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絶呪  作者: 蒼狐


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第三話 血塗れの系譜

都心から電車を乗り継ぎ、最後はタクシーで山道を二十分ほど走った。


森が急に開けた場所に、その屋敷は建っていた。明治末期に建てられたという洋館は、白い壁が雨に打たれて所々黒ずみ、尖った屋根が針葉樹の間に沈んでいる。門柱の家紋は、剣を交差させた古い意匠だった。零はタクシーを降り、黒いコートの襟を立てた。空気は冷たく、土と古い木材の匂いが混じっている。


弁護士から渡された名刺を門扉のインターホンに見せると、すぐに内側から錠が開いた。出てきたのは六十代の老紳士——当主の桐生誠一郎だ。白髪を丁寧に分け、しかし目元には深い疲労が刻まれている。


「綾瀬さん……ですね。遠縁の調査員として、よろしくお願いいたします。誰にも、本当の目的は言わないでください」


零は軽く頷いただけだった。


屋敷の内部は、外観よりさらに時代が止まっていた。高い天井、赤絨毯、壁に並ぶ油彩の肖像画。使用人の姿は見当たらない。誠一郎に案内され、応接室で簡単な説明を受ける。


「孫娘の遥が、おかしくなりましてね。十九歳になります。二週間前から夜になると豹変する。壁に赤い文字を書き、自分の肌を掻きむしり、『熱い』『中に入れて』『誰か触れて』と繰り返す。医師は解離性障害だと言いますが……この家の人間は、知っているのです。これが『あの呪い』だと」


零は窓の外の森を一瞬見た後、静かに問うた。


「過去にも、同じ症状の方が?」


誠一郎の喉が鳴った。


「女系にだけ出ます。私の祖母、叔母、そして私の姉も……皆、同じように熱を訴え、家族にすがり、やがて衰弱していきました。手記には『血を分けた者と交わることで鎮まる』とあります。馬鹿な話です。しかし、この家ではそれが『対処法』としてまかり通っていた時代もある。今はそんなことをさせられません。だから、あなたに……頼んだ」


零は左手でコートの袖を無意識に押さえた。紋様が、屋敷に入った瞬間から低く疼いている。呪脈視をそっと開くと、床下を太い黒い脈が走っているのが見えた。脈は遥の部屋の方へ、そしてさらに地下へと伸びている。


「遥さんに、会わせてください」


---


遥の部屋は二階の奥にあった。


昼間だというのにカーテンが半分閉じられ、室内は薄暗い。十九歳の少女はベッドの端に座り、窓の外を見ていた。長い髪、白い肌、おとなしい顔立ち。零と目が合った瞬間、彼女は小さく微笑んだ。


「……新しい人。あなたも、同じ匂いがする」


声は普通だった。だが、瞳の奥で何かが揺れている。零が近づくと、遥の視線が零の首筋、鎖骨、左手の袖口へと這った。


「熱くないですか? 私、夜になると我慢できなくなるんです。肌が、誰かの温度を欲しがる。血が、繋がろうとする」


零は答えず、部屋を見渡した。壁にはすでに何箇所か、爪で削った跡と、褐色に変色した文字が残っている。「触れて」「入れて」「一人にしないで」。呪脈視を深くすると、遥の体内を黒い脈が網の目のように巡っているのが分かった。それは遥の意志とは別のところで、熱を生み、渇望を煽っていた。


午後から夜にかけ、零は屋敷の書庫を調べた。


古い手記の中に、呪いの起源が記されていた。

安政の頃、この家系の当主が、愛した女を「永久に自分だけのものにするため」に禁忌の儀式を行った。女の血を啜り、自分の血を分け与え、二人の間に「血の契約」を強いた。女は拒み続け、最後に自ら舌を噛んで死んだが、怨念は消えなかった。契約は女系の血を媒介に、代々受け継がれた。発症した女は、血の繋がった者に触れずにはいられなくなり、触れれば触れるほど呪いは深く根を張る。最終的に、器である女は中から焼き尽くされるようにして消える——。


零は手記を閉じた。左腕の紋様が、地下を指すように熱を持った。


---


夜が来た。


零が遥の部屋の扉を開けたとき、すでに始まっていた。


遥はベッドから降り、壁に額を押し当てていた。白いネグリジェの肩がはだけ、腕には生々しい爪の跡がある。息が荒く、頬に朱が差している。零の姿を認めるなり、遥はふらふらと近づいてきた。


「来てくれた……あなたなら、大丈夫そう。同じ呪いの匂いがするから」


手が伸びる。零の手首を掴み、そのまま胸元に顔を寄せた。熱い吐息が鎖骨に掛かる。遥の体は異常に熱く、触れただけで零の肌が粟立った。呪いが、遥を通じて直接零に触れにきている。


「熱いでしょう? 私の中が……あなたの中も、呼んでいる」


遥の唇が首筋に落ちた。吸うでも噛むでもない、ただ押し当てて、熱を移すような仕草。零の呼吸が乱れる。呪脈視を開いたままなので、黒い脈が遥の唇から零の血管へと流れ込もうとするのが見えた。感覚が急激に過敏になる。ネグリジェの生地が遥の肌に擦れる音、吐息の湿度、指先の細かな震え——すべてが過剰に感じられた。


「……だめだ。遥さん、離れて」


零は冷静に言ったつもりだったが、声が少し掠れていた。遥は首を振り、零のコートの中に手を滑らせた。掌が脇腹に触れた瞬間、新しい紋様が熱く反応する。零の膝が、わずかに折れた。


「嘘。あなたも欲しいんでしょう? 中に何かがいて、触れてほしがっている。私、分かるの。だって同じだから」


呪いそのものが、零の内側に囁きかけてきた。血を介した強制的な結びつき。触れずにはいられない渇望。零の体が熱を持ち、下腹部に重い疼きが沈む。理性を保とうとしても、肌が遥の熱を求めてしまう。背中を壁に預けたまま、零は低く吐息を漏らした。


このままでは共倒れになる。


零は遥の肩を掴み、静かに、しかし強く押しのけた。


「……核は、地下だ」


遥の目が、一瞬だけ清明さを取り戻した。零は彼女の手を引き、廊下を走り、書庫の奥にある隠し扉を開けた。螺旋階段を下りると、湿った冷気が迎える。地下の祭壇部屋。石の床に、古い遺骨と、血で書かれた術式が残されていた。中央に、黒い脈の源流が渦を巻いている。


遥が後ろで喘いだ。呪いが核の覚醒に反応し、遥の体を内側から焼き始めている。零は自分の左手を、渦の中心に突き出した。


「こっちへ来い」


呪喰を発動する。


黒い紋様が腕を伝い、祭壇の核に食い込んだ。怨念が激しく抵抗する。血の契約の記憶——捕らえられた女の叫び、啜られる感触、拒絶と同時に生まれた歪んだ執着——が、一気に零の中へ流れ込んできた。頭が真っ白になり、視界が赤く明滅する。体中の感覚が最大化され、遥が後ろから抱き着いてきた熱までが、快楽に近い痛みとして脊髄を駆け上った。


「あっ……く……」


零は跪いた。腰が震え、腹に力が入る。核を自分の内側へ引きずり込むたびに、新しい紋様が脇腹から腰骨にかけて、焼けるように浮かび上がっていく。痛みと、甘い脱力感。理性の端が、溶けそうになる。それでも零は、遥の分まで引き剥がした。遥の体内を巡っていた黒い脈が、音を立てて零の方へ移行していく。


「……もう、いい」


最後の核を沈めた瞬間、祭壇部屋の光が消えた。


---


気がつくと、零は石の床に座り込んでいた。


遥は近くで意識を失っているが、息は安定している。体の熱はもうない。零は自分の脇腹を確かめた。大きく、複雑に絡み合った新しい紋様が、まだ熱を持って脈打っている。服の生地が触れるだけで、小さく身震いが走った。感覚は過敏なままで、地下の冷気さえも肌に過剰に感じられる。


「……また、少しだけ、うまくなった」


掠れた声が、石壁に落ちた。


朝方、遥は目を覚ました。記憶の一部が曖昧になっているらしく、夜のことはほとんど覚えていない。誠一郎は深く頭を下げ、厚い封筒を零に渡した。零はそれを黙って受け取り、屋敷を後にした。


タクシーの中で、零は窓の外の森を見つめていた。

体内の奥で、絶呪がこれまででいちばん明確に、低く、ゆっくりと応答するのを感じる。まるで、血の契約の残滓に反応するように。


「……あなたも、誰かに繋がれたままなのか」


問いかけに、答えは返ってこなかった。

ただ、コートの内ポケットに、祭壇からいつの間にか持ち帰ってしまった血染めの紙片が、重く沈んでいた。

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