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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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10/19

その4

 修学旅行から帰ってきた私達は数日もすれば日常へと戻っていった。

 詩織はまた部活に精を出し、心寧も塾に通ったりして勉強を頑張っている。私も自分なりに家で勉強しつつ、バイトを頑張っていた。それは家計を助けたり自分のお小遣いを捻出するのみならず、大きな目標のため。

「私も絶対心寧と同じ北大に入るんだ」

 最近は放課後、三十分だけ時間を貰って心寧に勉強を見てもらっている。広げたノートと数学の教科書に悪戦苦闘しながら、私は自分を鼓舞するように呟く。

「でも今のままじゃ厳しいよね。心寧、中間考査で学年何番だったっけ?」

「……七十六位」

 視線が下がり、呪文のような公式が目に入る。微分積分の公式がどうしても頭に入ってこないし、少し応用されるともう厳しい。算数は好きだったけど、数学は数字より英字が多くなってきているから苦手意識も強くなってきた。

「北大じゃなければどこかの大学には受かると思うんだけどね」

 小さく微笑む心寧の言葉が胸に刺さる。私は人知れず奥歯を噛むと、首を横に振る。

「大学生になりたいわけじゃないの」

「わかってる。私も心寧と一緒に大学に行きたいから、一緒に勉強しよう」

 そんな心寧は学年三番。上位二十人くらいが北大に合格しているから、私も何とかそこに食い込みたいのだが、どんどん勉強が難しくなってきているので順位の現状維持で精一杯。

 もし私も塾に行ければ。

 もし私も勉強だけに専念できれば。

 そんなもしもが心寧を見て頭をよぎる。けれど私はすぐにシャープペンを握り直し、教科書の解説に目を落とした。

「そうそう、合ってるよ和葉。その順番で解いていけば微分は大丈夫だから」

 心寧の教え方は凄く上手で、さすがに理解度も深い。正直、先生の教え方よりも上手だと思う。だから私でも少しずつ理解できるのだろう。

 それに……心寧と勉強しているのが楽しい。

 私だけが思っているのかもしれないけど、心寧とはリズムが合う。笑うタイミング、心配するタイミング、話したいなと思うタイミングなど、お互いに求めかけた時に自然と手を伸ばされる感じがして心地良い。

 そしてこれは絶対に言えないけど……心寧が好きだ。

 その好きは友達としてはもちろん、親友としての好きよりも好きなのかもしれない。ただ、恋愛的な意味での好きかどうかはわからない。誰よりも心ときめくし、誰よりも特別になりたい。誰よりも近くにいて、誰よりも私の事を考えて欲しい。

 でも言えない。だからこうして一緒に傍で勉強しているだけで、今日も一日幸せだと思える。

 ただしそれは私がある程度勉強ができて、かつ熱意があるという前提に成り立っている。

「心寧、明日もいいかな?」

 約束の三十分がもう目前だった。私は時計をちらっと見ると、おずおずと心寧に目を向ける。すると心寧が目を細め、にっと口角を上げた。

「当たり前じゃない」

 あぁ、もうその明快な答えと笑顔にどれほど私の心が救われている事か、きっと心寧はわからない。でもいいんだ、一緒にこうして机を並べてくれるだけで。傍にいてくれるだけで。ほのかな心寧の匂いを感じるだけで。

 時間になったので私達は片付け、一緒に学校を出る。もう涼しいどころか寒さを感じさせる秋風に首をすくめるが、この胸の灯火は消えない。

「和葉は今日この後、バイト?」

「うん、スーパーの品出しね。最近はお客さんにも顔を覚えられてきたのか、たまに声をかけられるんだよね。どこにありますかって」

「……いいなぁ、カッコイイ。私も大学入ったら、絶対バイトしたいな」

 どこがカッコイイのか、どうしてそんなに実家が太いのにバイトしたいのかわからない。でも、人って無い物ねだりばかりしているから、きっとそうした憧れがあるのかもしれない。

「心寧はバイトするとしたら、どんなのやってみたいの?」

「どんなの? えー……迷うなぁ」

 口元を緩め、顎に人差し指をそっと置いて空を見る心寧の姿は何度見ても可愛い。それにしても心寧は一体どんな仕事を選ぶのだろう?

「そうだなぁ……個人経営の飲食店とかがいいなぁ」

「えっ、何で?」

「だってまかないとか食べられそうだし、そういうとこって美味しそうじゃない」

 正直、素直に可愛いなと思ってしまった。確かに私もそういうのに憧れるけど、でも飲食店は厳しいと聞いていたので二の足を踏んでいる。それにスーパーの品出しだって、帰り際にあれこれもらえたりするのだ。

「確かにそうだね。ウナギ屋さんだったら、ウナギとか食べられるのかな?」

 ただ、何も知らない人に現実を突きつけ失望させるのはよくない。私は無邪気に笑顔を向けてそう告げると、心寧がぴょんと跳ねた。

「和葉、あったまいい。そっか、焼肉屋とかウナギ屋とかなら美味しいの食べられるんだ。えー、お金もらえて美味しいの食べられるなんてすごすぎる。絶対私、そうしよ」

 心寧なら親と一緒にそういうの食べているだろうに。

 ゆらりと私の中で醜い心が首をもたげたが、すぐに抑えつけた。そんなのは関係無い。自分の力で食べるのと、単に食べさせてもらうのは違うだろうから。心寧が働き、まかないで美味しい物を食べる。それを夢として抱く。

 それだけでいいじゃない。

 本当の意味で隣に立ちたいのなら、特別になりたいのなら、醜い嫉妬が無くなってしまえばいいのに……。

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