第213話 技術で解決する?人不足 8歳 春
僕は村長の長屋敷より少し高いところの地面に座わっていた。
この場所からはフィヨルド全体がよく見渡せるから好きなんだ。
そして一人で考え事をするにも向いている。
「むに!ふぎん!ふぎん!」
「あー。ムニもいたね。一人じゃないね」
僕がズボンのポケットから干したベリーを出して食べさせてやると満足したのか、すっかり丸くなったワタリガラスの子どもは、近くの地面をついばんで遊び始めた。
僕はフギンの遊びを視界の隅に捉えながら、ぼんやりと夏の人繰りを考えている。
この小さな村に、夏になれば大民会と大クナトルレイク大会のために、何千という人々が押し寄せてくるのだ。
それはひと夏だけの突発的な出来事でなく、毎年のイベントになる。
この村を生まれ変わらせるために様々な設備を急遽建設しているけれども、中で働く人の意識や技能はそう簡単には変わらないし、育たない。
初年後の混乱がどんなものになるのか、今から思いやられて仕方ない。
「人だよねえ…やっぱり人が足りない」
大規模イベントでやってくる人々を迎えるためには、誘導と接客に携わる人員の増加が必須である。
その役割は、主として村の女衆が担うことになるだろう。
村の男衆は、夏は畑を耕して一家の食料を確保しなければならないし、村の警備の仕事もしてもらう。観光客や酔客はつい気が大きくなってトラブルを起こすものだからね。それに…戦争が起きるかもしれないし。
夏の間までに、手が空く女衆を出来るだけ増やす。
それが僕の今の人員計画の目標である。
暇な人員をどうやって作るかといえば、それは機械化によるしかない。
精神論では労働力は増えたりしない。
洗濯樽のように、設備投資で仕事を効率化するのだ。
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「あら、トールちゃん。今日は長屋敷の方のお仕事はいいの?」
「ええ。見回りも立派な仕事なので」
「本当に小さいのに偉いねえ」
エリン姉に馬に乗せてもらい、村を見回っている。
どんな仕事を機械化すれば全体の仕事を効率化できるのか、情報をとりたかったら自分の目で見て回るのが一番だからね。
「やっぱり、糸かなあ…」
僕が今目をつけている効率化すべき仕事は、村の女衆の主要な手仕事である糸紡ぎである。
母ちゃんがそうであるように ―― エリン姉はよくサボってる ―― 女衆は暇さえあれば糸を紡いでいる。お喋りをしながら、子どもの世話をしながら、羊毛の塊から重りを回転させるドロップ・スピンドルという方式の糸紡ぎ。
ガーダーと呼ばれるトゲの実を板に貼り付けた道具を使い、羊の長い毛だけでなく捨てていた毛も糸にできるようになり、糸にできる羊毛の総量も増えたこともあって、糸紡ぎは大忙し。
試験的に大型の糸車を長屋敷の方に納入はしているんだけど、まだまだ改良が必要そう。それでも糸の生産量は3倍になった。
我が村のささやかな製糸業は格段の進歩を遂げつつあるけれども、糸の需要には全然足りない。
糸の需要というのは、ほとんど無限に感じられるぐらい多いんだよね。
羊毛の糸は、縄になり、布になり、魚網に、衣服に、船の帆に使われる。
後の世にイギリスが蒸気動力織機と綿花で世界を征服したように、人類社会はとにかく大量の糸と布を欲しているんだ。
「ねえ。糸紡ぎの仕事って、なにが一番大変でつらいの?」
僕は子どもであることを利用して、何一つ知らない顔で女衆に聞いて回った。
貴族になったとはいえ、僕の見た目が劇的に変わったわけじゃないからね。
赤ん坊のおむつを交換を手伝ったりもしているから、糸紡ぎをしながら社交場でお喋りをしている女衆からは、いろいろと教えてもらえる。
「糸紡ぎはね、そんなに大変じゃないんだよ。お喋りしながらだってやれるからね」
「あれ、そうなの?」
「この糸は子どもの服になるからねえ。秋までに編んであげないと」
後世の大規模製糸工場における奴隷的労働とは異なり、この村の糸紡ぎは生活と結びついた牧歌的なものである。夫のため、子どものため、友人たちと社交をしながら
の糸紡ぎは社会に参加する喜びですらある。
「あれだよ、あれ。糸になる前の。やっぱり羊の毛を洗うのは大変だねえ」
「ああ!羊の毛ね!刈ってからゴミや油を落とすのに、半日もかきまわすのがねえ」
女衆が語っているのは、羊の毛を刈ってから、糸紡ぎができる状態になるまでの工程のことだね。
彼女らが言うには、とにかく羊の毛というのは重くて汚くて脂と糞と草の種に塗れた汗臭いもじゃもじゃの塊で、糸にするまで洗うのが大変な重労働なのだという。
普通に洗えるものなら、洗濯樽が活躍できるかもしれないね。
でも、洗濯樽のところには持ち込まれたことがないような?
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僕は実際に刈った羊の毛を洗浄する工程を見せてもらうことにした。
「最初に、刈った羊の毛の汚い部分をナイフや鋏で切るのよ。とにかく汚くて使い物にならない毛は切るより仕方がないからねえ…」
広げられた羊の毛は汗臭い匂いがする。それにベタベタと脂っぽい。
人間の髪の毛も長期間洗ってないとベタベタしてくるでしょ?あんな感じ。
羊は1年間に1回毛刈りをするまで毛を洗わないのだから、ベタベタが凄い。
羊は基本的に外で放牧される。
どんな状態なのか、わかるよね?
犬に例えてみようか。大型の犬を外で飼うとして、粘着性の毛足の長い毛布を全身に巻き付けます。犬は放し飼いなので好きなように野山を駆け回ります
1年後の状態を見てみましょうか、という感じ。
最終的には、汚れを落とした羊毛の重さは半分になるのだとか。
つまり、今眼の前で広げられている羊の毛の半分は汚れなのだ。
「うへえ。こいつは、大変だ…」
思わず口から弱音が漏れてしまう。
汚れが切り落とされた羊毛は、樽の底に置かれた。
そこへ木の灰、白樺の葉が粗い目の麻布の袋も一緒に入れられてから、ぬるま湯がいっぱいに注がれる。
「白樺の葉の袋、洗濯樽でも使ってるやつですか?」
「そう。これがあるからずいぶん楽になったのよ?前はおしっこを腐らせて使うこともあったんだから」
「あはは…」
アンモニアは嫌だなあ。サポニンと木の灰のアルカリ性溶液とお湯で、羊の毛の脂を落とそう、ということだね。
羊の毛が浮いてこないように棒で突いて、樽の中で押し洗いのように静かに何度もかき回している。
棒で押されるたびに表面に灰汁となって脂やゴミが浮いてくるので、それを掬って捨てる。押し洗いする。掬って捨てる。押して、捨てる。
「あとは、これで1日置いておくから」
「あれ?もう終わりなんですか?」
軽く押し洗いしたら、あとは液に反応させるために一昼夜は放置するのだという。
「大変なのは、洗った後なんだよ。水を吸って重くなってるし、水をしっかりきらないとカビちまうからねえ」
「今はどうしているんですか?」
「籠に入れて、上から踏むのさ。だけど何回分でも水は出てくるし、下手な踏み方をすると毛がダマになってしまって、使い物にならなくなるし」
「ははあ…」
なるほど。課題はわかった。要は水を絞れればいいんだね。
洗濯物を効率よくしぼる機構には心当たりがある。
洗濯樽の現場におけば、喜ばれそうだ。
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「ねえねえ。ローラーつくってくれない?完全な円柱の両側の中心に回転用の穴を開けたやつを2本でいいんだけどさあ…」
「おまっ、…トール様!この工房がどれだけ忙しいからわかってんのか?」
木工職人の工房にお願いしに行ったのだけれど、残念ながらあまり喜んでくれなかった。せっかく新しい仕事を持っていたのに…。
「円柱を綺麗に作れる道具だから…鍛冶職人の方に相談に行った方がいいのかな?」
あちらの方が、まだ歓迎してくれそうな気がする。
材料を回転させて円柱を削り出すことのできる道具。
すなわち、原始的な旋盤の開発である。
そして旋盤の開発と発展は大きく北方社会を変えていくことになる。
もっとも、このときの僕は「脱水ローラーと皿やコップが綺麗に作れたらいいなあ」ぐらいにしか思っていなかったのだけれど。




