第217話 僕はとっても反省しています 8歳 春
春の柔らかな日差しが、白い壁と白い柱、白い床で統一された長屋敷の一角にある村長婦人の部屋を明るく照らしています。
部屋の主が気に入っている色鮮やかな絨毯が白い床に敷かれ、部屋に温かみを加えています。。壁際に置かれオークの棚には様々な小物を置く小棚や精巧な細工が施された装飾品が並んでおり、部屋の主の洗練された好みが伺えます。
棚と反対の壁には大きな黒板が吊るされており、チョーク代わりの貝殻棒が置かれ、ルーン文字で細かな文字が無数に書き込まれています。
そして部屋の隅には、上等な布がかけられたベッドが置かれています。
村長婦人の私室は、寝室であり、趣味の部屋であり、文官としての事務室でもあるのです。
明り取りための板窓からは春の爽やかな風が、女性たちの長い髪をそよがせるように吹き込んできます。
そんな爽やかな春の薫りが漂う部屋で。
僕は寝台の傍らの小さな椅子に小さくなって座っています。
むにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむに
寝台からときおり伸びてくる白い手に無造作に頬を抓まれ、思う様に捏ねられ続けております。
むにむにむにむにむにむにに
抵抗したり逃げたりは赦されておりません。
逃げたらもっと酷い目に遭うかも、ということはありますが、そこそこ責任を感じておりますので…。
「ふぅぅぅぅ―――っ」
まるでヨガの達人のような、とても深い、体内の酸素のいち原子まで吐き出すかのような、とてつもなく深いため息を吐かれると共に、頬を抓っていた手も止まりました。
僕はできるだけ可愛く見えるように、哀れっぽく上目遣いでシグリズ様に尋ねます。
「あの…シグリズ様。そろそろ、お気の方は晴れましたでしょうか…?」
おそるおそる聞きましたのですが、その返事ときたら。
「いいえ。全く気が晴れません」
「あっはい」
僕はもっと小さくなって、頬を好きなだけ抓まれるストレス解消の役目を果たし続けるしかなかったわけでして。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
シグリズ様が倒れられた!という知らせは、村中で大騒ぎになりまして。
シグリズ様は北方美人の典型で細く見えても骨格は太いし筋肉もすごいからね。
体も丈夫で、ほとんど風邪など引いたこともなかったのに。
「と、とにかく長屋敷に運ぼう!」
「板だ!人を乗せられる板を持ってこい!」
倒れた場所が木工職人の工房ということもあり、長い板に寝かされて逞しい職人達が担いで長屋敷の方に運ばれることに。
そのまま私室の寝室のベッドに寝かされて、限られた人を除き面会は禁止。
貧血というか、過労でしょうね。働きすぎでしょう。
少し休んだら、すぐに目を覚ましましたので一安心。
夫君である村長さんも顔を出したのですが「大したことないから」というシグリズ様に追い出されました。
なのに、なぜか無関係であるはずの僕はベッドの傍らの椅子に座り、父ちゃんから借りた鉄兜を被って両手を膝に乗せているのです。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
カンカンカンカンカン
「あ、はい。お茶を淹れます」
鉄兜を指輪で叩くのは、お茶を淹れる合図です。
侍女の人に任せたほうが絶対美味しいと思うのですが、僕はなんとか零さないよう銀器のカップに薬草茶を淹れます。
シグリズ様は、僕の頬をつねりながら反対の手で優雅な手つきでお茶を飲まれます。
いやあ、無駄に器用だなあ。
ことり、と銀のカップが置かれると同時に、僕の頬から手が離れました。
シグリズ様は寝台に身を起こしたまま、尋ねられます。
「トール。木工の工房を見ました。あれは、とても大きくなりそうですね」
「ええ。とても大きくなるでしょう」
僕は素直に答えます。
「とっっってもたくさん、仕事が増えるでしょうね」
「はい。増えると思います」
溜めのはいった表現は気になるけれど、それは事実。
なにしろ作業効率が段違いだからね。
他の村からも仕事の依頼が来るようになる。
「それこそ一年中、仕事をするようになるのではありませんか?」
「はい。大きな建物を建てて、工房で働く人は交代制にして、工房は一年中、冬の間も稼働することになると思います。冬の間、漁に出れなくとも賃金を稼ぐ手段になります」
結局、僕が手掛けているすべての仕事は、酒造りも、交易も、加工も、冬の鱈漁の不漁リスクを分散するために手掛けているのです。
最近はちょっと、鱈漁よりも大きく収益が上回るものが多いけれど…。
「村の男衆たちが手掛けている建設工事が終わった後でも、村で仕事をしながら暮らしていける業を成り立たせようとしているのですか?」
「ええ。はい、そうです。あの器械を使えば、未熟な職人でもある程度の形になる製品が作れるようになります。建設業であぶれた男衆、夫を失った女衆も働ける場所になります」
村の建設工事に従事していた男衆たちの雇用問題は、どうしても発生する。
多くの男衆は家も畑もあるから元の生活に戻れば良いけれど、中には畑だけでは食べていけない者たちもいるはずだ。冬の漁期以外でも食べていけるよう、働ける先を増やすことは村で解決すべき政策課題でもある。
僕は木工の仕事を増やすことは、その解決方法の一つであると信じるのです。
「…それはもう、工房とは呼べない規模ではないのですか?男も女も受け入れ、交代しながら一年中大きな建物の中で働く。そんな工房は聞いたことがありません」
「はい。工房、とは呼べないかもしれません。新しい呼び方が必要でしょう。例えば、工場、とか」
「こう、じょう…」
シグリズ様は、言葉の感触を確かめるように、繰り返し、こうじょう、と言ってから次の問いを発されました。
「大量の木材を削り、木工製品を作る。そうなると木材が足りなくなるのではありませんか?村の者たちが暮らしに使う薪が不足するのでは?」
「はい。足りなくなります。ですから他の村から材料を買い入れます」
「丸太を買うのですか?」
「いいえ、樽の部品を買うように、こちらで規格を定めた木材を買うことにしようと思います」
当たり前のことだけれど、足踏み式弓動力ろくろにセットできないサイズの木材を持ってこられても、加工が大変だからね。将来的には水車動力ろくろで大きなサイズを加工できるようになるかもしれないけれど、今のところは、そこまで嵩張るサイズの木材にはならないでしょう。
ひょっとすると、丸太を加工してうちの村に適正サイズにカットしてから輸出する製材業がどこかの村で出来上がるかもしれないです。
「つまり規格を定める。材木のサイズを測る。交易品の種類が増える。管理の仕事が増える。そういうことですね?」
「ええ、はい。仕事は増える、かもしれませんね…」」
なんだか話の風向きが怪しくなってきました。
「いつか鉄や石も削れるようになるとか?」
あ、それは覚えてました?
「今は無理です、将来の話です…ぐっ」
カンカンカンカンカンカンカン
むにむにむにむにむにむにむに
右手で鉄兜を叩き、左手で頬を抓るという恐るべき器用さを発揮しながら、シグリズ様は問いかけます。
「トール、あなたには何が見えているのですか?そんなにも村を忙しくしてどうしようというのです?」
「いえあの、忙しくなったのは結果でして、僕はただ洗濯と脱水を楽にしようと思っただけというか、忙しくなりそうなのは結果というか…村に良かれと思って…」
むにむにむにむにむにむに
カンカンカンカンカンカンカンカン
「ふ―――――っ…ええまあ。村は豊かになりました。豊かになりますとも!」
そんな感じで、シグリズ様に半日の間、ずっと虐められ通しだったのでした。
侍女の人も2人のお嬢さんも助けに入ってくれるどころか「自業自得よ!」という顔をしておりました…。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「あーひろい目に遭っら…」
「おう、帰ったか」
僕が重い鉄兜を背負い頬を腫らして家に帰ると、父ちゃんは背中に籠を背負って出迎えてくれた。昼間、僕が教えたとおりにチェストリグとウエストベルトを試したら、とても具合が良かったらしい。
背中の籠にはいっぱいの草が入ってた。春のスープ用のイラクサだね。
「これはなかなかいいぞ。楽だった。ところで鉄兜は役立ったか?」
「はひ。らいぶ役に立ちました…」
鉄兜を返すときに新しく小さな傷がいっぱいついてたので、ちょっと変な顔をされました。




