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絶呪  作者: 蒼狐


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第七話 影の同居人

郊外のバスを降りると、すぐに傾斜のついた住宅街が始まった。


零が目的の一軒家の前に立ったのは、午後の光がすでに赤みを帯び始める頃だった。昭和中期の木造平屋で、白い壁は所々黒ずみ、庭の木々は伸び放題になっている。縁側の一部が傾ぎ、玄関の引き戸には古い鍵がかかっていた。不動産関係者から受け取った鍵を回すと、乾いた木の音とともに、内部の空気が流れ出してきた。


ほこりと、どこか湿った影の匂い。


「……下見、か」


零は独り言を言いつつ中に入った。六畳と八畳の二間に、小さな台所と風呂。誰も住んでいないはずなのに、カーテンが微かに揺れている。呪脈視をそっと開くと、床や壁に張り付いた黒い影が、本人の影とは別に、ゆっくりと脈打っているのが見えた。影は零の足元に寄り、触れると冷たく、同時に甘く体に染み込もうとする感触があった。


左腕の紋様が、低く応えるように疼く。


午後のうちに、零は近所を回って話を聞いた。近くの商店の店員が、ぽつりと教えてくれた。


「あそこの家、戦後まもなく変な事件があったんですよ。主人が嫉妬から、妻の恋人を殺して床下に隠したって。後で主人も首を吊って死んだ。それから『影が動く家』って噂になって……。最近入居した人も、皆『影に触れられる』『影が自分を覆う』って言って、おかしくなりました」


零は礼を言って家に戻った。床下を調べると、古い血痕のような染みが、闇の中に残っているのが分かった。呪いの核は、そこに沈んでいる。


夜を待った。


---


電灯を消した瞬間、変化が起きた。


零の影が、壁に落ちたまま、ゆっくりと動き始めた。自分の意志とは無関係に、影の手が伸び、壁を這い、天井から垂れ下がるようにして零の頭上に広がっていく。冷たい感触が、まず後頭部に触れた。


『……体を、貸して』


声が、影の中から直接聞こえる。影が徐々に実体を帯び、男の輪郭を浮かび上がらせる。顔は歪み、瞳だけが虚ろに光っていた。影全体が零に覆い被さるように降りてきて、服の上から体を包み込む。


『一緒に生きよう。中に入らせて』


影が首筋に染み込む。冷たいのに、触れた瞬間に熱が内側に広がる。零の呼吸が乱れた。感覚が急激に過敏になり、影が肌に触れるたびに、圧迫感と甘い脱力感が同時に走った。影は胸元へと広がり、布の上から乳房を優しく、しかし確実に包み込む。次に腹へ、腰へ、太腿へと染み渡っていく。


『いい子……力を抜いて。体を預けて』


影が服の隙間から直接肌に入り込む。冷たい感触が脇の下を這い、腰骨をなぞり、太腿の内側をゆっくりと満たしていく。零は低く吐息を漏らした。膝に力が入らなくなり、畳に膝をつく。影が背中全体を覆い、胸元から腹部にかけて、新しい紋様が熱く反応する。痛みと、それに近接した甘い疼き。理性が、影に溶けるように薄くなっていく。


『中に入る。あなたと同居する。そうすれば、私も生きられる』


影がさらに深く染み込もうとする。零の視界が少し暈け、腰が小さく震えた。体の芯が疼き、下腹部に重い熱が沈む。このままでは、本当に影に同居されてしまう。


零は、影に覆われたままの手で、床下の染みに触れた。


「……こっちが、閉じ込める」


呪喰を発動する。


黒い紋様が腕を伝い、床下の核——影に封じられた生への渇望と執着——に食い込んだ。影の主の悲鳴が、家全体に低く響く。代わりに存在したいという歪んだ願いが、影とともに零の体内へ逆流してくる。頭が真っ白になり、胸元から腹部にかけて焼けるような熱が走る。新しい紋様が、広がるように浮かび上がっていく。


『返して……中に……入れさせて……』


零は目を充血させたまま、核を掴んで離さなかった。第六話のときより、さらに制御が安定している。意識を大きく持っていかれずに、核を自分の内側へ沈めていく。影の感触が体内に残り、体の感度が最大化されたまま、甘く疼き続ける。


空間が、影とともに薄れていった。


---


気がつくと、零は畳に座り込んでいた。


家に、もう異様な影の気配はない。電灯をつけても、影は普通に落ちるだけだった。零はゆっくりと体を起こし、胸元に手を当てた。新しい紋様が、胸から腹にかけて熱を持っている。服の生地が触れるだけで、小さく身震いが走った。


「……また、少しだけ、うまくなった」


掠れた声が、静かな家に落ちた。


朝方、不動産関係者に簡単な報告をした。これ以上、影に蝕まれる者は出ないだろう、とだけ伝えて、零は家を後にした。


バス停へ向かう道で、零は自分の体を確かめた。感覚はまだ影に触れられているように敏感で、歩くたびに衣服が肌を擦る感触が、甘く残っている。体内の奥で、絶呪が影の残滓に反応するように、はっきりと「同居しようとする」ような低く強い脈を打つのを感じた。


「……あなたも、誰かの影に同居されたままなのか」


問いかけに、答えはなかった。

ただ、コートのポケットに、床下から拾ってしまった古いボタンが一つ、静かに沈んでいた。


挿絵(By みてみん)

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