第180話 冬の海がもたらす恵み 7歳 冬
冬は多くの動物にとっては試練の季節。
低く垂れ込めた灰色の雲は太陽を遮り、大地に積もった雪は草や樹の実の恵みを覆い隠してしまう。
「もうっ!しつこーい!あっちいけ!」
ピイィィッ!
聞き慣れない甲高い音を発して飛行する物体に驚き、海鳥たちが逃げ散る。
だが警戒心と恐怖も、飢えには逆らえない。
海鳥たちも、必死なのだろう。
追い払っても追い払っても、浜の鱈を狙ってくる。
「ギャッ!」
子どもたちが棒を使って投げる石が掠ったのか、ときどき羽を散らして逃げる海鳥。なかには小石をいくつも載せて散弾のように同時に投げる子までいるし。
「いい加減あきらめたらいいのに…。そうできないのもわかるけど」
僕たちにとっても、冬は厳しく耐え抜く季節。鳥たちにとってもそうだろう。
我が家もついこの間まで、父ちゃんが伐ってくる僅かな薪を少しずつ家の焚き火にくべて肩を寄せ合いながら、減っていく薪と風乾鱈を数えて春を待つような暮らしをしていたんだからね。
「しかし北方の冬の海の豊かさってのは凄いよなあ」
浜にところ狭しと積み上げられて塩と重さで水抜きされている鱈の櫓の多さを見れば、飢えに悩まされる陸地と比較して、冬の海がどれだけ豊穣であるかがわかる。
この冬の海の豊かさはいったい何によってもたらされているのか。
僕の乏しい知識によれば、南から海流を通じて暖かく豊富な栄養が流れ込み、北から豊富な酸素を含んだ冷たい海流が流れ込んで、ぶつかり合う。
夏の間に温められた海水が、冬になり冷えて重くなることで沈み込むと、深海の栄養豊富な海水が入れ替わるように上昇する。
こうして、水温が安定していて栄養と酸素が豊富な海域が誕生する。
多くの動物プランクトンが繁殖し、動物プランクトンを狙う小魚が集まり、小魚を餌とする大きな魚が群れを作り、繁殖する。
巨大な鱈が集まるのも、稀に見る好条件を備えた海域での繁殖のためなのである。
僕たちは、地球の大循環における海流の仕組みの恩恵を少しだけ掠める形で生かされているんだ。
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「わあ、でっかいタラコ…それに白子もすごいや」
鱈の肝臓が飲む太陽なら、タラコは海の果実であり、白子は魚のミルクである。
新鮮な鱈を持ち帰れるようになったために、繁殖期の鱈の雌からは鱈子が、雄からは白子が取れる。
どちらも栄養豊富で、新鮮な鱈からしかとれない人気の食材だ。
女衆たちは鱈の解体にあたり、白子や鱈子も別の樽に分けておいてくれた。
そして鱈子のサイズときたら!
1メートルを超える巨大な鱈の雌からとれる鱈子は大きさも重さも規格外。
大きさは人間の二の腕ぐらいで、重さは数kgに達するものもある。
ほとんどピンク色の枕のよう。そして中身は小さなサイズの卵がびっちりと詰まっているのだから!
大きさについては白子も負けていない。
巨大な雄の鱈の腹を裂くと、左右に白く太い綱のように幾重に折りたたまれた巨大な白子を見つけることができる。白子特有のひだがびっしりと入った形状で、伸ばせば長さは50cmほどにも達する。
「ねえ。これはどうやって食べたらいいの?」
「おや、トールちゃん。そうだねえ…こんなに立派な鱈子や白子がたくさん手に入るのは、村でも初めてだからねえ。普通は鱈子は茹でて、ぶつ切りにして食べるね。白子は、鍋で茹でて食べるかね」
鱈の残りを処理していた経験がありそうな御婦人の一人に聞いてみたんだけど、あんまり料理の工夫はされてないみたいだった。
あまり手に入らない食材だし、塩とハーブしかなかったら料理の発達しようがないか。ここは料理系インフルエンサーの母ちゃんに期待だね!
今日の晩ごはんが楽しみだ。
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「ねえトール、ちょっとこれ見てほしいんだけど」
家に帰ると、少し疲れた様子のエリン姉が白樺トンボを持ってきた。
僕が知っているやつとは、ずいぶん形が違う。
「エリン姉すごいねえ。鳥を追い払うのを見てたよ。どんな工夫をしたの?」
「ふふっ!凄いでしょう!あれはね、ここの羽の穴が鳴るのよ!」
僕が称賛したら、エリン姉は途端に嬉しそうな笑みをうかべて白樺トンボを僕の顔に近づけてきた。
「ふうん。この穴が…。丸い穴じゃなくて、細長い四角なんだね。それに先っぽの方だけに空いてる」
「そうなの。ちょっとでも軽くしたくて穴を開けたんだけど、丸い穴だと力が抜けちゃうのよね。それに先っぽに開けたほうが、よく音が鳴るの」
受け取った白樺トンボを見ると回転速度を増すために先端のほうがやや細くなっており、スリットのような形状の細い穴が開いている。
いやあ、すごい。簡単な計測装置を使って、独力でこの構造にたどり着いたんだ。
「すごくよく出来ていると思うんだけど、これをどうしたいの?」
「これをね、もっと強く回して高く飛ばしたいの」
もっと高く、か。
回転数を増やすだけなら、実はあんまり難しくない。
「羽だけが分離するようにするのは?2つの穴をあけて、回す方に2本の出っ張りを残すんだ。強く回すと、羽だけが飛んでいくようになるよ」
よくある竹とんぼの仕組みだね。持ち手の分だけ、かなりの重量軽減と飛行時間の増加につながるはずだ。
「それと、手で回さない仕組みが欲しいね。高速で回転させるには…」
小さくて頑丈がギアがあればベ◯ブレードみたいな方式でもいいんだけど。
我が家にある高速回転させるもの…。
「エリン姉、ちょっと要らない弓を貸してくれる?」
「弓?まあ昔作ったやつでいいなら…」
エリン姉は狩猟用の小さな弓をいくつも作って持っている。
そこにゆるく縄を張る。
「筒があると簡単なんだけど、まあいいか。原理はね、弓を使った火起こしと一緒なんだ。こうして白樺トンボの回転軸に縄を巻き付けて弓を下に引くと…」
ブルルン、と棒がものすごい速さで回転した。
火起こしの際は回転を摩擦に使って着火させるのだけれど、この回転を羽に伝えればいい。エリン姉が小さな手で軸を回すのとは比較にならないエネルギーを生み出せるはずだ。
「わー!トール、すごい!ほうほう、そうねえ。火起こしの弓を使って…ちょっと貸して!」
「エリン!すぐご飯にするわよ!手伝いなさい!」
「えー!いいところのなのにー。トールこれ持ってて!」
エリン姉は工作を始めようとして、母ちゃんに怒られて手伝いに向かった。
「いやあ…でもこれはすごいなあ…」
僕はエリン姉から預かったスリット入りの白樺トンボを、手元でくるくると回す。
見れば見るほどよく出来ている。
なんとなく横にして、くるくると回してみた。
「あれ…?」
これは別の用途に使えそうな気がする。
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「はい。今日は新鮮な鱈が山ほどとれたから、鱈づくしよ!」
「わー!すごーい!」
「うむ。美味そうだ」
「鱈子欲しい!あと白子!」
新鮮な鱈が捕れるのは1年に数回だけ。
そして白子は保存がきかないので、食べきってしまうしかない。
そして巨大な鱈子!これも美味そう。
「はいはい、今切り分けますからねー」
鱈子は崩れないよう慎重に湯であげられたあと、ソーセージのように数センチずつナイフで切り分けられる。
「おー!プチプチしてる!」
魚介類の味は時代を超えても同じ。巨大な鱈子は美味い。
ちょっと潰して、大麦パンに塗ってから焚き火で焦がして食べる。
「美味しーい!」
「おっ。なかなか美味そうな食べかたじゃないか」
「あたしもパンに塗るー!」
そのまま食べて良し。塗って食べても美味い。
塩漬けにして、長期保存して食べるのも良い。
北方の冬の気温であれば、冬期の保存食にはなるだろう。
鱈子は冷燻しても美味しそうだなあ。
「はいはい。魚のミルクも食べてね」
「「はーい!」」
白子は崩れやすいため、鱈鍋の具に最後に入れる。
ほろほろに崩れた鱈の身や肝臓と一緒の鍋に、そっと載せられた白くヒダの入った白子を、崩しながら啜るんだ。
「おいしい!」
「魚のミルクと一緒なら肝臓も食べられる!」
「ははは。しっかり食べて大きくなれよ」
数年前の、ひもじく寒かった団らんは今はない。
空腹に胃袋を鳴らし、寒さに震えながら肩を寄せ合い、たた春を待つだけだった北国の冬は、ここにはなかった。
大鍋の中でふっくらと咲いた白子の綱と湯気が、家も体も温めてくれる。
今、僕たちの手には、冬の最高の恵みと温かさがある。




