第136話 大麦酒をたくさん造ろう 7歳 晩夏
白波を蹴立て大型の船が活発にフィヨルドを出入りし、港では船から降りてきた男達が酒場に吸い込まれて大酒を飲む一方で、クナトルレイクの競技に湧く大歓声。
それが、僕に見える近い将来のフィヨルドの姿なのだけれど。
「まあ、全ては机上の空論です」
僕は未来の村の姿を想像することを止めて、今ここにある現実へと振り返る。
「まずは北方一の美味い大麦酒ができること。それが計画の前提ですからね。皆さん、良いお酒は造れそうですか?」
「そりゃあできるさあ」
「出来るにきまってる!
「出来ますわよ」
アストリッド、ラグンヒルド、イングリッドの酒造り三人衆からは力強い声が返ってくる。
となれば、あとは実行あるのみ。
彼女らを信じてサポートするしかない。
「シグリズ様。大麦酒の仕込みに使える大麦って、どのくらいありましたっけ?」
村長婦人は少し記憶を探るようにしてから、答えた。
「この時期は難しいですね。夏ですから、一年で最も大麦が不足する季節です。今はせいぜい1樽分ぐらいでしょうね」
1樽分といっても、大麦を約50kg分だものなあ。
家族4人で1月で消費する量なわけで、小さな村の在庫にとっては、かなりの分量なのである。
ちなみに、このあたりの農地で50kgの大麦を得ようと思うと、およそ0.1ヘクタール程度の広さを必要とする。だいたいテニスコート3〜4面分だね。
感覚的には、現代日本の田んぼの10分の1以下程度の収穫量と生産性である、と見れば良い。
「…仕方ないですね。まずは1樽の大麦酒を皆さんが考える最高の方法で仕込んでもらって、まずは可能性を見せてもらいましょうか」
「まかしときな!」
僕は酒造り三人衆に頷いてから、村長婦人の方に向き直る。
「どちらにせよ大麦は大量に買い付けましょう。万が一、特製の大麦酒を交易品として売り出すことができなかったとしても、クナトルレイクの試合へ押し寄せてくるチームに提供する大麦酒は大量に必要です。少なくとも30樽は用意したいところですね」
「30樽ですって!?」
酒造り3人衆の方から悲鳴が聞こえてきた。
だって、その程度の見積もりにはなるでしょう。
20チーム分の20人の大男達が、ガバガバと底なしの胃袋で飲むわけなので、1人が1日に5杯しか飲まない、という控えめな予測をしても1日で10樽は飲む計算なのだ。
トーナメント戦になるかリーグ戦になるか試合形式は定めていないけれど、もしも数日間村に滞在することになれば、日数の分だけ掛け算して必要になる。
30樽は、1チームあたり控えめな飲酒で、たった3日間しか滞在しない、という、あり得ないほど保守的な見積もりなのである。
「もしも、20チームが各2樽ずつお土産に大麦酒を購入するとします。いや、きっとするでしょう。単に飲水としても必要でしょうから。すると20チームに各2樽ですから、40樽上乗せされます」
「30樽に加えて40樽!?」
ほら。もう生産すべき量が倍になった。
「クナトルレイクの試合を観戦するために、試合に参加する村から応援する者たちも来ることでしょう。その者達も選手の半分程度は嗜むのではないでしょうか?すると30樽の半分の15樽が追加されるでしょう。帰りの土産に各1樽ぐらいは買って帰るでしょうね。すると20樽追加です」
これで30+40+15+20樽で、105樽だ。
「あ、あわわ…」
酒造りの三人衆はもう泡を吹かんばかりに慄いているけれど、僕はまた残念な予測を伝えなければならないのだ。
「それに…」
「それに!?」
「まだ村の人間たちが飲む数を足していません。それと、商人たちが商品として購入する分もね。大麦を売りに来た商人は、船に大麦酒を満載して帰りたい、と望むでしょうから」
村の自家消費と交易品としての計算は入っていないわけで、全体倍になってもおかしくはない。酒を飲まない社会は存在しないのだから。
「つまり、それだけの大麦をこの秋にできるだけたくさん買い付けないといけないのですね」
「そうなります。でも大麦の量としては大したことのない量なんです。大樽を200も積める輸送船なら、一隻で済む程度の量ですから」
北方ではクナールと呼ばれる大型輸送船が一度に輸送できる量は、およそ25〜30tと言われている。100リットル入りの大樽なら満載すれば300樽は行ける計算だ。
それだけの輸送力があれば、大麦の輸入も大麦酒の輸出も輸送力という物流面ではボトルネックにはなり得ない。
海運の輸送力というのは、本当にすごいんだ。
昔の軍隊が海岸沿いや河川沿いしか移動できなかった理由もよくわかる。
「200樽程度を仕込める量の大麦は今秋に買い入れたいですね」
大麦が余れば余ったで、村の方で予備の保存食料に回すから問題ない。
大麦の薄いパンに冷燻魚を載せて蒸す料理も流行っているから、村の大麦消費量は増えているわけだし。
「村に直接、商人が売りに来てくれたら楽なのですが…」
「信用のある商人を見つけることは難しいですね。特に、初めての取引となると…」
取引のド素人が大金を持って大口の買付などに出向いたら、歴戦の交易商人からしたらネギを背負った鴨にしか見えないだろう。
腐ったり砂混じりで役立たずのゴミを山と売りつけられるのが関の山だ。
「同盟の村の人達に信用できる商人を紹介してもらうのはどうでしょう?」
「なるほど!多少のお礼を出す必要はありますが、それなら安心です」
21星の大結束に所属する村から紹介を受けた商人であれば、悪評の広がりと武力報復を怖れて阿漕な取引はしないだろう。
信用できる商人を知ることができる、という一点だけをとっても、同盟が交易の促進につながることがよく理解できるね。
「シグリズ様。大麦を買い付けると、交易商人はどんな風に大麦を持ってくるのでしょうか?」
「普通は麻の袋詰めですね。箱に詰めることもあるでしょうが一般的ではありません」
うーん。そうか…麻袋か…。
「麻袋では濡れたり傷んだりしますよね」
「そうですね。布で覆ったり底上げをしたりと波や雨から守る工夫はするようですが、濡れて傷みはするでしょう。ですから、あまり遠い地から買い入れをすることは難しいのです」
長距離輸送をすると傷むリスクが跳ね上がる、と。
「僕は大麦を樽に詰めて買い入れたいのです。大麦を村で提供した樽に詰めてもらい、大麦酒を詰めて売る。空になった樽に再び大麦を詰めてもらい買う。そうしたサイクルを実現できたら、と思うのですが」
「大麦を樽に?あまり聞かない方式ですが…樽が良いものであれば、そのまま盗まれてしまうのではありませんか?」
「そこは保証金を積んでもらうとかして…」
「なるほど…ですが、かなり難しいようにも思えます。良い考えには聞こえますが」
「ですよねえ…」
できればコンテナのように規格化した樽が往復するようにしたいんだよね。
樽の生産量がボトルネックになりそうな気配を感じるし。
ただ、これは輸送におけるデファクトスタンダードをどうするか、という政治を含む問題でもあるから同盟の協定で取り扱う話題かもしれない。
今はいったん先送りすべきかな。
「買付け問題が解決できるとすると、次に問題になるのは大麦酒の賞味期限ですか…」
酒造り三人衆が造る大麦酒は、どのくらいの期間だけ保つのだろうか。
水をジュニパーで殺菌するし焼き石も放り込んで消毒するわけだから、家庭で仕込む普通の大麦酒のように、1週間で仕込んで数日で飲み切る、という代物よりは長く保つはずだけど。
ウイスキー樽のように内側を炎で炙って殺菌してから、横穴に雪を詰めた酒造庫に保管すると、もっと保たせられないかな?
特製大麦酒を長期間保存できるようになると、一度に仕込む量を平準化して減らすことができる。
賞味期限のテストも合わせて行いたいところだね。
「大丈夫ですよ。来年の夏までに1回で30樽を仕込めるようになっていればいいのです。今年の秋、来年の春と練習する期間はありますよ」
1年間は52週間もあるのだから、仕込みに1週間かかる大麦酒だって、50回は練習できるし、そのための大麦の手配はするわけで。
顔色を悪くしている酒造り3人衆には頑張ってほしい。
「皆で頑張れば大丈夫です!」
僕は笑顔を浮かべて励ましたのだけれど、なぜか返ってくる反応が鈍い気がした。




