第204話 見て回らずにはいられない 8歳 春
シグヴァルド様、来襲。
彼は村長婦人であるシグリズ様の兄で、北方21星の大結束の実質的な建国者の一人であり、北方に渦巻く陰謀の中心人物でもある。
要するに北方社会の超VIPなのだ。
先触れぐらいしてから来てよー、というのが正直なところ。
こちらにだって準備というものがあるんだから。
「あれ?それでシグヴァルド様はどこに?」
「船員たちと同じ待遇を受けたい、と言い出して今はサウナに入っています」
シグリズ様が長屋敷の方で歓迎しようとしたら、自分も他の来客と同じ経験をしたいと我儘を言って一般船員と一緒にサウナに行ってしまったそうだ。船員たちも困ってそう。
おかげで、僕は長屋敷に呼び出されたものの、やや手持ち無沙汰になる。
シグヴァルド様の持ち込むであろう政治的な話は偉い大人たちに任せて、僕は村の洗濯樽の改良とかしていたいんだけどなあ…。
ああでも、夏のクナトルレイク大会に予選参加する村の数については確定してもらわないと。
シグリズ様と幾つかの確認事項について話し合っていると、しばらくしてシグヴァルド様がやってきた。相変わらずの北方の男らしからぬ線の細いイケメン振りに、綺麗に洗濯された衣服と、特製の大麦酒を一杯ひっかけて来たのだろうか、少し赤くなった頬が拍車をかけている。たぶん贅沢パンも食べたのだろう。
かなり機嫌が良さそうだ。
「お兄様!困ります!」
「まあまあ。いいじゃないか。この村の歓迎がどのようなものか実際に経験しておきたかったのだ。いやあ、実に良い気分だ。どんな来客も必ずや満足することだろう。そうだね?小さなフギンくん」
「トールです」
シグヴァルド様は、相変わらずマイペースなのであった。
そしてシグヴァルド様と相対すると、シグリズ様も口煩い妹になってしまうのも、いつものこと。
「トールくん、どうかね、貴族の暮らしは?」
「平民の時と、あまり変わりません」
回答のどこが気に入ったのかわからないけれど、「そうか、変わらないか!」とシグヴァルド様は哄笑した。
実際のところ、やってることも暮らしもあんまり変わった実感はないんだよね。
変わった点といえば長屋敷の人が少し丁寧に挨拶してくれるようになったぐらい?
それから「少し込み入った話をするので」と、2人の文官見習いのお嬢さんたちに遠慮してもらうようシグリズ様が命じた。
2人は北方一のイケメンとの会話の機会が失われることを実に残念そうな様子を見せながら、シグリズ様の私室から出ていった。
「じゃあ僕も遠慮して、あとは兄妹のお二人で…」
と立ち上がりかけたのだけれど、シグリズ様に無言で頭を押さえられた。
背がこれ以上縮んだらどうするの。
「…この村はずいぶん変わったね?」
「そうですか?」
シグヴァルド様が来てから、それほど期間は経ってないはずだけど。
「白い家が増えた」
「流行ってるんです」
消石灰で柱や壁を塗る家は増えた。塗料は安いし虫やカビの発生を防いでくれるからね。おまけに屋内は明るくなるので蝋燭の節約もできる。
今では村の家の半数以上の外壁が白く塗られているし、新築は必ず白い家になる。
「家もずいぶん増えたようだ」
「婿に入ってくれて人が増えましたからね。移築している家もあります」
他所の村から持参金付きで来てくれた大事な婿さんのために、新築の家が幾つも建てられたからね。村から持参金を貸し付けている家もあるけど。
「特に港の設備。あれには目を見張ったよ。規模は大きくはないが、船員のためのパン釜とサウナ、それに衣服の乾燥小屋まで!あれらは全て同じ火を使っているのだろう?実に効率的だ」
「ありがとうございます」
それからシグヴァルド様は唐突に奇妙な動作を見せた。
自分の衣服の袖を、形の良い鼻のところに持っていき、くんくんと匂いを嗅いだかと思うと、僕の腕をとり、その袖の匂いも同じように嗅いだ。
「…なんです?」
「この衣服。それとトールくんの衣服も実に良く洗われているね?船員たちの衣服も見違えるように綺麗になり悪臭も消えていた。貴族になったことで、洗濯奴隷を増やしたのかい?」
ああ、そのことか。
シグヴァルド様が変な趣味に目覚めたのかと思った。
「いいえ。奴隷ではありません。川の流れを利用した樽で洗っているんです」
「樽で!」
シグヴァルド様の目がきらきらと好奇心に輝き見開かれる。
その表情をみたシグリズ様が、呆れたように無言で首を振った。
「ちょっと、その樽とやらを見に行けませんか?」
「え。今からですか?」
「兄様!」
「いいじゃないか。いろいろと話をする前に、まずはこの村の様子を存分に見聞きしてからでなければ、正しい知識に基づいた話ができないじゃないか」
シグリズ様の鋭い叱責などシグヴァルド様にはまるで応えていないようで、すらすらと都合の良い理屈を述べるのだ。
なにか大事な話をするはずではなかったのか、と僕はシグリズ様の方を見たのだけれど、彼女は諦めたような表情で頷くばかりだった。
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「シグヴァルド様は、馬に乗れるんですね」
「貴族の嗜みだよ。幼い頃は妹とさんざん競走相手をさせられたものさ。トールくんも、そのうち乗れるようにならんといけないよ」
「はい…」
長屋敷からは少し距離があるので、馬を引き出して移動することになった。
村内なので護衛はなし。
シグヴァルド様が馬に乗り、僕とシグリズ様は同じ馬に乗る。
というか、乗せられた。
ううっ。そろそろ一人で乗れるようになりたい。
練習はしてるんだけど、もう少し足が長くならないと乗り降りができないのだ。
シグヴァルド様とシグリズ様の美男美女の兄妹が乗馬しながら移動すると、狭い村では実に良く目立つ。そしてシグリズ様の前にちょこんと乗せられている僕も。
僕はひたすらに小さくなって注目をやり過ごした。
「ああ、あの川です」
少し馬を走らせて、洗濯の樽が設置されている川へとたどり着いた。
洗濯樽の利用は、今日も大盛況。
来航した長船の船員たち分の衣服の洗濯が終わったので、村の女衆達が家族の衣服の洗濯をするために籠いっぱいに洗濯もの持ちこんで列を作っている。
洗濯場には、いつの間にか受付の担当者のような人が椅子に座わり、その横に置かれた木の箱には麻の袋と白樺の葉がいっぱいに詰められていた。
まるでコインランドリーの洗剤販売所のようだ。おそらく、村の子どもが小遣い稼ぎに白樺の葉を集めているのだろう。
ざぶりざぶりと川の中で水流を受けて回転する樽を見て、シグヴァルド様が尋ねた。
「あれが、そうなのか?」
「はい。あの樽の中に汚れた衣服と粗い布に白樺の葉を詰めたものを一緒にいれますと、あのように川の流れで回転します。樽の中で衣服は叩きつけられるように回り、白樺の葉の力で汚れが落ちるのです」
「ほほう。実に興味深い」
シグヴァルド様は馬から降りると、洗濯待ちのために並んでいる女衆の一人に話しかけた。
「そこの者、この道具は便利なのか?どの程度役に立っているか?」
「は、はい。それはもう、とても役立っています。毛皮や羊毛のように水を吸った重たい服を雪解けの冷たい水で洗うのは、慣れている女達にとっても辛い仕事です。それが、樽に入れて回すだけできれいになるっていうんですから、もうフギン様の洗い樽と呼んでありがたく使わせていただいています」
女衆は、シグヴァルド様の整った顔にボウっと頬を赤らめながら答えた。
やはりイケメンのパワーは凄い。
ところでフギンの樽ってなんだその名前。初めて聞いたぞ。
「次は、村の大麦酒を作っているところを見たい!」
馬を返すシグヴァルド様に、僕は慌てて続いた。
やれやれ。まるで嵐のような人だ。




