第202話 回転する樽は何でも洗える 8歳 春
「うー…ちべたい…」
フィヨルドの春。雪解けの川の水は凍りつくように冷たい。
僕は、その冷たい川の流れに足を脛の中ほどまで浸しながら、洗濯樽の試作品を設置していた。
船の帆を洗えるような巨大施設の建設工事はシグリズ様に労働力の不足を理由に延期されてしまったので、僕は方針を変えて小さな道具を発明して、村の女衆の労働力を節約することにしたのだ。
100人分の労働力を節約できる巨大な施設を建設できなくとも、2人分の労働力を節約できる道具を50個作れば結果は同じことだし。
「基本は、蜂蜜の遠心分離の道具と同じなんだよね…」
蜂蜜の遠心分離機は縦向きに人力で回すけれど、洗濯機は水流で横向きの樽を回すという違いがあるだけ。
水が出入りする穴を樽に開け、水流で回転するよう金属製の滑り軸受けを埋め込む。そして中心軸を貫く棒の延長線上に板を組み合わせた小さな水車を設ければ完成だ。
「母ちゃん、洗いたい白大根とか、そら豆とかなーい?」
「なんだいトール、珍しく手伝ってくれるのかい?」
小さな樽を用いた洗濯機の試作品では、衣類を洗うのは難しい。けれど、野菜を洗うことはできそうだ。
籠にいっぱいの泥付きの白大根と鞘付きのそら豆を受け取って、家の裏に流れる小川で洗濯機の性能試験のために設置しようとしているわけだ。
防水の長靴なんてないし、冬用の革靴も防水機能は限られているので、当然のように裸足で川に踏み込むことになる。
冷たいだけでなく、滑りそうで怖い。
「こんなことならサンダルでも作っておいたほうが良かったかな…」
おぼつかない足元を木にしながら、なんとか水車のついた樽を設置するための杭を川に打ち込んだ。
「まずは白大根から試してみるかな」
10本ほどの泥がついた白大根を樽の中に入れて蓋をする。それから、樽をよいしょ、と持ち上げて水車を設置し直していたら、エリン姉がやって来た。
「なあに、それ?樽を浮かべる玩具?」
「玩具じゃないよ、これで野菜が洗えるの!」
「へええ」
野菜洗いの樽は小さいので、手伝ってもらわなくても大丈夫。
特に難しい機構ではなかったので、設置と同時にクルクルと樽は回り始めた。
「おーまわるまわる」
「そうだね」
ちょっと回転が早すぎるかもしれない。減速機構が欲しいなあ。
これは小さな樽だから手で止めるのも簡単だけれど、衣類が入るような大きな樽であったら巻き込まれ事故になりかねない。
「そろそろいいかな?」
少しの間、回転する小さな樽を見守ってから川の中に入り木の枝を押し付けて樽の回転を止めた。
「よいしょ、っと」
小さな樽を開けると、中からは輝くばかりの白さを取り戻した白大根が見えた。
「おーきれいになったね」
「まあね。これでエリン姉が嫌いな野菜洗いが楽になるよ」
「嫌いなわけじゃないわよ!ちょっと…水が冷たいだけで」
まだ寒い春先の雪解け水は、氷のように冷たい。
その水で野菜を洗うのは大変だろう。この野菜洗い樽があれば、その点はかなり楽になる。
「それとね、本命はこっち」
「そら豆?」
「そう。鞘取りも出来ると思うんだよね」
そら豆の鞘取り、けっこう面倒くさいんだよね。洗うついでに鞘が剥けたら、これも労働力の節約になる。えんどう豆でもできるかもしれない。
僕は母ちゃんに断って、家中の食料庫の野菜をひっくり返し始めた。
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「この野菜も洗ってくれない?」
「はいはい」
家の野菜で必要のあるものは全て洗ってしまったので、近所の人たちの野菜を洗うのも引き受けることにした。
「あ、葉物はちょっと向いてないんです。傷んじゃうから」
「あら、そうなの?」
女衆の一人が持ってきたアンジェリカの束は、野菜洗いの樽で洗うのには向いていないことがわかった。回転が早すぎて葉が傷んでしまうのだ。葉物を洗うためには、もっと回転を遅くするか、より多くの葉物を詰め込む、などの工夫が要るのかもしれない。
一方で豆の鞘をとることは上手くいった。えんどう豆やそら豆は北方の民にとっては風乾鱈、大麦に次ぐ重要な保存食料でもある。つまりは収穫も食される量も多いわけで、かなりの労働力の節約も期待できる。
野菜洗いの樽は、原理も作りも簡単なので使用方法はすぐに広まった。
労働力の節約という点はもちろん、氷のように冷たい水に手を浸す時間が少なくて済むという点が好評を博したために、連日のように女衆が利用のために列を作った。
「管理の人を置いたほうがいいかなあ。僕もずっと張り付いているわけにはいかないし…」
「置いておいて、村の人に勝手に使ってもらうのじゃ駄目なの?」
「うーん。皆で使うとなると難しいよね。野菜を入れっぱなしにしたり、使い方が乱暴で壊しちゃう人もいるだろうし」
何事も完全にタダで自由に使えるとうのは良くない。
いずれは地区、家、個人という管理単位で所有してメンテナンスするようになるんじゃないかな。
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野菜洗い樽で経験を積めたので、少し大きな樽で衣類の洗濯でも自動化に取り抱えることにした。
「ねえ父ちゃん、手伝ってくれる?」
「ああ。何をすればいいんだ?」
衣類を入れられる樽となると、僕が運ぶには少し大きい。
父ちゃんにお願いして、大きな樽を用意してもらった。
「毛皮がひっかからないように内側は綺麗にしておかないとね」
野菜を洗う場合は木目の多少粗さが却って皮や鞘をとる働きをしてくれるものだけれど、衣類を洗う場合はほつれや破れの原因となる。
僕は横倒しの樽に入り込んで、鉄製のナイフで丁寧にバリやささくれを取っていく。
「あれ。回しただけだと、駄目なんだ」
地面に置いた樽の中で毛皮の服を回してみたら、地面のあたりを滑るばかりで上の方に回っていかない。いわゆる叩き洗い、という状態にならないのだ。
「洗濯機はどうなっていたかなあ…」
もはや記憶が薄くなったドラム型洗濯機の構造を思い浮かべてみる。
「遠心力が高ければ張り付く?そういえばボコボコと穴や出っ張りがあったような…」
細かい細工は無理そうなので、とりあえず内側に三角形の木材を数カ所に貼り付けることにした。これで樽が回転すればある程度は上部まで衣類を運んでくれて、叩き洗いの状態を作ることが出来るだろう。
「洗剤も欲しいんだよね…」
叩き洗いだけでも長時間続ければ綺麗になるだろうけれど、洗剤として目をつけているものがある。白樺の葉だ。白樺の葉には豊富なサポニンが含まれており、僕たちもサウナに入るときに白樺の葉がついた枝を持ち込んで、体を軽く叩く風習がある。
洗い目の麻の袋に白樺の葉を詰めて一緒に洗えば綺麗になりそう。
「あとは、どうやって止めるかなあ」
回転を抑えるブレーキの機構も必要だ。ときどき壊れた洗濯機の洗濯槽が飛び出す事項が報じられることがあるように、重量物の回転が蓄えている運動量はかなりのものだ。止めようと迂闊に手を触れると手か指が無くなりそう。
上流に堰をつくって水を止める、ベルトの摩擦で回転を止める、などの方法が思いつくけれど。いずれも野菜洗いの樽よりは、少しだけ工事が必要だ。
「ねえ父ちゃん…」
「おう。任せておけ。母さんの仕事が楽になるんだろうしな」
僕は父ちゃんの手伝いを得て、洗濯樽の試作と改良に邁進する。
ほどなくして出来上がった洗濯樽は村の女衆たちに大変な評判を呼び、野菜洗いの樽にもまして、利用を求める女衆たちが長蛇の列を作った。




