第197話 春の最初の交易の学び 8歳 春
フィヨルドの長い冬が去って、家々の屋根を覆っていた分厚い雪も消えた。
家畜たちが狭い小屋から解き放たれ、青々とした傾斜地へと駆けて行く。
久しぶりに浴びる陽光に村人たちも歓喜の声をあげ、重い毛皮の防寒着を脱ぎ捨てる。
厳しい冬を耐え抜いた人々は、暖かい春の息吹を存分に肺に吸い込んだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「パン焼き、はじめてくださーい!」
「はいよー!」
港の傍に新築されたパン焼き窯に薪がくべられる。
パン焼き窯の熱は煙道トンネルを通じてサウナへと伝わり、洗濯乾燥室と冷燻室を温めていく。
冬の間に建築した船員を歓迎するための熱複合機関が煙を吐いて稼働し始めた。
ただ一隻だけで村へやって来た交易の輸送船を歓迎するためだ。
まだまだ波が荒く海も冷たいというのに、勇敢なことだね。
いつの時代にも存在する、競争相手がいないうちにリスクを冒して利益を獲得に行く冒険的商人、というやつなんだろう。
せっかくの機会なので、交易船を歓迎するためのルーチンの村人の練習台とさせてもらうかな。
なにせ僕たちの村は、つい昨年まではただの半農半漁の僻地の漁村でしかなかったわけで、貿易港としてはまだまだ新人。
実務については、ほとんど素人なのだから。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
新しく整備された港へ、輸送船がやって来た。
長船と比較すると、全長が短く幅広で多くの荷を積めるようになっている。
船員の数も少なめで、6人から8人程度に過ぎない。
これくらいの人数だと、村の方でも余裕を持って歓迎できそう。
僕も現場の状況を知る必要があるので、歓迎の人たちの末席に並んで待った。
ところがね。いきなりのトラブルが起きまして。
「そちらの名前は?どこの村の推薦を受けているんだ?」
「なんでそんなことを聞く!疑うのか?」
なんと入港した冒険商人のやつが名乗りも推薦人を教えることも拒否したんですよ。
冒険商人は、たぶん若いんだろうけど長い航海で髭が伸びててよくわからない。
腕っぷしにも自身があるタイプなのか、強気の態度を崩さないんだよね。
この村は北方21星の大結束の中心地なわけで、身分照会ぐらいは当然のことだと思うんですが。
冒険商人からしたら僻村だと舐めているみたいで。
いろいろと最新設備は備えてるんですけどね。
知識がない輩には、設備の新しさや凄さが判らんみたい。
「ああ、じゃあ交易はなしで。お帰りください」
「ま、待て!こちらは遠路はるばる新鮮な大麦を運んできたのだぞ!大量に買い付けているそうではないか!食料に困っているのではないのか?」
僕が担当者に拒否の合図を送ると、とたんに貿易商人は慌て始めた。
「あー…なるほどねえ。食料ね」
大量の大麦の買付けは、事象を知らない他所からは食糧不足に見えるのか。
だから最初に居丈高に振る舞って、足元を見て高値で売ろうという交渉技術の一環なわけね。勉強になるなあ。
でも、そういうの僕は嫌いです。
どうしようかなあ。怪しいから追い返してもいいんだけど、村の人たちに新規の交易商人の取り扱いの練習もしてほしいし。今回だけは取引してみようか。
シグヴァルド様の使いの商人たちは、そのあたりしっかりしていたからなあ。
僕は交渉担当者の横に立って、交易継続の合図をする。
「改めて伺いますが、お名前と推薦人の名前を」
「ソルゲイルだ。推薦人はシグルドソン。羊皮紙もある」
「拝見しましょう」
冒険商人のソルゲイルからは、渋々とした態度で一応の推薦の羊皮紙というか許可証的なものを見せられたけれど、現代会では、これが偽造だったら確認のしようがないのよね。
やはり勘合貿易的な割符を作らないとダメか。
今年の大クナトルレイク大会のときに、参加する村々に配ることにしよう。
「わかりました。次に貿易品の検査をします」
「なに!それこそ横暴だ!信用しないのか?」
「いや、交易品を見せてもらわないと値付けも交易相手の紹介もできないでしょうに。それに奴隷などを交易されても困ります」
うちの村は貿易港としては新参者だし、運営もド素人ばかりなので、村人個人の直接取引は禁止しているし、買付などは大麦を除いてはやらない方針。
そして奴隷の取引も禁止している。
これは人道的な話ではなくて、流行病と誘拐を防ぐためだね。
他の地域から連れて来られる扱いの悪い奴隷は流行病を持っている可能性もあるし、奴隷と偽って、うちの村の技術を持った人間が誘拐されたりする恐れもある。
「ぐっ…だが見ているからな」
「お好きに」
冒険商人が積荷の検査を嫌がるのも判るんだよね。
検査と称して、貴重な積荷を懐に入れることが横行する時代から。
でも、うちの村ではそういう収賄は僕が許しません。
ちゃんと給与は払うから、厳格にやってもらう方針なのである。
「なるほど。大麦が中心ですね。品目に嘘はないようだ」
「ああ!各地を回って買い付けてきたものだからな!新鮮な大麦だ!」
冒険商人が胸を張って言うように輸送船にぎっしりと積まれた大麦は麻の袋に詰められて、波に濡れないように皮の覆いが被せられている。
だけど、荒い海を渡ってきたせいか、かなり波をかぶってしまっているように見えるし、浸水した海水が下に積まれた袋を濡らしている。
「まずは荷揚げします。こちらで人員を手配して倉庫に運びますが」
「待て!こちらからも人員を出す!」
冒険商人が荷揚げの手伝いという名目で立ち会いを要求した。
これも目的はわかるんだ。
港での荷揚げにおいても、ちょいちょい荷揚げ人が交易品をかすめ取ることがよくあるからね。荷抜きとか掠りとか専門の用語があるくらい。
これも、うちの港では許しませんけど。
ただでやらせるから、そうした行為が横行するんだ。
「いち、にい、さん…」
荷揚げ人夫に運び出させる袋と、倉庫に納められる袋の数が同じかどうかを確かめるため、冒険商人と船員が輸送船と倉庫の入口の双方で数を懸命に数えていた。
なるほどなあ、そういう用心が必要なのか。勉強になる。
「どうします?全部を卸しますか?」
「いや、とりあえず100袋だけを卸す」
うちの村でぼったくるのは無理だと思ったのか、200から300ぐらいありそうな大麦の袋のうち、100袋だけを卸すことにしたみたいだ。
手が空いている村人も多かったので、せっせと運べばすぐに運び込みが終わる。
「さて、価格だが大麦一袋が半銀片ではどうだ?」
「…高いな。秋の大麦よりもずっと高い」
「おいおい冬を越した春の大麦だからな!それぐらいは普通だろうが!」
オウラというのは、このあたりで最もよく使われる銀の単位で、だいたいイスラムのディルハム銀貨8から9枚分ぐらい。もっとも決済自体は、銀の指輪とか装飾品を切り離した欠片の重さが重要で天秤を用いて取引されるので、ディルハム銀貨自体が取引されることは少ないんだけど。
そして春の大麦は、秋の大麦の2倍ぐらいの価値がある。
流通が整っていない時代だし、僻村ではそれ以上の値段がつくことも多い。
だから冒険商人も無理をして僻地まで交易に出るわけだね。
質の良い大麦であれば、僕たちの村でも購入してもいいんだけど…。
「袋の中身は調べさせてもらうぞ?」
「ああ?そりゃ構わんが、開けた分は買ってもらうぞ」
そこまで言ってから、交渉人が僕のところにやって来て小声で囁いた。
「トール様、どうしますか?」
「あまり質は良くなさそうだよね…気は進まないけど、あれを出そうか」
僕は背後の村人に合図して、例の機械を倉庫の方で用意してもらうことにした。
一応は板とか布で機構が丸見えにならないようにはしているから、この冒険商人には仕組みは分からないだろう。
冒険商人と交渉人。それと僕を含む数人の村人は薄暗い倉庫に移動した。
「おいおい。なにを始めようっていうんだ?まさか、あの袋全部の中身を全部調べようって言うんじゃないだろうな?そんなことしていたら、日が暮れちまうぜ?」
冒険商人が両手を広げて勘弁してくれ、と大げさに嘆いてみせる。
そういう演技も交渉の技能のうちなんだろうね。
でもね、僕はそういうの好きじゃない。
僕が合図をすると、倉庫の隅に置かれていた機械を覆っていた布が取りのけられた。
それは、まるで大きな四角い箱に2つの小さな口が開いただけの道具に見える。
「今から、全ての大麦を選別します。この『フギンの箱』を使って」
と、交渉人は冒険商人に言い渡した。




