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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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6/8

その6

 九月の風は北海道でもすっかり暑いものとなってしまった。もう半ばを過ぎているのに、まだ三十度を超す日も珍しくない。それでも放課後になればほんのわずかだが、涼しい風が吹く事もある。

「この暑いのにグラウンド走らされたから、もう疲れちゃったよ」

 私と心寧は並んで校門を出る。六時間目に行われた体育は持久走だったため、すっかり汗をかいてしまった。制汗剤などで汗のにおいを誤魔化しているけど、どこまでそれが効果を発揮しているかはわからない。

「私、疲れもそうだけどお腹空いちゃった」

 心寧が照れ笑いを浮かべると、そっとお腹に手をあてた。言われてみれば私も小腹が空いてきたような気がする。

「ねぇ、帰りに何か食べようか。今日は塾無いんでしょ?」

「いいね。そうしよう」

 笑顔を互いに交わすと、重かった足取りが軽くなったような気がした。

 最近はこうして心寧と一緒に帰ったり、何かをする事が多くなった。それは私の中で変なわだかまりが消えたのが大きいかもしれないが、心寧も心寧で付き合いが良くなったような気がする。今日は詩織が部活でいないけど、そんなのはもう関係無かった。

「でも、どこ行こうかなぁ」

 私はついと顎に指を添え、軽く空を見上げる。定番はハンバーガーショップかもしれないけど、今日はそんなにお金を使いたくない。かと言って他の所だと同じくらいか、もっとかかってしまう。

 ならばコンビニかなと考えたけど、コンビニだって最近は高い。帰り道に何軒かあるけれど、それだったらスーパーの方が安い。けど、小腹が空いたと言ってスーパーの中に入るのもどうかとためらわれる。

「ねぇ、和葉は何食べたい?」

「えっ? うーん、そうだなぁ……」

 小腹が空いたとはいえ、何を食べたいかは決まっていなかった。特にこれというものが無い場合、私は安くてお腹に溜まるものを選びがちだ。

「チョコデニッシュ、とか?」

「あー、いいね。私も甘いの食べたい。どこかオススメのある?」

 目を輝かせ、心寧がぴょんと跳ねた。その仕草が子供っぽくて、でもやたらと可愛らしくて私は思わず胸に甘い疼きを走らせる。

「オススメ、かぁ……私はいつもそういうのは駅前のスーパーに入ってるパン屋でばっかり買うんだよね。安いし。専門のパン屋さんとかはあまり行かないから」

 自虐気味に苦笑してやんわり断ろうとしていたのだが、心寧は更に目を輝かせながら笑顔を寄せてくる。

「じゃあそこにしよ」

「えっ、いいの?」

「うん? 何か問題でもあるの?」

 私が驚いて目を丸くすると、心寧も不思議そうな顔を返してきた。

「え、いやだって、何か食べようって誘っておいてなんだけど、スーパーのパン屋に入るのは恥ずかしくない?」

「いや全然。だって和葉のオススメで、よく食べるんでしょ? 私も食べてみたいな」

「うん、じゃあそこにしよう」

 純粋な好奇心の瞳。その眼を見て私はもう断る事が出来ず、半ばもうヤケクソ気味に同意する。きっと詩織にならこんなに気を遣ったりはしない。心寧の場合は何と言うか、まだそう言う所へ連れて行く恥ずかしさと引け目があるのだろう。

 もっと言えば、格好つけたいという気持ちがある。

 でもきっと、心寧はそういうの気にしないだろう。いや、もしかしたら嫌がるのかもしれない。そうじゃなくとも私生活で差があるから、私の日常が目新しくて楽しいのかもしれないと思うのは自虐が過ぎるだろうか。

「あ、でも私がよく行ってるそのスーパーなんだけどうちの最寄り駅で降りなくちゃいけないけど、いいかな?」

「いいよ。だって定期でしょ、問題無いよ」

 そこまで言うなら、もう何も余計な事は考えないでおこう。後はただ、今日のチョコデニッシュの出来が良ければいいなと願うばかり。

 それから私達は電車に乗り、いつも私が降りる駅に着いた。駅から徒歩五分の所にあるスーパーは広い駐車場がいつもいっぱいになっている。駐輪場だって混雑だ。制服姿の学生はその傍にあるハンバーガーショップに吸い込まれていくが、私達はスーパーの方へと歩き出す。

「普段降りない駅だから、なんか新鮮。いつも通り過ぎるばかりなんだよね」

「そうだよね。ここ住宅街がメインだから、用も無く降りる事なんか無いだろうね」

 生まれも育ちも札幌だけど、私だって降りた事のない駅は幾つもある。駅の路線図を見ても、一生降りないだろうなって駅もたくさん。だからきっと意識しないと、すごく狭い世界でしか生きられないんだろうな。

 スーパーの入口近くまで行くと、パンの焼ける匂いが漂って来た。入口近くにダクトがあるため、風に乗り空腹を刺激する。ちらっと心寧を見ればもう笑い出しそうに口元が波打っていた。私達は気持ち足早に自動ドアをくぐる。

 店内に入ってすぐ左手にパン屋がある。もう芳ばしく甘い匂いが胃袋をつかみ、商品に目を向ければ目移りしてしまうくらいどれも美味しそう。けれど私達はチョコデニッシュを食べに来た。だから甘いパンコーナーへと足を向ける。

「あ……一個しかないね」

 お目当てのチョコデニッシュは残り一個だった。他にもチョココロネやクイニーアマンなど美味しそうな甘いパンがあるけど、もうすっかりチョコデニッシュの口になっていたためそれらは妥協でしかない。

「ねぇ、半分こしない?」

 数秒固まっていると、心寧が声を弾ませながらそう訊いてきた。私が驚いて振り向けば、何か新しいものを発見した子供のような顔をしている。

「いいけど、いいの?」

「うん。あまり食べ過ぎたら晩ご飯入らないもんね。甘いから半分でも満足できそうかなって思ったんだけど」

 本心なのか、気を遣っているのかわからなかった。でも、そうするしか一緒に楽しむ方法はない。私はトングでそれをつかみ、一つだけ乗せた寂しいトレイをレジへと持っていく。

「百五十円になります。袋にお入れしますか?」

 ちらっと心寧を見れば、小さく首を横に振っていた。

「いえ、そのままでいいです」

「では、こちらにお入れしますね。ありがとうございました」

 小さなビニール袋に包まれただけのそれを渡され、私達は店を後にして外へ出た。そのチョコデニッシュは外側がパリパリのクロワッサンみたいな皮に包まれており、中から美味しそうなチョコが顔を出している。私達は日陰に移動すると、半分にちぎったそれを心寧に渡した。私の方は剥き出し、心寧のはビニールがついている方を。

「じゃあ食べようよ」

「うん、いただきます」

 ほぼ同時にそれを口に入れる。するとふわっとしながらもサクサクとした触感がまず訪れ、次に甘いチョコの濃厚な美味しさが口いっぱいに広がる。一個だと結構満たされるそれも半分にしてしまえば、ほどほどに収まってしまう。ただ、甘いものを食べたせいか口の中が甘ったるい。

「ねぇ和葉、何か飲む? パンおごってもらったから、ジュースくらいは出すよ」

「ありがと。じゃあそうだなぁ……レモンティーがいいな」

 近くにあった自販機に目を向けると、私はそれを指さした。心寧は小さなピンクの財布を取り出し、それを買う。そうして私にそれを差し出してきたので、食べ終えた私はそれを素直に受け取った。

「ありがとう」

 くぴくぴと三分の一ほど一気に流し込む。この暑さとチョコデニッシュの甘さですっかり喉が渇いていたからか、さっぱりした甘さが染み渡る。すっかり満足して口を離して柔らかに笑っていると、すっと心寧が手を差し出して来た。

「私にも飲ませてよ」

 一切の曇りなく、無邪気にそう言う心寧に私はもう目を丸くし、胸の鼓動が踊り狂うのを見せないようにするので精一杯だった。

「え、私飲んじゃったけど……いいの?」

「いいよ。私、気にしないから」

 にこりと笑う心寧に私はどぎまぎしながらも、渡すしかなかった。心寧はそれを受け取ると、すぐに口付けた。私はそれを見て、せめて飲み口くらい拭けばよかったかなと気まずくなる。もしかしたらチョコがついてたかもしれないと今更ながらに恥ずかしくなったが、もう後の祭り。どうしようもない。

 そう思っている間にも心寧の喉が動く。日陰ながらもそれはまだ明るい世界にあるからか、何だかいけないものを見てしまったような気がしたけど目が離せなかった。白い喉が動き、うっとりと目を細めて飲んでいる姿に思わず胸が高鳴る。

 回し飲みとか、もしかしたら普通なのかもしれない。私はそれまでそんな事をする友達がいなかったから、変に意識してしまっているだけなのかもしれない。ただ、心寧が私の口をつけた所をためらいなく飲んでいる。

 その事実が私の目を離させなかった。まだ暑さ残る九月の風を受けながら。

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