第184話 トールステイン大王伝記 富国裕民の章
デンマーク地方のコペンハーゲン近郊のロスキレには、かつての北方王国の巨大な遺構があり、この地こそが北方王国の発祥の地であり首都でもある、と主張する根拠ともなっている。
王国発祥説の有力な根拠の一つとして示されるのは、トールステイン大王の治世が、この地の民に如何に支持されていたのか、それを示す文書が発掘されたからでもある。
沼地の泥に沈んでいたためか、非常に保存状態は良好で、大王の治世が民にいかなるものとして受け入れられていたのか、その熱狂と忠誠が刻まれた上級ルーン文字の連なりから、現代に生きる我々にも伝わってくる。
引用
見よ、凍てつく北の果て、霜の巨人の眷属を
彼らが万物を凍てつかせんとしが冬の軛をも、トールステイン大王はその剛腕でねじ伏せた
王の照らす治世の元、民の栄えは天の蒼穹に届き、
厳冬の最中であっても、木材を穿つ斧の音と、杭を打ち込む槌の音は雷のごとく鳴り響き、一日たりとも絶えることはなかった
ある日、寒風に震える民が、その窮状を大王に訴えた
「王よ、雪の降り続く中、外で斧を振るう者たちに、凍える身を包む温き衣が足りませぬ。衣服を織るべき羊毛は底を突き、子らは寒さに震えております」
王は静かに微笑み、その双眸に魔力を湛えて手を振るった
「羊毛は冬の矢を防ぐ盾なり。足りぬならば、神々の如く生み出すまで」
王の指先から、ルーンの魔術が閃光となって放たれるや、
積まれし羊毛はまたたく間にユミルの血肉の如く膨れあがり、
冬をしのぐ堅固な家の屋根を押し持ち上げ、天を突くほどになった
女たちは大いに歓喜し、その白銀の山から、夫や赤子のために休むことなく糸を紡いだ
北の海は、霜の巨人が支配せし過酷な季節であっても、
海の主たる神ニョルズの無限の富を、大王の王国へと捧ぎ続けた。
鱈、鮭、鰊は、海面を大波が盛り上がるが如き大群を成し、
トールステイン大王が魔術の糸で繕った網へと、己が身をヴァルハラへの供物の如く捧げた
王国の民は、冬の怒りの中でも、飢えの狼を恐れることはなかった
家々の内はバルドルの館の如く夏のように暖かく、輝かしく清潔であった
民は大王の授けし冷たき煙を操り、溢れる魚を黄金に輝く燻製へと変え続けた
巨大なる燻製所へと山をなす魚を運び込む人夫の列は、ミドガルドの蛇の如く長く、夜も途切れることはなかった
食料庫には、冷たい煙で燻された黄金の魚と、神々の蜜酒のごとき大麦酒の樽がうず高く積まれ、床も天井も隠れて見えなくなった
諸国から大王の徳を慕い、称える者たちが送った大麦の船は、その重みに海中へと沈むほどであり、城内に築かれた大麦の山は、神々の住まうアスガルドの山々の如くであった
王の元で日夜を継いで民政に励む、太陽のアルフヒルドと月のエリスンは、その豊穣の山を見上げて嘆いた
「これほどの大麦、いかにして民の食卓に供すればよいのでしょうか。我らの知恵も追いつきませぬ」
王は北風のごとき声で命じた
「すべての大麦は、民の飢えを滅ぼし、その食卓に高らかなパンを載せるために用いるべし」
大王が右手を一振りするや、王国のすべての河川に、数知れぬ巨木の水車が地鳴りを立てて顕現した
その数はあまりに多く、水車が川を埋め尽くしたため、川の表は一寸たりとも見えぬほどであった
唸りをあげる水車で挽かれた大麦の粉は、香ばしき鱈のパイ、熱きシチュー、ふくよかなパンとなり、かつて薄き大麦の粥のみをすすっていた素朴な北方の民は、涙を流して大王を拝んだ
「これはヴァルハラの宴なり! 我が国はまさに、蜜と乳の流れる地を超えし楽土である!」
豊かな糧と、王のルーンが刻まれた護符を抱いた赤子らは、病の女神ヘルの手を逃れ、大きく健やかに育った
しかし、大王は氷の如き眼差しで世界を見据えていた
「国は満ちた。されど、悪知恵の神ロキに唆されし者たちが、この黄金を奪わんと牙を剥くやも知れぬ。王国の防壁を、ヘイムダルの目よりも鋭くせねばならぬ」
精霊に愛されしエリン将軍が進み出て、その剣を掲げた
「我が王よ、私にお任せを。私は風の精霊たちと固き血盟を結びました」
トールステイン大王は、至高神オーディンより借り受けし万物を見通す眼を授けて言った
「この眼を用いるが良い。世界のいかなる闇も、そなたの目を欺くことはできぬ。」
エリン将軍は大いに力づけられ、若き狂戦士たちを率いて国境の守りについた
王国の豊かな糧を狙い、冥府の女王ヘルと邪神ロキが放った無数の禽獣、異形の怪物どもが、黒き波のごとく押し寄せた
されど、風の精霊を従え、オーディンの眼を宿した大王の魔術の障壁は、いかなる牙も爪も通さなかった
エリン将軍は猛る嵐を巻き起こし、神の眼の烈火をもって、すべての禽獣と病魔をニヴルヘイムの底へと追い払った
かくして、王国は空前の繁栄を迎え、民は王国を地上のヴァルハラと崇め奉った
その評判は九つの世界の隅々にまで響き渡り、悪政を行っていた他国の王たちは大王の威光に震え、苦しみに喘ぐすべての民は「トールステイン大王の足元に伏し、その民たらん」と、北の光が指し示す国を目指して、凍える大地を歩み始めるのであった
以上。引用終わり
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現代でも、北方連合王国の伝統が生きている一部の村では、冬になるとアーティストたちが競って奇抜で巨大な風車を海岸に設置し、最終日に風車を燃やし病魔を打ち払う祈りを捧げるという祭りが残っている。
「一部の民俗学者は、海鳥がもたらす鳥インフルのような流行病への恐れから始まった祭りではないか、と推測しています…」
社会の教師の説明に対して、真面目に授業を聞いていた女子生徒が疑問を投げかけた。
「でもおかしくないですか?トールステイン大王の時代には、インフルエンザとかのウイルスはわからなかったんでしょう?」
「そうですね。当時の最新の疫学では瘴気説と言いまして、空気や家の汚れが病気につながることは経験的に信じられていたようです。何らかの形で、そうしたイスラム圏の知識をトールステイン大王が知っていた可能性はあります。
またトールステイン大王の治世を称える文書には、何度も『明るく清潔な冬の家』という表記がでてきます。これは抽象的な意味で理解されていましたが、実際に冬の家を明るく清潔に保つための技術的な工夫があったのではないか?と遺構の研究から明らかになってきていまして…」
教師のくどくどしい説明は、別の女子生徒のあげる声で遮られた。
「えー?昔の家って、汚かったんでしょ?外で履いた靴のまま家の中も歩いてたんだって」
「うえー!室内靴もなかったの?信じられね―!」
「木靴は履いてたんでしょ?お婆ちゃんが買ってくれた靴、うちにもあるよ?」
わいわいと騒ぎ始めた生徒の様子に、教師は黙って首を振った。
ちょうど、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「よーし、帰ろうぜ―!」
「クナトルレイクの練習に行かないと!」
活発な男子は、盾とスティックとスポーツバックを持って立ち上がった。
冬はクナトルレイクのシーズンでもある。
窓の外には、静かに雪が降り始めていた。
11章 了
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