第114話 襲来 7歳 夏
少年戦士団として見回りの子供達を組織化した効果か、大人の男衆がいない状態でもなんとか村の仕事は回り始めた。
たかが子供の見回りが行われるだけでも、畑の農作業や干し草づくりをしながらの見張りの負担や害獣への不安が減るとかで、ずいぶんと効率が良くなるらしい。
たしかに、いつ狼や熊が出てくるかとビクビクしながらでは、ろくに仕事も進まないだろうからなあ。
「とりあえず対岸と朝夕だけでも定期船を渡すようにしましょうか。今は漁期ではありませんから、船も空いてますし」
現在の村の経済は社交場と宿泊所に付随した施設群を中心にして回っているので、そこから遠い地区はどうしても村の経済発展から取り残される形になる。
例えば、対岸の家々に住む人々は社交場までの道のりが遠いので、毎朝夕の移動時間が増大し可処分時間、すなわち労働時間が減少する。夏の労働時間の減少は農作業や干し草の収量の減少を意味しており、冬に飢える可能性が高まるわけで。
「なるほど。まとまった人数が速く移動できるようになれば、村全体で見れば働ける時間が増える、と。言われてみれば当たり前ですけれど、面白い考え方ですね」
「働き過ぎるのは好きじゃありませんが、夏の干し草はとにかくたくさん作らないと冬に酷いことになりますからね」
干し草の重要性は、北方という自然の厳しい土地で家畜の保持がどれだけ重要なのかを説明しないと理解しにくいかも知れない。
まず北方の農家にとって家畜とは、食料を生み、労働力を提供してくれる安全資産であることを分かってほしい。
家畜に干し草を与え、冬越えもできて長期間肥えさせて飼育できれば、家畜は子供も産んでくれて家の資産が増える。いわゆる複利効果で豊かになっていくことが期待できるのだ。ところが干し草が足りなければ、冬の間に家畜を処分せねばならず、資産を生み出すための資産が減る。そうなると悲惨だ。家産はだんだんと貧しくなる。
天候に左右されがちな農業や、年により漁獲が安定しない漁業と異なり、家畜は干し草をきちんと与えれば安定した収量が期待できる安定資産として、北方の農民の暮らしに家畜とはかくも重要なのである。
そして干し草づくりとは労働力に投入に比例する労働集約の仕事なのであり、夏の間にできるだけ刈って溜め込んでおかねばならない。
「あとは、未亡人や畑の人手が足りない場所がないか、見て回りながら確かめないといけないですね。家が荒れていたりしないかとかも」
「あなたのことですから、税を取るため、のではないでしょうね」
「逆のことを考えています。利益は交易で出せそうですからね。困っている家には手を貸しましょう。村の人には幸せになってもらいたいですから」
社交場を通じてだいぶ相互扶助の仕組みは機能しだしているみたいだけれど、それでも零れ落ちる家とかあるかならなあ。
社交場に通う女性がいなかったり。男親だけだったりとかね。
大人は好きにすればいいけれど、子供が犠牲になったりしたらやりきれないし。
甘いと言われるかも知れないけれど、北方の厳しい気候だと人は簡単に死んじゃうので…。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「ああ、これはたいそう楽だねえ。帰りの出してくれるのかい?」
「楽し―っ!」
翌日から早速、対岸への定期船は運行が開始され、社交場までの長い距離を歩くしかなかったご婦人方や子供達にはたいそう喜ばれた。
定期船は臨時施策でなく村の男衆が戻ってからも続けた方が良さそうだね。
そもそも漁期には社交場と宿泊所の間で加工した鱈を積んで船で結んでいた前例があるわけだし。
そんな感じで、村もなんとか回っているし、父ちゃん達が帰って来るぐらいまではどうにかなりそうだ。
…などと安心している頃に、破滅的な災害というやつはやってくるわけで。
アスガルドの神々も、なかなかに酷い悪戯好きだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
その日の朝、フィヨルドは濃い朝靄に覆われていた。
陸地とか南から流れ込んできた暖かい空気が、夏でも冷たいフィヨルドの海水面に接して霧が発生するんだよね。
この季節はよくあることだから、特に気にもしなかったのだけれど。
寝藁が濡れた、とご機嫌斜めな馬を宥めつつ、朝の見回りの準備をしていたら、ブブゥー!ブブゥー!ブブゥー!と強く3度吹かれる角笛の音が聞こえた。
「珍しい。狼かしらね」
「そうだね。早く行こう」
エリン姉を促して乗馬しようとしたところ、ブブゥーッ!ブブゥーッ!ブブゥーッ!と、もっと強い調子で別の方角からも角笛の音が聞こえてきたんだ。
「えっ?」
ブブゥーッ!ブブゥーッ!ブブゥーッ!
ブブゥーッ!ブブゥーッ!ブブゥーッ!
ブブゥーッ!ブブゥーッ!ブブゥーッ!
全く別の場所からも、狂ったように吹き鳴らされる角笛。
5つの地区全部から、あるいはもっと別の場所からも角笛が吹き鳴らされていた。
そして、僕は見た。
朝靄を割いて迫る、何隻もの長船の大艦隊を。
1隻、2隻、3隻…5隻から先は数える気にもならなかった。
最も怖れていた、大艦隊による襲撃!
僕も角笛を取り出し、3度吹き鳴らした。
「母ちゃん、長屋敷に避難して!近所の人にも声をかけて!」
母に声をかけた後は、エリン姉と一緒に馬で地区の家々を回り呼びかける。
『長屋敷に集まれ―っ!今すぐ!走ってーっ!」
とりあえずフギン区の人だけでも避難させないと。
他の区は老兵や戦士団の少年達がうまくやってくれることを祈るしかない。
「トール…どうしよう…」
きつく手綱を握るエリン姉の手は白く、震えていた。
どうしよう、と言われても。本当にどうしようもない。
見たところ長船は10隻はいるように見える。
1隻に最低でも30人は戦士を乗せられるから、襲撃者は最低でも300人。
ひょっとすると500人ぐらいはいるかも入れない。
こちらは女子供に年寄りばかりで、せいぜい250人。
とても勝負にならない
今のうちに、できるだけ沢山の人を逃がすしかない。
長屋敷に保存された食料をできるだけ担いで山に隠れて、半分は酒蔵のために掘った横穴に隠れて入口は枝とかで塞いで息を殺す。
そうして父ちゃん達が帰ってくるのを待つんだ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「シグリズ様!シグリズ様はおられますか!」
避難の呼びかけを終えて長屋式に着くと、大勢の村人達が集まってきていた。
女子供ばかりだ。そして皆が不安そうにしていた。
なかには怯えて泣き叫んでいる子もいる。
床暖房の託児所で僕に登っていた子達も小さな手でぎゅっと母親に抱きついてた。
「トール!よく来てくれました」
「シグリズ様。僕が交渉に行って時間を稼いできます」
「それは…!夫がいない今、私の役割です」
村長婦人が何か言うのには構わず、僕は考えていたことを続けた。
「シグリズ様は避難民をまとめて、隠れるか逃げてください。
酒蔵のために掘った横穴も役立つはずです。
奴等も食料と財宝が目当てなら一通り家々から略奪すれば去っていくでしょう。
幸い今は夏ですから、人と食料さえ残れば村はいくらでも再建できます。
父達が戻ってくれば船もありますから。
略奪に来た乱暴者が相手でも、子供1人だけなら油断するかも知れないですし。
万が一、交渉が拗れたとしても馬で行けば逃げてこれますから。
それに体が軽い僕達の方が馬も速く走れます」
一息で言い終えると、絶句している村長婦人をおいてエリン姉の方に向き直る。
「エリン姉…悪いけど、馬を出してくれないかな。ごめんね。僕が1人で乗れたら良かったんだけど」
俯くエリン姉に謝っていたら、長屋式に避難していた人々を押しのけて母ちゃんが止めに来た。
「トール!なにも子供のあなたが行くことなんてないでしょう!エリンも!」
「母ちゃん。大丈夫だから。父ちゃんが戻ってきて、あいつらをやっつけてもらうまで、うまく時間稼ぎするよ。それに母ちゃんは知らないかもしれないけど、エリン姉の乗馬、すごく上手いんだから。心配いらないよ」
僕が懸命に母ちゃんを宥めていると、盾を持った小さな子供たちが決意を込めた表情で声をかけてきた。5区の見回りをしている少年戦士団の子友達だ。
「僕達もいく!だって戦士だからな!」
僕は首を振り、勇敢な子供たちの申し出を断る。
「いいや。君たちの盾はお母さんと弟や妹を守るんだ。その盾で父ちゃん達が戻ってくるまで家族を守るんだよ。いいね?」
涙ぐむ小さな戦士達に僕は言い聞かせる。
「年寄は行くぞ。小僧が逃げる時間くらいは稼いでやろうて」
区をまとめる相談役の老戦士達は、盾と斧と兜の完全武装で待っていた。
僕は言葉をかけようとして、彼らの顔を見て諦めた。
何を言っても無駄なことが解ったからだ。
「トール。やはり私が行きます」
「いいえ。残った女子供をまとめることは、シグリズ様にしかできません。
そうだ。村長の装身具と指輪を幾つか下さい。
それで連中は僕を村の代表として認めるかも知れません」
僕の決意が固いと認めたのか、村長婦人は議論に時間を費やす愚をおかさず、奥の私室から幾つもの立派な装身具や指輪に加えて、豪華な服やベルトの剣帯と宝石と黄金で飾られた剣を持ち出してきて、黙って僕に着せ始めた。
「シグリズ様、財産は避難先で冬の食料を買うために充ててもらわないと」
「身分が高いと思ってもらえれば、人質で済むかも知れません」
そう言われてしまえば断ることもできず、僕は身の丈に合わないサイズの黄金と宝石で装飾されたでかい剣まで履かされたのだった。
「さあて。ちょっとお話をしに行ってきますよ」
僕はできるだけ村人を不安がらせないよう、軽く言って長屋敷の外に出る。
エリン姉が、僕を馬に乗せるために着いてきてくれた。
「トール…怖くないの?」
少し語尾が震えているエリン姉に、僕は答える。
「怖いよ。めちゃくちゃ怖い。でも大丈夫。
少し時間を稼げば父ちゃんが戻ってきて、あいつらをやっつけてくれるさ。
それにエリン姉も村での僕の渾名は知っているでしょ?
フギン様が僕達を守ってくれるよ」
「ふぎん!ふぎん!」
「ほら、ムニもそう言ってる。そうだ。エリン姉も軽い盾を背負っておいてね。馬で逃げるときに後ろから弓矢で射たれるかもしれないから」
そうして僕はお守り代わりに生石灰入りの袋を一つ腰から下げる。
もしも問答無用で切りかかってくるような相手なら、せめて一生目が見えないようにしてやるんだ。
僕はエリン姉と一緒に馬に乗った。
怖いけれど、自分でも不思議なぐらい気分が落ち着いている。
せめて村の人達が逃げる時間ぐらいは稼がないとね。
フル装備の老戦士達も続く。
「やれやれアスガルドの神々も興味深い試練を下されるものじゃ。ロキ神の悪戯かのう」
「なあに。女子供を守る戦となれば、ヴァルハラ行きは約束されたようなもの。
せいぜい多くを血祭りにしてやるわ」
いつもは多くの人と笑いで溢れている村の海岸で、僕達は待ち構える。
「グリームルの子!トールステイン!代表者は誰か!この寒村に何の用があって来たか!」
朝靄の煙る浜で、僕は馬上で剣を高く掲げ艦隊に向かって叫んだ。




