その3
USJでたっぷり遊んだ後、私達は新幹線で東京へと向かった。その車内で初めて富士山を見た時、何だかやっと日本に住んでいるんだなという変な実感がわいた気がした。日本の象徴と言われながら、道民からすればどこか遠い山。
きっとほとんどの生徒が同じ思いを抱いただろう。だって札幌から韓国までと、富士山が見えるような場所までってほとんど同じくらい時間がかかるのだから。だからもう、ほとんど外国のよう。
雑談やゲームの手を止め、私達はしばらく富士山に興奮しながら通り過ぎて行った。
東京に着くと人の多さに圧倒された。それはもう想像以上で、大都会の光と闇を一瞬で目の当たりにする。新幹線以外の電車の車両も多く、札幌では三両から六両編成がほとんどだけど、東京だと十数両もある。ホームもあり得ないくらい長い。
「すごいね、東京って」
「和葉、田舎者みたいな事言わないでよ」
詩織がクスクスと笑うけど、私はただただ目の前の光景に圧倒されるばかり。
「いやだって、札幌も五大都市扱いでしょ。だから都会の中で生きてるって感じは多少あったけど、これ見たら……ねぇ」
「まぁ、その気持ちはわかるよ。心寧はもう何度も来てるから慣れてるでしょ」
すっと詩織の視線につられて心寧を見れば、苦笑いを浮かべていた。
「まぁ。ある程度は慣れているけど、やっぱり圧倒されるよね」
「心寧でもそうなんだ」
東京への憧れはもちろんある。芸能人が多くいるし、イベントだって東京限定のものがやたらと多いし、規模が違う。お店の品ぞろえだって違うし、いわゆる商店街や街のお肉屋さんみたいなのに憧れる。
札幌にもあるはあるけど、滅多にお目にかかれない。商店街というよりは複数の商業施設が集まったショッピングモールの方が主流だ。
はぐれないようしっかり引率の先生について、私達は右も左もわからないまま歩く。ちらっと見えた路線図は大阪で見たそれよりもさらに複雑で、これは一度はぐれたらもうみんなと会えないかもしれないと考えると、背筋が冷たくなった。
……そう言えば。
駅から出てバスに乗り込もうとした時、私はすんすんと鼻を鳴らすように辺りの匂いを嗅いだ。けれど届くのは排気ガスとうっすら漂う下水のような匂い。
「何してるの、和葉?」
不思議そうな顔をして心寧が覗き込んできたので、私は照れ笑いを浮かべつつ辺りを見回した。
「いや、金木犀の匂いってするのかなぁと思って」
「え、金木犀?」
きょろきょろと心寧も辺りを見回すけど、大きなバスターミナルには大型バスがずらりと並んでいるだけで、植物の気配はない。私は周りが見えてくるにつれ、ちょっと恥ずかしくなってきてしまう。
「いやほら、覚えてる? 金木犀って東京とかによくあるって話をしたのを。ちゃんとした金木犀の香りって知らないから、どんなのかなって思ったらつい先走っちゃった」
「あぁー、覚えてるよもちろん。そうだ、じゃあ明日の自由行動の時にどこか良い場所に行ってみない?」
「え、いいの? みんなもいいって言ってくれるかな?」
思いがけない誘いに私は目が輝くのがわかった。けれど同時にもう決まったルートがある事を思い出し、それに向けてみんな盛り上がっていた事を思い出す。だから視線が落ちかけた時、ぽんと心寧が私の肩を叩いた。
「その時は私と二人で行こうよ」
いたずらっぽく、でも嬉しそうに笑う心寧を見て私は胸の奥底から甘い痺れを感じずにはいられなかった。心寧がそう言ってくれる事が嬉しくてどうしようもなくて、胸が弾む。だからもう、次の瞬間にはうなずき返していた。
「そうしよう」
その時、ぽつりと雨粒が頬に当たった。
翌朝、窓の外は薄灰色のマーブル模様で塗り潰されていた。
「すごいね、雨」
宿泊している室内で身支度を整えながら鏡花がそう呟くと、みんな重たげに頭を上下させた。
窓の外からは轟音が響き、外の景色すらロクに見えない。昨日バスに乗った時から本格的に降り出し、天気予報のサイトを見れば今日は半日大雨らしかった。それでももしかしてと一縷の望みをかけて目覚めたものの、現実はそう甘くない。
公園、行きたかったな……。
昨日それでも心寧と一緒に晴れた時の事を想定して、計画だけは立てておいた。場所は井の頭公園。何でも有名な公園で金木犀の香りもこの時期ならよく香るらしい。詩織達にそれを伝えると、面白そうだから私達も行くと同意してくれていた。
だから、この雨が憎い……。
折角、心寧と一緒に本当の金木犀の匂いを嗅いであれこれ話そうと思っていたのに。
きっともう私は東京に来る事は無いだろうから、一生感じられないかもしれない。
「お腹空いたね、朝ご飯食べに行ける?」
一番ガッカリしているのは私だってみんな知っている。だからできるだけ明るく、振り絞った元気を使ってそう言うと「行けるよ」「お腹空いたよね」「ホテルの朝ご飯とか美味しいよね」とそれぞれ返してくれた。
ただ、心寧だけは何も言わなかった。それが私の心を強く引っ掻く。
横目でこっそり覗き見すれば、誰も見ていないと思っていたのか視線を落としているのが見えた。唇に力が入っているようにも見える。それは私と同じ気持ちなのか、それとも別な何かのせいなのか。
その答えはわからない。けれど、もし私と同じ気持ちだとしたらちょっとだけ、ほんのちょっとだけこの雨も許せるような気がした。
結局、その日は屋内で楽しめる場所をメインに回った。移動は主に電車と地下鉄。駅直結の施設が多く、こういうのは東京っていいなと素直に思える。食べ歩き、色んな所を巡って笑い合っていると、胸に抱いた悲しさを忘れさせてくれた。
でも一瞬、もしくはほんの短い間だけ。
有名なハンバーガー屋で高いお金払って食べている時も、古着屋や手頃なブランドショップに入って物色している時も、何なら笑っている時でさえも心の片隅には常に残念だったという思いが強烈に残っていた。
だからフラワーショップを見かけた時、街路樹やその足元に咲く花を見かけた時、強くそれが顔を出す。未練がましくこっそり嗅いでみても、雨の匂いしかしない。湿気た、どこか埃っぽい匂い。
けれどそれを表に出せば、みんな盛り上がろうとしているのに水を差す。私のワガママでみんなの思い出を踏みにじりたくない。だからそんな様子は出さないように、出来る限り頑張ってみた。そしてそれに呼応するかのように、みんなもいつものテンション以上に盛り上がろうとしていた。
ただ……心寧だけは違った。どうしてか、目が笑っていないのが妙に気にかかった。




