第133話 北方の特別な大麦酒の作り方 7歳 晩夏
村の酒造りが得意な3人の女衆。
背の高い赤髪のアストリッドさん。
筋肉質のアッシュブロンドのラグンヒルドさん。
小柄な金髪でビーズ飾りのイングリッドさん。
もう、お酒造り三人衆とか呼んじゃおうかな。
彼女らが郎党達に指示して、長屋敷の広間に山と積まれていた武器防具類の運搬の準備が始まった。
力仕事は基本的に男衆の仕事なので、3人が少し手持ち無沙汰になる。
ちょうど良い機会なので、僕は3人の酒造名人に尋ねる。
「僕はお酒を飲んだことないからわからないのだけれど、3人の大麦酒ってすごく評判がいいんでしょ?他の人が造る大麦酒とどこが違うの?」
ちょっと失礼かもしれない僕の質問に3人は顔を見合わせていたのだけれど。
「うーん。酒の作り方なんてのは、普通は家の秘密なんだけど…まあいろいろ秘密を教わっちゃったしねえ」
「そうだねえ。特別にトールちゃんには教えてあげようかね」
「どのみち、教えただけで作れるようなものじゃないし」
幸いなことに、教えてくれる気になったみたい。
まあ教わったところで、僕じゃ大麦酒は造れないしね。
「そうだねえ。トールちゃんは大麦酒の作り方を知っているかい?」
背の高いアストリッドさんに尋ねられて、僕は答える。
「母ちゃんが作ってるのを見てるし、父ちゃんもときどき、こっそり作ってるから知ってる…と思う。
まずは大麦を水に浸すんだよね。それで二日くらい待って、ちょっとだけ芽が出てきたら、日光か焚き火で乾かして」
思い出しながら答えると、アストリッドさんが補足してくれる。
「おや、正解だよ。でも欲張って芽を伸ばしすぎちゃダメだよ。麦が自分の糖分を全部食べちまうからね。根っこが麦の半分になったら、そこが止め時さ」
そういうコツ、自分では作らないからわからないんだよね。勉強になる。
「それから乾いた麦を石臼で潰して、 鍋に入れて、熱いお湯で煮る。甘い匂いがしてきたら、藁のついたカゴで汁だけを樽に移す、だっけ」
続けて話すと、筋肉質で豪快な話し方をするラグンヒルドさんが助言してくれた。
「がっはは! いい筋だ。でもな、その熱いお湯ってのが難しいんだ。指を入れてアチッ、となってから三つ数えるくらいの熱さが一番いい。それより熱いと麦が死んじまうし、ぬるいとただの不味い粥になっちまうからな」
発酵の温度のことかな。温度計がない時代だものなあ。
基本は職人の勘頼りだね。
「汁を樽に入れたら、外に生えてるヨモギとか、変な匂いのする草をポイポイ入れるんだよね。これが家の味なんだって、父ちゃんが言ってた」
ここもよくわからない。薬草の種類は薬草羊皮紙の編纂でだいぶ分かるようになってきたけれど、まだ見ただけで判るほどじゃない。
「変な匂いなんて言うんじゃないよ。それがお腹を守るお薬になるんだ。家でやるなら、ヤチヤナギをひと掴み入れるのを忘れないことだね。そうすれば、次の日まで置いといても酸っぱくならないからさ」
ヤチヤナギ。どの草だろう?村長婦人が編纂している薬草の羊皮紙に載ってたかな。
「最後に壁に掛かってる真っ黒でベタベタしたお酒の棒を樽に突っ込んで、暖かい場所に置いとくんだ。2日もすれば、ブクブク音がして、大麦酒になるんだよね」
酒造りで欠かせない酵母。このあたりの村では、刻みをいれた棒とか、縄でつないだ木片とかに染み込ませて保存しているみたいなんだよね。
酒用の酵母を染み込ませた棒は、嫁入り道具に欠かせないものらしい。
「ふふ、よく見てるわね。でも、そのお酒の棒を突っ込むときは、汁が熱すぎないかちゃんと確認してね? そうしないと、棒の中に住んでいる小さな精霊たちが、熱くて逃げ出しちゃうから」
イングリッドさんが酵母の温度管理について教えてくれる。
そうか、酵母は精霊か。ちょっと話してみただけでも、家庭の大麦酒造りでさえ、いろいろとコツがあるんだなあ。
でも、お酒造り三人衆のつくる大麦種は、それ以上だということで村で評判をとっているんだよね。
素人では最後の薬草投入部分ぐらいでしか、味の違いの出し方がわからない。
「うーん…僕に大麦酒が作れそうもないことはわかったよ…それで、皆の大麦酒は、何が違うの?」
僕のあまりの素人ぶりに安心したのか、背の高い赤髪のアストリッドさんが胸を張って教えてくれる。
「あたしのエールはね、澄んだ森の風さ。喉を通る時に、北の森の冷たい空気を吸い込んだ時みたいに、鼻からスッと抜ける爽やかさがある。雑味がなくて、飲んだ後に口の中がベタつかない。これなら、脂の乗った焼いた鰊をいくらでも食べられるよ。
秘訣かい?それはね、ジュニパーの枝の選別さ。若すぎず、枯れすぎず。それと、煮出す時の火加減だよ。ぐつぐつ沸騰させすぎると、えぐみが出る。静かに、森の魂を水に写し取るように淹れるのさ。あたしの大麦酒が一番腐りにくいのは、この丁寧な仕事があるからだよ」
なるほど。水を予めジュニパーで殺菌しておくのか。腐敗しにくい大麦酒になるんだね。
筋肉質のラグンヒルドさんが、アストリッドさんの言葉に被せて発言する。
「がっはは!トールちゃん、そんな綺麗な言葉じゃ大麦酒の味はわからねえよ。あたしのはな、燃え盛る焚き火だ!
口に入れた瞬間に、焦げた麦の香ばしさが爆発して、腹の底から熱くなってくる。一杯飲めば、雪の中でも裸で歩けるくらいの力が湧いてくる酒さ。男たちが、これじゃなきゃ戦えねえ、って言うのは、あたしの大麦酒だよ。
秘訣は、焼き石だ!川から拾ってきた黒い岩を、真っ赤になるまで焼く。それを麦の汁に叩き込むのさ。ジュワッ!という音で麦がいい色に焼ける。この焦げたコクこそが、あたしの大麦酒の命。加減を間違えると桶が燃えちまうが、あたしは一度も失敗したことはないね!」
麦の汁の樽に沸騰石を入れる!なんとも豪快な手法だ。
たぶん殺菌とコクを同時に行うためなんだろうなあ。
最後に、小柄なイングリッドさんが笑みを浮かべながら、自分の手法の優れた点を主張する。
「ふふ、二人とも力強さや正しさばかりね。私の大麦酒はね、黄金色の夢なの。
蜂蜜をたっぷり使っているから、とろりとしていて、一口飲めば花畑にいるみたいな香りが広がるわ。甘くて飲みやすいけれど、気づいた時には足がもつれて立てなくなる……そんな、ちょっと危ない魅力があるの。
秘訣は、蜂蜜との対話よ。蜂蜜はただ混ぜるだけじゃダメ。私が森で見つけた特別な花の精が、一番機嫌よく蜂蜜をお酒に変えてくれる。アストリッドさんの言う正しい味も、ラグンヒルドさんの強い味も、私のお酒の甘い味の前ではみんなとろけてしまうわよ」
なんと。大麦酒に蜂蜜を混ぜるんだね。
蜂蜜が多めの大麦酒か…糖度が上がってアルコール度数が高くなるんだろうか。
蜂蜜分解に優れた酵母を使ってそうにも見える。
「はええ。一口に大麦酒といっても、ずいぶん色んな改良の手法があるんですねえ」
僕の心からの感嘆と賞賛に、お酒造り三人衆は自慢げに頷く。
ふと、僕は気になったことを尋ねてみた。
「ところで…みんなでいっしょに大麦酒を作ったらどうなるの?」
お酒造り三人衆は、衝撃を受けたように互いの顔を見合わせた。
アストリッドさんが得意な、ジュニパーで殺菌された爽やかな水を使い、
ラグンヒルドさんが、熱く熱された石で殺菌とコクを与え、
イングリッドさんが仕上げに蜂蜜で強い糖度とアルコール濃度、甘みを加える。
そんな北方の大麦酒ができたら、どうなるのだろうか。
「…そいつは考えたことがなかったねえ」
「大麦酒の味は家の味、とずっと思ってきたものだし」
「でも…協力したら北方一の大麦酒ができるんじゃないかしら」
それぞれの言葉は静かだったけれど、今からでもすぐに大麦酒を作りに行きたそうだ。
いや、ほんとすごい。言葉通り、北方一の大麦酒ができそうだ。
「…すごいですね。トール。これは…北方の大麦種の常識が変わってしまうかもしれませんよ」
協力って凄い。各家庭で秘されていた味の工夫、というやつを適切な共同体制とインセンティブ管理を行うことで、こんな風に引き出すことができるんだ。
村営の大規模酒造、これはかなり上手く行くんじゃないだろうか。
他の村で作られている家庭の秘蔵の味、なんて質量共に相手にならないだろう。
船乗りたちが財布の銀貨を気前よくバラ撒く姿が浮かんでくる。
興奮して話し合うお酒造り三人衆と村長婦人に、僕はもう一つだけ、思いついたことを尋ねた。
「ところで、蜂蜜酒でも同じ技術が使えたりするんじゃないでしょうか?水をジュニパーで綺麗にして、熱い石でコクを出して、蜂蜜用の棒を使って味を調整するとか…」
ぴたり、と女性陣の話し合いが止まり、再度、真剣な話し合いが始まる。
「できるかも…いえ、できるでしょうね」
「蜂蜜酒は家庭の酒造りではできなかったけれど、もし大量の蜂蜜を用意してもらえるなら」
「北方一の独自の蜂蜜酒が、この村で作れるかも?いえ!造れますよ、きっと!」
うーん。すごい。
これは、村で大麦酒と蜂蜜酒を大規模村営酒造で生産し続けるだけで、北方どころか欧州全体の覇権が獲れるのではなかろうか?
いやあ。シグリズ様も運営ご苦労さまです。
女衆の人達にも仕事が増えてよかったです。
管理がんばってくださいね。
と心の中で応援だけして他所を向き関係ない振りをしていたら、なぜか背中を叩かれた。
ぐりぐりに備えてこめかみを両手で抑えていたのが気に入らなかったのかもしれない。
後世の話になるが、このときに発案された特別な製法の北方大麦酒は、北方のみならず西欧を含む世界中で愛されるビールのブランドとして時代に応じた改良をされつつも、永く残り続けることになる。




