祭りの後の異変と海
帰り道、背中越しに花火が光る。
さっきのことで、欠けていたものがはまり、確信になった。
だけど、どうしようもない。
施設に着いた。
自室で勉強していると、ドアがノックされた。
「はい」
返事をすると、ドアが開いた。
夏美さんだ。
「さっきは、ごめん」
入るなり、夏美さんはそう言った。
「いえ、もう大丈夫ですか?」
「うん」
「立ち話もなんですから、座ってください」
僕は椅子を勧めた。
夏美さんは黙って座る。
椅子は一脚しかないので、僕はベッドに座る。
沈黙が流れる。
何を話せばいいのだろう。
「就活、どうですか?」
結局、当たり障りのない話題を振った。
「普通」
帰ってきた言葉も、波風の立たないものだった。
迷っていると、夏美さんが話し出した。
「時々、ううん、いつも悩むの」
「何をですか?」
「私が本当に、ここにいていいのか。楽しい思いとかして許されるのか」
ここ、というのは僕の部屋のことではない。
絆の学園、いやこの世界のことかもしれない。
「どうして、許されないと思うんですか?」
「……私には生きてる価値がない」
わかっている。
夏美さんがなぜ、このような自分を卑下した言動をするのか。
なぜ、自分を守るような服装をするのか。
なぜ、さっき急に体調が悪くなったのか。
僕も同じ、生存者なのだから。
だけど、それを提示してしまえば、夏美さんがどうなるかわからない。
もしかしたら、壊れてしまうかもしれない。
それに、生半可な覚悟で踏み入っていい問題ではない。
僕が黙っていると、夏美さんが急に立ち上がった。
そして、僕の目の前に立つ。
いつも合わせない目が、真っ直ぐ僕を射抜いていた。
「夏美さん?」
夏美さんは僕を押し倒した。
そして、夏美さんは乱暴に服を脱ぎ始める。
「何してるんですか!?」
「セックスするの。これから」
「どうして……ですか?」
夏美さんは答えない。
僕が抱いた感情は恐怖。
セックスができる喜びや期待など、微塵もなかった。
「僕たちは恋人じゃありません。それに大人じゃないですから、しません」
必死に言葉を絞り出した。
それでも、夏美さんは止まらない。
下手に突き飛ばしたりしたら、怪我をさせるかもしれない。
「誰か! 智恵理先生!」
僕は大声で助けを呼んだ。
声は届いたらしく、ドアが開いた。
智恵理先生だ。
「なっちゃん……」
智恵理先生は僕たちを見るなり、駆け寄った。
「なっちゃん、だめ!」
智恵理先生は夏美さんを僕から引き離す。
「あ……」
夏美さんは小さく呟くと、急に涙を流し始めた。
そして、智恵理先生に抱き着いた。
幼い子供のように、泣きじゃくる。
智恵理先生は夏美さんを連れて、部屋を出た。
僕は息を整えるのに、時間を要した。
きっと、夏美さんも混乱していることだろう。
僕は明日から、どんな顔をして夏美さんに会えばいいのだろう。
30分ほどして、智恵理先生が部屋に入って来た。
「勇気君、知らせてくれてありがとう」
「いえ……」
「さっきのは、その、なっちゃんも本意ではなかったと思うよ」
そんなことはわかっている。
「夏美さんのこと、話してくれませんか?」
「それは、できない」
「個人情報だからですか?」
以前も聞いた。
「それもあるけど。知ってどうするの?」
「夏美さんを助けたいです」
「……そう」
智恵理先生は黙ってしまう。
そしてしばらく、間があった。
「あのね、勇気君。私も勇気君と同じ気持ちなの。でもね、なっちゃんは一度も言ってないの。助けて欲しいって」
「そう、ですか」
夏美さんが普段、何を考えているか今ならわかる気がする。
常に一つのことを考えている。
それは、死。
この世から消えてなくなりたいという、願望。
「どうすれば、夏美さんを助けられますか?」
僕は質問をぶつけた。
「なっちゃんを理解して、対等に付き合ってくれる人が必要だと思う」
僕にできるだろうか。
智恵理先生は部屋を出た。
一人、残される。
ベッドに寝転んだ。
かつての僕がそうだったように、一度壊れた自尊心を再構築するのは難しい。
何か、希望がないと無理だ。
僕は思考の迷路を迷っている内に、眠りに落ちた。
また、悪夢を見た。
どうやら、精神状態と関係あるらしい。
両親に殴られている夢だった。
それから、数日が経った。
今日は施設のイベントで海に行く日だ。
夏休みも大体、半ば。
宿題は終わっている。
「由紀、宿題は?」
朝、廊下で出くわしたので聞いてみる。
「あ、あとでやるよ」
「どれくらい終わってる?」
「えっと……」
まったく手をつけていないらしい。
最終日が思いやられる。
「お兄ちゃん、そんなことより海だよ! 海!」
由紀は食堂に逃げてしまった。
朝食を終え、施設の前に止まっているバスに乗り込む。
隣の席は由紀だ。
後ろの席は元さんと夏美さんが座っている。
「お兄ちゃん、楽しみだね」
「うん」
と言ったものの、僕は泳ぐわけではないのでそれほど楽しみではない。
職員さんが人数の確認をし、バスが動き出す。
景色が流れ始める。
僕は目を閉じた。
眠ると悪夢を見るかもしれないので、意識は保っておく。
突然、耳がぞわぞわした。
「えへへ、起きた?」
どうやら、由紀が耳に息を吹きかけたようだ。
「起きてるよ」
「じゃあ、話でもしようよ」
「何の?」
「恋バナ」
まさか、由紀に彼氏でもできたのだろうか。
そ、そ、それはヤバい。
「お兄ちゃんは好きな子いるの?」
「いないよ」
「え~? 本当?」
「本当だよ」
「じゃあさ」
由紀はほほえみの表情を見せる。
「なっちゃんがお兄ちゃんのこと、好きなのは知ってる?」
「え?」
夏美さんが、僕を。
「あーあ、お兄ちゃん取られちゃうなあ」
僕は何も言えなかった。
この会話は後ろの席の夏美さんにも聞こえてるはずだ。
後ろの席からは、何も聞こえない。
「由紀、変なこと言わないでよ」
すると、由紀はムッとする。
「本当のことだよ」
もしかして、由紀は僕が思ってる以上に夏美さんのことを知っているのかもしれない。
「後はお兄ちゃん次第だね」
由紀はそう言って、にっこり笑った。
「あ、海見えてきたよ!」
潮の香りがする。
窓に目をやると、海が見えた。
それから、10分ほどして駐車場に駐車した。
海の家に行く。
「勇気、ナンパしに行こうぜ」
と、元さんに誘われたが丁重にお断りした。
「何だよ、つまらんな。海にいる女の軽さを知らないのか?」
「知りませんし、知りたくありません」
「へいへい。じゃあな」
元さんは海へ向かって行った。
まさか、本当にナンパするつもりなのだろうか。
「お兄ちゃん!」
後ろから声を掛けられる。
そこには、水着を着た由紀がいた。
「どう?」
「早く服を着なさい」
「え~!? 今から海なんだよ?」
由紀が来ている水着は、色が派手で布面積的にも結構危ないものだった。
「その水着、いつ買ったの?」
テスト明けの日に、みんなで買いに行った日は結局買わなかったはずだ。
「この前、友達と一緒に行ったの」
由紀は幼少期の頃、食べさせてもらえなかったこともあり、幼児のような体型だ。
その手のマニアに誘拐でもされるんじゃないかと不安だ。
「じゃあね、お兄ちゃん」
「あ、こら!」
由紀は海に向かって走って行った。
僕は海の家に残される。
海の家にはあまり子供は残っておらず、職員もほとんどいない。
暇なので文庫本を取り出し、読み始めた。
しかし、暑さのせいで文章があまり頭に入ってこない。
文庫本から目を離す。
ふと、海の家の隅に目をやると、夏美さんが座っていた。
こんな場所でも、地味な色の長袖長ズボン。
きっと、自分を守るためだろう。
「勇気君」
背後から、智恵理先生に声を掛けられた。
「隣、いい?」
「はい、どうぞ」
智恵理先生は座る。
「それにしても、勇気君とも長い付き合いだね」
「約10年ですからね」
「うん」
智恵理先生の表情を見る。
どこか、遠い目をしていた。
「就職か進学か、答えは出た?」
「いえ、まだです」
「まあ、慎重に決めないとね」
「智恵理先生はどこの大学出てるんですか?」
智恵理先生は近所の国立大学の名を挙げた。
「すごいですね」
「いや、なんとなく行っただけだし、すごくないよ」
なんとなく、で入れるところではないと思う。
「当時は夢とかなくてね。とりあえず、子供が好きだからそれ関係ならいいな、くらいに思ってたの」
「結果的に10年以上続いてるんですから、すごいですよ」
「でもね、最初の頃はやめたいってことばっかり考えてたの」
想像できない。
智恵理先生は仕事に全力を注いでる印象だ。
それは昔から、変わりないと思ってた。
「大変だったんですか?」
「まあ、そうだね。当時は劣悪な施設だったし。勇気君も職員に殴られたりしたでしょ?」
「はい」
「だから、辞めたいと思ってたの。ここから逃げ出したいって」
でも、辞めてない。
何があったんだろう。
「でもね、なっちゃんに辞めないでって言われたの。智恵理先生が好きって」
「え?」
思わず、声が出た。
もしかしたら、夏美さんと智恵理先生の間には僕の知らない絆があるのかもしれない。
「意外でしょ? 自分で言うのもなんだけど、それから色々頑張って施設を変えて行ったの」
「じゃあ、今の施設があるのは、智恵理先生のおかげですね」
「やめてよ。私はまだまだ、未熟だし。施設だってまだ発展途上だよ」
智恵理先生は恥ずかしそうに笑う。
その後も、智恵理先生と話をして、お昼ご飯の時間になった。
由紀や元さんも戻って来る。
「お兄ちゃん、お昼ご飯何がいい?」
「じゃあ、ラーメンで」
「大将! ラーメン大盛りで」
由紀は海の家の従業員に向かって言った。
「大盛りだなんて言ってないよ」
「いいの、お兄ちゃん痩せてるんだからもっと食べないと」
そして、海の穏やかな時間は過ぎて行った。
由紀と夏美さんは午後は、一緒に砂のお城を作っていた。
元さんはナンパを継続。
夕方になり、帰る時間だ。
バスに乗り込むと、由紀は疲れからかすぐに寝てしまった。
由紀はあまり悪夢を見ないのかもしれない。
そして、施設に到着する。
海に入ったわけではないが、疲れた。
僕はゆっくりと体を休めた。




