第132話 人に任せるのはとっても大変 7歳 晩夏
呼び出しをかけられた酒造りが得意な村の女衆が来るまでには、少し時間がある。
僕の方で、研修の準備をしておこう。
村長婦人からは自分でやった方が早い、と言い出しそうな有能な人によくある雰囲気を感じるので、後ろに控えておいてもらう方がいいかもしれない。
今後は作業が遅くても分担して出来る人を増やしていかないといけないからね。
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「あのう…私らをお呼びだそうで…」
恐る恐る、という感じの恐縮した様子で3人の女衆が来た。
「よく来ましたね。アストリッド、ラグンヒルド、イングリッド」
村での評判の大麦酒造りの名人であるところの3人の女衆は、かなり個性的な外見をしている。
アストリッドは背が高く一番の年長者で、燃えるような赤い髪と緑の瞳をしていて、ラグンヒルドは筋肉質で戦士顔負けの体格。アッシュブロンドの髪。そしてイングリッドは一番若くて小柄。金髪にはビーズなどを編み込んでいる。
3人には血の繋がりはないはずだけれど、何となく似たもの姉妹であるかのような雰囲気を感じさせる。
それぞれ大麦酒造りには独自の技法で味を加えているのだとか。
ちなみに、僕は3人共に社交場を通じて面識はある。
「こんにちは!」
緊張しているようなので、僕が挨拶をしたら三人の酒造りの女衆達は、たちまち破顔した。
「あら、トールちゃんじゃないの!」
「体は大丈夫なの?風邪だったの?もう治った?」
「ほんとうにねえ。この村はトールちゃんが倒れたら困るんだから、体は大事にしてもらわないと」
などと、僕をベタベタと頭などを撫で回し始めるものだから、なかなか話を進めることができなくなってしまうのだった。
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少し落ち着いてから、改めて話を仕切り直す。
「えー。皆さんは村でお酒造りの名人として評判が高い、と聞いています。それでですね、これは秘密なのですけど、村では大きな村営の酒蔵を造ろうとしているのです」
「へえー」
「そりゃ大したもんだねえ」
せっかく秘密を打ち明けたのに、何となく他人事の反応だ。
そりゃそうか。今のところ他人事だものね。
ところが、そうは言っていられなくなるのだよ。
「ところで、先日の襲撃を退けたお祝の大麦酒は飲まれましたか?長船で運ばれてきたものが、戦勝の宴で少しお裾分けされたようですが」
村では大麦酒の仕込み用の樽が払底していた関係で、男衆が密造してた少量の大麦酒以外は宴で振る舞えるほどの量がなく、援軍に駆けつけた軍勢が積んでいた飲水変わりの大麦種を提供してもらった、という事情がある。
「ああ、あれねえ…」
ところが3人の女衆の反応は、と言えば、かなり微妙なものだった。
「正直なところ、美味しくはなかったねえ」
「味も薄いし。まあ海を運べば、あんなものかねえ」
「香りも足りないし。水の変わりだからねえ」
はっきり言って不味い。
航海用の大麦酒は味は二の次で保存性が第一だものね。
「そこなんです!」
「そこ?」
疑問を口にする女衆に、僕は補足した。
「海を渡った男衆は不味い大麦酒でも飲むぐらい、乾いているんです!
これも秘密なのですが…実は来年から、この村に大勢の人がやってきてクナトルレイク大会を開こう、という計画があるのです」
秘密、という部分で少し声を低めてみせると、3人の女衆達も身を乗り出してきた。
「大会って、去年やった子供の大会?」
「いいえ!大人の大会です。しかも、毎年やることになります!」
「毎年!?」
「ええ。毎年のように、大勢の大人の美味い大麦酒に乾いた男達が村に押し寄せてくるんです!これは大チャンスですよ!」
僕はチャンスであることを強調したのだけれど、酒造りの女衆には心配のほうが先立つようだった。
「そりゃあ凄いことだけど、村の大麦は足りるのかねえ」
「そうだよねえ。あたしらが食べる分がなくなりやしないかい?」
酒造りの前に、家の食料庫を預かる者として村の大麦の備蓄への心配の方が先立つらしい。自給自足が基本であった村の経済感覚としては、とても正しい。
けれども20を超える村と協定を結んだ今、村の経済は大きく変わっていくのだ。
「そこは大丈夫。ちゃんと手を打ちます。例えば、大広間に転がっている武器防具の類を売り飛ばせば、いくらでも大麦を他所から買えます。長屋敷と宿泊所の天井まで大麦の樽を積み上げることぐらいは、実は簡単なんですよ」
嘘や大袈裟な話ではない。
牛と大麦の交換比率は、およそ牛1頭に対して樽3から4つ分ぐらいなので、仮に全ての武器防具を大麦と交換できれば、長屋敷と宿泊所から溢れるぐらいの大麦に換えることは可能だろう。
「へえ!そりゃあすごい!」
「ですから、村で出来るだけたくさんの大麦酒を作りたいわけです。美味い大麦酒を出来るだけたくさん作って、この村を訪れる男衆の財布の銀貨の最後の1枚まで、空っぽにして帰してやりたいのですよ」
「そりゃあ、愉快そうだねえ」
美味い酒を造り、他所の村の男の財布を空にする。
考えただけでも愉快だ。
「それに加えて、村の酒蔵の管理も皆さんに任せたい、と考えてもいるんです。
酒造りだけでなく、酒蔵の鍵を皆さんに預かってほしいんです」
酒蔵を任せる、という発言は3人の酒造り名人をして驚かせたようで。
「ええっ!」
「そんなことできるのか!?」
「村の男どもが黙ってないだろう?」
男達の指揮のもとで酒造りの職人として働くのではなく、酒蔵を預かって酒という商品を送り出す責任を負って欲しい、という発言に戸惑いを隠せないようだ。
けれども、そこは僕も譲れない一線なのだ。
「だからですよ。男達に管理を任せていたら、酒は造る傍から飲まれてしまって、他所に売る分が残りません。飲んだくれた男達は漁にも出なくなってしまうでしょう」
僕の指摘に、女衆達は深く頷いた。
「ああ。それはいかにもありそうなことだねえ」
「うちの旦那も酒を飲んだ日の次の日は全く使い物にならないからねえ」
とはいえ、納得はしても不安は隠せない。
「でもねえ。管理とか言われても家の酒樽以外の面倒を見たことなんてないしねえ」
「そうだよねえ。家の樽でしかやったことなんてないからねえ」
家庭の酒造りの腕に自信があることと、商品として酒造りができることはまるで違う。けれども、そこは時間をかけてサポートしながら育成していけばいいのだ。
「そうですよね。ですから、今から練習しましょう。女衆に管理される酒蔵も酒造りも、今後の村の発展には絶対に必要です!僕もシグリズ様も、サポートします。ですよね?」
「え、ええ。村としてもあなた達をサポートします。失敗したから責める、ということはしません」
村長婦人が頷いたところで、用意していた研修用の機材を出してくる。
「と、いうわけでこれを用意しました!」
大きめの黒板を3つ。貝殻棒をたくさん。
「広間にある換金用の武器防具を、とりあえず酒蔵の予定地の穴に運んで保管したいのです。酒蔵のお酒を運んで数える練習に使いましょう。
最初に数を数えて、まとめて束ねて、人に指示をして、運ばせて、到着したら改めて数える。最初と最後で数が合っていないといけません。
これを一緒にやりましょう」
「ははあ…」
「なんだか骨が折れそうだねえ…」
少し後ろ向きな発言の彼女たちに、僕は短期的な利益も示すことにする。
「もちろん、これは村でお願いする仕事ですから手当が出ます。塩、羊毛布、銀片。好きな報酬を選んで下さい」
ちゃんと報酬を払います、と言うと彼女たちの態度は劇的に変わった。
「あら。今日から仕事のお金が出るのかい?」
「それなら、いいかねえ。うちの子に新しい冬服を作ってやりたいし」
「そうそう。スカートにポーチを縫いつけたら糸も布も足りないからねえ」
「坊やのボタン、オシャレだねえ。これは鯨の髭かい?」
なんか事業の始まりとしては締まらないけど、緊張で萎縮して発言が出ないよりはいいか。
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「じゃあ一緒に数えていきましょうか」
黒板に絵を書く。
「これは斧、です。ルーン文字ではこう書きます」
斧の横に文字を書く。
「へえーすごいねえ」
「ルーン文字が書ける子供なんて初めて見るよ」
僕は同じように槍、剣、盾を書く。黒板は3枚あるので同じものを書いた。
「これで数える練習をして欲しいんです。動かしてもいいですよ。
数えの書き方は、1、2、3、4と縦棒を書いて、5、と斜め棒で消します。
これで5です。このように書いて下さい」
「ああ、商人の数え方だね。それならできそうだ」
「それにしても、この黒い板と白い棒は便利だねえ」
タリーマークスの数え方自体は、村でも浸透しているようだ。
見た目にもわかりやすいし、すぐに慣れてくれそう。
「これは練習なので、1人で数えてくださいね。相談はしても構いません」
「わかったよ。やってみるかねえ」
「鱈を数えるのと変わらんでしょ?数はずっと少ないし」
「そうそう。簡単簡単」
最初は黒板に貝殻棒で書くという行為になれず、大きすぎたり小さすぎたり曲がったりと記述に苦労していたみたいだけれど、それもみるみるうちに改善していく。
「ちょっと動かさないでおくれよ、どこまで数えたかわからなくなっちまっただろう?」
「でも、まとめて置いたほうがわかりやすいじゃないか。種類で分けて寄せとこうよ」
「一緒に斧から数えるからわからなくなるのよ。私は盾から数えるから、別のやつを数えなさいよ」
話し合っているうちに、どんどん効率も上がっていく。
「…大したものですね」
その様子を眺めていたシグリズ様が、ぽつりと呟く。
「ええ。皆さんすごいです」
頷く僕の言葉に、村長婦人は左右に首を振る。
「いいえ。大したものなのはトール、あなたですよ。私では彼女らに命令はできても、今のように笑顔で積極的に取り組ませることはできなかったでしょう」
うーん。そうかなあ。買いかぶりだと思うよ。
「僕が託児所で彼女らの子供の面倒を見ているからだと思いますよ?おしっこやうんちの世話もだいぶやりましたから」
「…それは、私には真似ができそうもありませんね」
「はい」
僕と村長婦人は、酒造り名人の女衆たちがきちんと自立した酒造業者となれるように、以降も様々な研修サポートを行うことになる。




