第183話 塩が欲しい 糸を紡ぎたい パンが食べたい 7歳 冬
塩が欲しい。安価な塩がたくさん欲しい。
塩がたくさんあれば、北方の豊かな水産資源を、もっともっと有効に活用できるはずなんだ。
動力船で根こそぎ乱獲なんて時代が来るまでは、海の幸はいくら獲っても平気なはずだし。
「…でも今年は無理かなあ」
なんと言っても働き手が足りない。
それに、もっとも大量の塩を必要とする鱈の漁期は終わるからね。
「テストもしたいし…実験が足りない」
僕の考える自動凍結式塩田(仮称)は、頭の中だけでのアイディアなので、幾らでも検証すべき点はある。
そもそも水くみ方式は桶でいいのか?桶を吊るす紐は革でいいのか?水槽の深さはどの程度が必要なのか?浅いと底まで凍りつかないか?水槽を結ぶ導管の太さはどのくらい?凍りついたりしないか?などなど。
ちょっと考えるだけでも、いきなり大規模工事をする前に小規模施設で実験したり改良したい点は多いんだ。ちゃんと細かい仕様やアイディアの確からしさを詰めてから工事にかかりたいものね。
本当なら、ひと冬かけて父ちゃんに手伝ってもらいながら実験したいんだけど、父ちゃんも僕も、他にもいっぱい仕事を抱えているもんなあ…。
とりあえず来年までの課題にしておこう。
交易で入ってくるだろう岩塩の輸入価格も投資判断のために知っておきたい。
「あーあ。赤道直下の国なら、浅い海水たまりに防水シート敷いておくだけで塩ができるのにー」
どんよりと曇ったフィヨルドの空を見上げる。
雲に遮られた太陽の光は弱々しく、海からは凍りつきそうに冷たい風が吹き付けてくる。灰色の雲からは、ちらちらと雪が降り始めていた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
数日後、フィヨルドからの乾燥した冷たい風に吹かれ続けた鱈の表面がよい具合に乾燥してきたので、冷燻施設に移されることになった。
浜に村中の人が繰り出し、杭に吊り下げられた鱈のカーテンを下ろしていく。
「ほら!早いところ、その不気味やつを片付けなさい!」
「母ちゃん、これは鳥威し!海鳥に効果あるんだってばー」
「あーはいはい。とにかく邪魔だから片付けて!」
子どもたちが鱈を干す杭に縛り付けていた、風車の鳥威しは大人たちに注意されて片付けさせられている。
クルクル回っていてピィピィと煩いから、作業の邪魔になるし仕方ないね。
「うわーん、風車とられたぁぁああ」
「いちいち泣くんじゃないの!」
風車を無理やり大人に取り外されて、泣きだしている小さい子もいた。
頑張って作ったんだね。仕方ないけど、ちょっと可哀想。
「…やっぱりやるか。コンテスト」
せっかく頑張って作ったものだし、評価されたいよね。
飾られていた風車を回収して、あとでコンテストをやろう。
子どもたちだけで集まって優劣を決める分には、シグリズ様も仕事が増えた、とか文句言わないでしょ。
商品は僕のお小遣いから出せばいいんだ。
コンテストが終わったあとは、村の境にでも立たせておけば、獣よけになるかもしれない。
「はいはい。泣かないで。おやつ上げるから、他の子達と協力して、皆が飾っていた風車を集めてきてくれる?」
とりあえず、手近な子たちに声をかけておいた。
家に運んでもらって保管しておけばいいよね。
デザインや機構にも、けっこう面白い工夫がありそうなんだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
ぱちぱちと鳴るオークの薪。
オークはいいよね。よく燃えるし、なんと言っても香りがいい。
西風炉で燃やされたオークの焚き火の熱は煙道トンネルを通して託児所の床を暖め、社交場のベンチを暖めてから。ついでのように螺旋方式の冷燻所を稼働させる。
村の複合熱機関の仕組みは大規模な冷燻施設についても同じで、宿泊所と家畜小屋の床を煙道トンネルを通じた熱で暖めてから、最後に大規模冷燻施設を稼働させる。
もっとも、冷燻施設の規模には差があるから、ほとんどの鱈は村の大規模冷燻施設の方で処理されることになる。
でも仕組みとしては我が家の冷燻施設の方が進んでいて、内部のフィンのおかげで螺旋に煙が抜けるようになっているから、一度吊るした鱈は位置の入れ替えが必要ないので労力が節約できるんだ。
村の大規模冷燻施設の方は、ときどき吊るした鱈の位置を入れ替えないといけない。
「やっぱりベンチが温かいといいねえ」
「そうそう。お喋りしながらじゃないと、仕事も進まないよ!」
社交場が稼働すると、女衆たちは待ってましたとばかりに、温かいベンチに羊毛とスピンドルを持参して集まり、託児所に子どもを預けて、お喋りをしながら糸紡ぎをする。
トゲトゲ板を使うことで糸にできる羊毛の生産量が劇的に上がったので、女衆も大変だ。誰もが口を動かす以上に、手を動かしている。
「糸紡ぎも、何とかできそうなんだよなあ」
僕は、わた菓子のようになった糸を引っ張り、重りにくくりつけて回転させながら糸にしていく女衆たちの糸紡ぎの工程を見ながら思っていた。
あの回転する部分を、滑り軸受の車で代用できないかな?
手で回転させるのは大変そうだからクランクで踏み車にするとか。
捻じる作業も、木の部品で腕を作ればやれる気がする。
「できる…と思う」
いろいろ考えた結果、今の村の技術水準でも出来そうと確信する。
水車動力式紡績機にしよう、とまでは言わない。
別に北方から産業革命を起こしたいわけじゃないからね。
卓を囲んで女衆たちが話す文化を残しつつ、もうちょっと楽に糸を紡げるようにできないかなあ。
「うーん…ああしてこうして…」
くるくると重りで回る糸を見続ける。
目が回ってくる。
「ちょっとトールちゃん!大丈夫!?」
「…回る…世界が回る…」
あんまりにも集中して糸紡ぎの作業を見つめ続けた結果として目を回してしまい、社交場の人たちを心配させてしまった。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
冷燻所が稼働して数日。いよいよ鱈の冷燻が終わる。
完全乾燥させて数年は保つ保存食にするなら、もっと長期間の冷燻が必要なんだけれど、今回は数ヶ月間保てば良いという味の方を優先したブランド品だからね。
僕は木工職人の工房を訪れる。
「樽の方の準備はどう?できてる?」
「おうよ!揃えてやったぜ!」
木工職人の親方からは力強い返事がかえってくる。
大勢の職人が働く木工所では木を削る強い香りが立ち込め、話している間にもどんどんと樽の完成品が上がってくる。
「新しい木の、いい匂いがするね」
「おう!こいつはイチイの木のいい部分を使っているからな!水漏れもしねえ!」
木工職人が胸を張る。
「それは凄いね。どんどん作ってくれたら、いくらでも引き取るよ」
特製大麦酒、原料の大麦、冷燻鱈。
樽に詰めたい交易品は、幾らでもあるからね。
交易が本格的に始まれば、規格化されていて品質も使い勝手も良いうちの村の樽は評判になることは目に見えている。
交易先で樽が盗まれたりしないように、デポジットが要るかもなあ。
あるいは単純に樽自体を販売してもいい。
精度の高い樽は、それだけで立派な輸出品になりそう。
水車動力のノコギリとか導入できないかな?
夢は広がるね!
当面は側板や天板と底板の部品を近隣の村に外注して組み立てと最終調整に専念するなら、生産量も今よりもっと増やせるよね?
僕が期待を込めて木工職人を見つめると、なぜか顔色を悪くし泣きそうな顔をして髭を震わせるんだよね。
「一緒に頑張りましょうね!」
「…お、おう…」
だから、僕は笑顔を浮かべて力づけてあげたんだ。
「はーい、樽が来たよ―!」
「鱈を詰めるよ!地面に落とさないでねー!」
木工の工房から運ばれてきた新しい樽に、出来上がったばかりの冷燻鱈を大きさや向きを揃えてきれいに並べていく。
「きれいに並べてね!銀貨を扱ってるつもりで!」
「はいよー!」
ちょっとうるさく注意しながら、僕も一緒に鱈を樽に詰めていく。
これは村の女衆だけの仕事にさせてもらった。
男衆に任せると、どうしても鱈の扱いが荒くなるからね。
ブランド品として売り出すから、細かいところまで気を使わないと駄目なんだ。
「それにしても綺麗な樽だねえ。出来たての樽なんだろう?この色合いと香り!」
「冷燻の鱈も見てごらんよ!黄金色で、とっても良い色だねえ。どこの王侯貴族の食卓に出したって恥ずかしくない出来だよ!」
女衆たちがはしゃぎながら、冷燻の鱈を新しく木の香りが立つ樽に丁寧に詰めていく。
「そうです!この樽いっぱいの見事な鱈を王侯貴族に売りつけますよ!北方の田舎で穫れた鱈が、王たちの食卓に並ぶんです!愉快だと思いませんか?
もちろん、相応の銀貨をぶんどってきます!それで、たくさんの大麦を買って、パンをいっぱい焼くんです!そのうちビールの素で柔らかいパンだって作れるようになりますから!」
僕は作業しているご婦人たち全員に聞こえるように、今の樽いっぱいの鱈がどれだけの価値を生むのかを説明する。
誰だって、自分たちがなんのためにどんな仕事をしているのか、知りたいだろうからね。
「いいねえ。王様が食べるのかい?すごいねえ」
「村でも、よくパンが食べられるようになったのは、ほんとトールちゃんのおかげだよ」
水車の製粉所が出来てから、大麦の粉は村内での取引が大量に増えた。
安価な大麦粉が出回ったおかげで、家でパンを焼くことも増えた、という。
「毎日、パンが食べられるように僕も頑張りますからね!」
「おやおや。そんなことになったら若いうちから歯が抜けちまうよ」
「まったくだよ!母さんが婆さんになっちまう」
作業所に、弾けるような笑い声が満ちた。
樽につめられた冷燻の鱈は、男達によってフィヨルドの崖に掘られた横穴に運ばれて保管され、春になったら出荷されることになる。
翌春、村から出荷された樽詰めの冷燻鱈は「黄金のフギンの鱈」として大評判を取ることとなり、物珍しさもあって風乾鱈の10倍近くの値で取引された。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「トール。そろそろ子どもクナトルレイク大会の開催について話し合いたいのですが。それと、浜一帯に飾られていた恐ろしげな風車についてですが…」
「うへえ」
シグリズ様から、またまたお仕事の相談が降ってくる。
ほんの少しだけ、ひもじくて寒かったけれど、暇な時間だけはたっぷりあった以前の冬が恋しくなるね。
第11章 終わり
明日は、トールステイン大王伝記の回です。




