第137話 仕事の丸投げはしませんから
僕が周囲の微妙な反応に戸惑っていることに気がついたのだろう。
「トール、皆が怯えていますよ」
と、シグリズ様が、僕の耳に口を寄せて教えてくれた。
怯えている!?
なるほど…彼女たちは膨大な量の仕事を丸投げされたように感じたのかもしれないね。それはいけない。
僕は、仕事を丸投げするのもされるのも大嫌いなのだ。
「大丈夫。安心して下さい!皆さんにがお酒を安心して造れるように、造ること以外の分は僕と村長婦人でサポートしますから!ね、シグリズ様?」
「え、ええ。もちろんです」
シグリズ様の同意が得られたので、僕は具体的なサポートの内容を伝えることにした。
精神的なサポートとかでは空手形も同然だからね。
具体的な条件を伝えないと。
「まずは、御三方には2人ずつ弟子を付ける予定です。なにせ酒造の親方になるわけですから!一人で仕事を抱え込む必要はありません。必要があればもっと増やします!」
人員増強の約束をする。どう考えても3人で出来る事業ではないからね。
最終的には村の女衆の殆どが関わる大事業に成長させるつもりなんだから。
「それから、酒造専用の工房をここに建てます!石の床で排水設備がきちんとしている清潔な関係者専用の工房です。関係者専用のサウナも建てますよ!
おまけに川から綺麗な水を引いてきて、髪と手足を常に綺麗にできるようにします!村長婦人が髪を洗うために使っている液体石鹸も提供します!
さらに酒造の職人専用の衣服も作って提供します!髪留め用のヴェールもつけましょう!」
専用設備の建築、清潔度を保つための衣服と衛生用品の提供も約束をする。
村で酒造りに従事していると尊敬されるような風土や雰囲気もつくっていきたいね。
若い娘が働きたいと憧れ、酒造所に勤めている娘なら嫁に欲しい、と望まれる職場にするのだ。制服の提供は、清潔度と合わせて職場のブランド化のためでもある。
「作り上げたお酒は、専用の樽に詰めて蜜蝋や樹脂で封印します。保管のための横穴にはおがくずや枝を敷いて地面から伝わる熱を減らした上で、雪や氷で冷やしておきます。いわゆる氷室ですね。外の扉は二重にして外気が入らないよう人の出入りは最小限にしましょう。氷室の中でも何区画かに区切るのも良いかもしれません」
酒類の長期保存のために必要なことは、酒精成分を高める、製造時の清潔度を挙げる、保管時に空気を遮断し低温を保つことである。
専用の工房を建設し、衛生関連の設備と道具を整備して、長期保管の設備を改築する。ここまで一通りやり切れば、特製の大麦酒もかなりの長期保存が可能になるはずだ。
夏場でもせめて1ヶ月ぐらいは美味しく飲めるよう保管ができるようになれば、1日あたりに仕込まなければならない大麦酒の量を減らし需要のピークに合わせた作業の平準化ができるようになる。
要するに、今、頑張れば後で楽になるのだ。
「あ、あわわ…」
「そんな大事にしてもらわなくても…」
「お、お酒を造るだけなんだろう…?」
すっかり恐縮している酒造り三人衆を安心させるために、僕は言葉を重ねる。
「皆さんは北方一の大麦酒を造る、と言ったではないですか。ですから北方一の大麦酒は、北方一の工房と設備から生み出され、北方一の体制で保管されなければ片手落ちというものです。僕とシグリズ様は、そのための資金とサポートは惜しみません。
ね?シグリズ様?…いてててっ!」
なぜか笑顔のシグリズ様にお尻を思い切りつねられた。
「ええ!もちろんサポートしますとも。おほほ」
笑顔がちょっと怖い。
だって何でもサポートするって言ったじゃないですか。
ちょっと相談が足りてなかったかもしれないけど、大規模に酒造業をやるっていうのは、そういうことだし。
あとは人員の育成も必要なんだけど、これはどうしようかなあ。
弟子をつけるけれども、職人さんは教育が苦手なことが多いし。
「業務の文書化は…僕がやるしかないかなあ」
最初は僕がしつこく付きまとって、作業の一つ一つの意味を聞き出して書き留めるしかない気がする。いわゆるマニュアル化だ。
年間50回も試行回数があるわけだし、素人の僕でも10回ぐらい付きまとえば何かしら書けることはあるだろう。
ただ書き留めた内容を読める人は少ないから、読み上げてもらう人を専門に充てて、酒造に従事する職人さんには読み聞かせをする方式にするかな。
男衆向けのクナトルレイク競技総則の広がりで気がついたことなんだけれど、ルーン文字を書けないけれど読める人、というのは一定数いるのだよね。
読めるようになることは、書くことよりもかなり教育ハードルが低いっぽい。
女衆全員にルーン文字の読み書きの教育を施すのは非現実的なので、過渡期と割り切ってやれることをやれる範囲でやっていくしかないよね。
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「ええと、ここに工房を建てて。水の手はあちらの川から引いてきて…」
お酒造り三人衆を帰した後、僕はせっかくだからと、酒造工房の建設予定地を歩き回り、仕事の流れをイメージする。
原料を搬入し、製造し、出荷し保管する。
人が出勤し、身を清め、退勤する。
綺麗な水を給水し、使用し、排水する。
それぞれの動線がぶつからないよう、滞りがないように設計するのは楽しい。
「うーん。ここの岩は取り除いておきたいな。排水はあっちに流さないと…」
いい感じの枝を見つけて、がりがりと地面に線を引く僕の姿を、半ば呆れ顔で村長婦人が見守っている。
「トール、そろそろ戻りませんか?」
「えーと、あと少し…。先に戻っててもらえませんか?」
「風邪が治ったばかりで、馬にも乗れないあなたを一人で置いていくわけにないかないでしょう?」
「あっ!そうでした…」
村長婦人からすれば、病み上がりの子供をたった一人でフィヨルドの中腹に置いていくわけにはいかないか。
狼が出たりするかもしれない土地だし。
うーん。僕は早く馬に一人で乗れるようになりたい。
僕は枝を放り投げ、荷物をまとめて村長婦人の馬に載せられる準備をする。
酒造りについては、やることは多いけれどだいたいの方針は建てられたと思う。
あとは人員や予算の手配をするだけだし、長屋敷の方でもやれる。
「…あら?」
「あっ…」
ブォオオオッ…。と、フィヨルドの下方、村の方角から角笛の音が聞こえてきた。
見張りの誰かが吹いている音だ。
緊急の合図ではないようだけれど、襲撃のあった直後だけに、どうしても反射的に緊張してしまう。
「トール。うちの人とグリームルが帰ってきたようですよ。長船と帆のフギンが見えます」
「えっ!?父ちゃんが?」
馬の背から精一杯伸び上がって見れば、青々とした海面をたたえるフィヨルドを、フギンの帆を張った長船に続き、数隻の長船が一列に進んで来ているのが見えた。
「先頭は、うちの長船ですね。続いている数隻の長船はなんでしょう?」
「変ですね…賠償の取り立て協力が終わったら、それぞれの村に帰る約束だったはずですが」
北方21星の大結束は最初の協力行動を終えれば、一旦それぞれの村に帰り今回の協定について周知することになっている。
今後の連絡体制や具体的な軍事防衛についても詰めるべきことは多く、いずれはまとまって話し合いをする必要はあるけれども、それは大クナトルレイク大会という場を利用して継続的に話し合うべきことである。
「あの長船は、なんでしょうね…何か不測の事態でも?」
「とにかく、急ぎましょう」
うちの村の長船に大人しく先導されているあたり、戦闘行動とは思えないけれども。
村長婦人は馬の腹を軽く蹴り、長屋敷へと戻る馬足を急がせるのだった。




