、設備さえ出来上がっていればちゃんと捌ける。
「ふうううー…危ない危ない」
僕は危険な未来を回避するイメージが何とか出来たので、腕で汗を拭った。
またまたシグリズ様にグリグリとかカンカンとかムニムニされるところだった。
「こんだけの出来物で安い!こりゃあ売れるぞ!」
「そうだ、価格!」
安く作れたからと言って、安く売ってしまうのは悪い癖だ。
きちんと値段を釣り上げて売りつけないと、需要が爆発してしまう。
今の職人の手作りの滑車より少し値段を上げておこう。
「あとは売り出すタイミングを出来るだけ遅らせないと…」
最低でも水車動力ろくろが稼働し始めて、生産が安定するまでは広く売り出すのは止めておこう。TV広告もSNSもない世界だもの。この村で画期的な滑車が製造できるようになったことなんて、言い出さなければ誰も知りようがないよね。
「ふううう…やれやれ危なかった」
僕は再び安堵のため息を吐いて、額の冷や汗を拭う。
こうして僕のお仕置き危機は回避された……はずだった。
けれど迂闊にも僕は、日々村に出入りしている目敏い商人たちが、港に停泊する長船や漁船、それに荷物の陸揚げに使われている沢山の綺麗に形が揃ったフギン印の滑車に目をつけることや、船大工や村の人間たちに滑車について口止めするのを忘れていたわけで。
つまりは、TV広告やSNSの存在しない世界における口コミの威力というやつを、すぐに思い知らされる結果になるのだった。




