第198話 フギンの箱の価値は 8歳 春
「フギンの箱…!」
倉庫にいる村人たちが多少の畏怖を込めて、その名を囁いた。
要するに風選機なんだけど、原理がわかる機構部分は隠してあるから、上から大麦をざらざらと入れると大麦と屑藁が分離される不思議な箱、のように見えるはず。
実は箱の裏では風を送るためにハンドルを回す人が頑張ってるんだけど…。
「これがなにか?」
冒険的商人であるソルゲイルは、怪訝そうにフギンの箱を眺めた。
交渉人の人はそれには取り合わず、倉庫の地面に麻布をばさりと広げて、そこへ大麦の袋の中身をぶちまけた。
「お、おい!」
「あー。かなり湿ってますねえ」
麻布の上に広がった大麦の粒は、ところどころで濡れて固まりダマになっている。
濡れてしまった大麦には、価値がないと買取拒否されることが多い。
なぜなら、いつから濡れていたのかわからない上に腐っていることも多いからだ。
冬の荒波を超えて運ばれてきたのだから仕方ない面はあるが、腐った大麦を買う者はいない。
また、売り手もその程度の損失は見込んで値段をつけるものだ。
「とりあえず濡れていそうなものは取りのけて、と」
交渉人はスパジ(シャベル)で、広げられた大麦を取り分けた。
だいたい2割ぐらいが取り除かれた。
「さて。残ったものをフギンの箱にかけます」
交渉人がフギンの箱の上部から残った大麦をスパジで順に注いていくと、バタバタと音がして風力が送り込まれ、片方の口からは藁屑が。もう片方の口からは大麦の粒がざらざらと流れ落ちて来る。
「なんか…藁屑が多いね」
「ああ。だいぶ質が悪いな」
僕以外の倉庫に立ち会った見物人からも、大麦から分離された藁屑の多さに眉をひそめる声が漏れる。
目分量では、3割近くが藁屑に見える。あんなに藁屑が混じっていたら、海の湿気を吸って中の大麦が駄目になるのもわかるよ。
水で濡れた大麦が2割。藁屑が3割。
結果として、大麦の袋は正味で半分の価値しかないわけだ。
いや、濡れた大麦の腐った見えないカビなどが伝播しているリスクもあるから、価値は実質3割もいけばいいところだろう。
普通なら買取を拒否するのもやむを得ない代物だね。
「ま、待て!それは一体なんだ!?詐術だ!箱の中で入れ替えているんだ!」
冒険商人は焦り、非難の声を上げた。
倍の値段で売れると見込んで持ち込んだ商品が、眼の前で3割以下と査定されてしまったのだから、焦るのは理解できる。
おそらくは仕入原価を下回ってしまいそうなんじゃないかな。
商人としては大損害だろう。
「うーん…詐術じゃないんだけどな…」
僕は交渉人を呼んで、もう一袋の大麦もフギンの箱にかけるように伝えた。
新たに、大麦の袋の中身が麻布の上にぶちまけられて、山を作る。
「詐術ではないことを証明しましょう。フギンの箱にかける前の大麦の山があります。こちらの大麦と藁屑の一部に色をつけましょう。もちろん色を付けた分は買い取りますよ」
交渉人に指示して、消石灰で白く色をつけさせる。
「この大麦の粒と藁屑を山の中に入れます。どこでも好きな場所に突っ込んでください。もしも白い大麦が箱から出てきたら、中身を入れ替えた、という疑いは晴れるでしょう?」
「あ、ああ…そうか。よしっ!入れたぞ!」
色のついた大麦と藁屑を受け取った冒険商人は、未分別の大麦の山に突っ込んだ。
いま一度、フギンの箱の上部からスパジで大麦が流し込まれ、藁屑と大麦の粒が別々の口から吐き出される。
そして吐き出された藁屑と大麦には、白く染められたものが含まれていた。
「ば、馬鹿な…」
「フギンの箱は嘘をつきません」
肩を落とす冒険商人に、交渉人が冷たく指摘する。
まあ、ただの機械だからね。
嘘をつくなんて高度な機能はついてない。
ここから冒険商人は、どんな言い訳をして逆転を図るんだろう?
大麦が濡れたのは荷運びの人夫が地面に落としたせいだ、と難癖をつけるとか?
僕と一緒にことの成り行きを眺めていた村人たちも
「いやあ、商人というのは油断できんものだなあ」
などと呑気な感想を述べていた。
やはりしばらくの間は、村での個人相手の取引は禁止したほうがいいね。
海千山千の商人にかかれば、うちの村の素朴な村人相手の商売なんて赤子の手をひねるようなものだもの。
商品を買い叩かれたり、知らぬ間に莫大な借金させられたりしそうだ。
「ちょっと酷い品質ですねえ。とても買い取りはできませんね」
「ま、待った!少しこちらに手違いがあったようだ。一部の荷を入れ替えたい」
冒険商人が船員たちに指示をして、大麦の袋のうち明らかに水を被った跡のあるものを倉庫から持ち出し、輸送船にあった状態の良いものと入れ替えを始めた。
全体の100袋のうち、30袋ぐらいかな。
「どうしますか?取引を続けますか?」
「うーん…まあ取引の練習として買ってもいいけど…」
交渉人と僕で密かに相談する。
お互いに信頼関係がない状態での取引って難しいね。
どこまで妥協するのか。そもそも次回の取引があり得るのか。
取引をしない、というボトムラインはどこに引くべきか。
いわゆる取引の呼吸、というやつがわからない。
僕たちには、商人としての交易の経験が圧倒的に足りないんだ。
「半値…だと向こうも利益はゼロか。6割までなら出してもいいかな」
「わかりました」
大麦酒には使えなくても、村人に配布する食料にはできるだろうし。
それよりも「大麦は秋に出来るだけ新鮮で安価なものを信頼できる商人から大量に購入し、村営の低温貯蔵庫に貯めておくべし」という調達方針が定まったのは収穫と言えるかもしれない。
交渉人が買取価格のことを伝えると、曇っていた冒険商人の顔がぱあっと明るくなった。
買取拒否されて全てを持ち帰らなければならない、と覚悟していたのかもしれない。
まあ、あれだけ品質に問題がある、と誰の目にも見える形で示されてはね。
商人の口八丁手八丁で何とかなる範囲を超えている。
それで取引が終わるかと思いきや、冒険商人は調子づいて身の程知らずなことを言い出した。
「な、なあ。そのフギンの箱を売ってくれないか?」
ぎろり、と大勢の村人に睨まれているのにも気が付かない様子で、冒険商人は熱に浮かされたように、その舌を回転させ続けた。
「もちろん、神器だということはわかるとも。だけどなあ、そいつの力は大変なものだぞ。全ての大麦の藁屑をあっという間に取り除けてしまえるんだからな!
一隻の輸送船で運べる大麦の量がまるで違ってくる!つまり儲けも全然違うってことだ!そいつを大きな街の港に持っていけば、どれだけ儲かるかしれないぞ!
断じて、こんな僻地の寒村に置いてあっていいものじゃない!」
おいおい。商品が欲しいのに村を貶してどうする。
倉庫にいる村人たちの冒険商人を見つめる視線に、かすかに敵意が混じり始めているじゃないか。
それにしても。箱の原理はわからなくても、もたらす利益はわかるものなんだなあ…。ちょっと侮っていた。
さすが商人。利益には聡い。
ただ、それを他所で言いふらされては困るなあ。
急に気温が下がったかのような錯覚を覚えるほどに、冷え込んだ場の空気を汲んだのか。
「どうします?消えてもらいますか?」
と、交渉人が小声で僕に耳打ちした。




