第六章~その1~
秋の空を切り裂きあっと言う間に海を越え、私を乗せた飛行機は羽田空港へと降り立った。通路側だったから景色は見えなかったけど、それでも離着陸の衝撃や飛行機の揺れは私を興奮させるのに十分過ぎた。おかげで休まる暇さえなかったくらい。
東京か……一人で来ちゃったんだ、本当に。
飛行機から降りると、北海道とは一段階違った湿度の高い空気の壁にぶつかる。そう言えばこの感じ修学旅行の時もそうだったなと懐かしく思いながらわずかにじめっとした空気の中、不安と高揚をない交ぜにしながら進んでいく。
そこかしこから聞こえるアナウンスにうんざりする。合成音声によるそれがあちらこちらから聞こえ、東京ってこうだったなと再確認。周囲からガラガラとやけに音を立てるキャリーケースに苛立つのはきっと、小腹が空いているせいかもしれない。
流れてきた荷物を受け取りそこを出ると、やっと周囲を確認する余裕ができた。物凄い人混みの中で見慣れたコンビニの名前が見える。遠くにはお土産屋もあるみたいだ。ちょっと見てみたいなと思ったけど、頭上にあった時計を見れば心寧との約束の時間まであと十五分。きっと早く来ているだろうから、帰りに寄るとしよう。
時刻は現在、十時半を少し回った所。私は案内表示を辿りながら第二ターミナルを抜けて約束の喫茶店へと向かう。少し歩けばすぐに目的地が見え、その店の前には見知った容姿の女性が立っていた。少しうつむき、でもちらちらと左右を確認している。
半分ほど近付けば向こうもこちらに気付いたのか、にこりと笑いかけてきた。水色のカットシャツに白いパンツ姿、けれど髪はややぼさついていて、より近付けばメイクだって簡素。眉を書いて最低限のファンデーションしか塗っていない。
私は胸が苦しくなりつつも、にこりと笑って手を挙げる。すると彼女も同じ高さで手を挙げ、笑いかけてきてくれた。
「久し振り、和葉。本当に来てくれたんだね、すごく嬉しいよ」
「思ったよりも変わってないね、心寧。安心したよ」
少し疲れたような、でも嬉しそうな久々の生声。長らく会っていなかったけど、こうしてまた会えた事に胸が熱くなる。自分の意思で来てこんなに心寧が喜んでいるのを見れば、自分が誇らしくなってくる。
「疲れたでしょ。コーヒーでも飲んでいく?」
「そうさせてもらおうかな」
私達は店内に入ると、奥の方の席に案内された。ずっと座りっぱなしだったくせに、妙に疲れている。だから甘いものが飲みたくて、アイスココアを注文した。心寧はアイスカフェラテ。
「一人で初めて飛行機乗ったけど、ドキドキしたよ」
私はふうっと息を吐き、笑いかける。私と会ってからずっと嬉しそうな心寧が笑ってくれるだけで、来た甲斐があるというものだ。
「楽しくてって事?」
「ううん、緊張で。チケットの発券方法とか搭乗ゲートの入り方とか、何もかもわからなくてさ。飛行機に乗ってもお腹痛くなったらどうしようかなって」
「それでも来てくれたんだね」
目を細める心寧はやっぱり大人びた綺麗さがある。でも、初めて会った時と同じようなあどけなさもまだ残っていた。ふと手元を見れば、あの時と同じ青いネイル。あの時より剥げているのが気になったけど、口には出せない。
私は今日ここに来るまでの心寧の辛さを想像し、胸が痛くなった。
「金木犀の香りを確かめたくてね」
「何よそれ」
クスクスと笑い合っていると、注文したものが運ばれてきた。喉も乾いていたのでさっそく飲めば、甘く冷たい喉越しが私の頭を蕩けさせる。三分の一ほど一気に飲むと、やっと人心地つけたような気がした。
「でもほんと、和葉が来てくれるだなんて思わなかった。ビックリしたよ」
「あはは、私も自分でビックリしてる。なんかもう急にね、ほんと急に行かなきゃって思ってさ。会社にも有休取るからって言ったらビックリされて、両親にも驚かれて」
両親に東京行きを告げた時、心から驚かれた。当然だろう、今まで一人でそんな遠くに行った事が無いのだから。だけど、心配されたけど引き留められなかった。むしろどこか喜んで送り出してくれたのが嬉しい。
「それはそうだよ。今までの和葉だったらそんな事しないだろうし」
「だろうね。でもまぁ、今は気分がいいよ」
少し先にある窓から差し込む光に目を向ける。神々しくも清々しい秋の陽光はまるで私の心と同じ。殻を破り、足枷を捨て、自分の足で前に進む選択ができた。他人からすればたかが東京に来る程度と思うかもしれないけど、私の中ではかなり大きい進歩。
「和葉、やっぱり素敵になったね」
少し間を置いてから、心寧が噛みしめるように言った。私はちょっと照れ臭く、すぐに否定しようとしたけれどやめた。今はもう少し、前向きにとらえたい。
「そうかな。心寧ほどじゃないけど。でも嬉しいな、そう言ってくれて」
柔らかに笑う心寧の表情は先程再会した時よりもずっと自然だった。私はむず痒い胸の内を隠すようにストローに口付ける。
「ねぇ和葉、ホテルとかって決めてる?」
「いや、まだ。結局、甘えられるなら心寧の家に泊まらせて欲しいなって思ってて」
きっと以前ならこの考えも恥ずかしいとか浅ましいとか思って、言えなかった。けれど今は素直に甘えられる。お願いができる。厚かましくなったわけじゃないと思う。ただきっと、少しだけ自分も心寧も信頼できたのだろう。
「もちろんいいよ、私はそのつもりだし。あ、でも部屋汚いかも。一応掃除はしておいたんだけど」
「大丈夫、私の部屋より綺麗だから。高校の時、心寧の部屋に行ったでしょ。あの時思ったんだよね、めっちゃくちゃ綺麗だって」
「あれは実家暮らしだったし、余裕あったから。一人暮らしするようになってから、片付けとか掃除とかどうしても後回しになっちゃって。料理だって全然できないままなんだよね」
苦笑する心寧に私は同調するように笑う。確かにそんなものだ。それでも私はそれこそが心寧の現状であり、等身大だと思っている。だから今、そんな心寧を見れる事にずっとワクワクが止まらない。
「泊めてくれるお礼に、簡単な料理なら作るよ」
「じゃあ、朝ご飯お願い。晩ご飯はほら、きっとどこかでお酒飲んで食べるだろうから」
「わかった。でも期待しないでよね」
あぁ、どんどんと心寧の顔が高校時代に戻っていくような気がする。私も気持ちがあの頃へと戻っていく。憧れつつもただ無邪気に笑い合い、側にいた日々。少し変わった所もあるけど、でも目は一緒。目の輝き、視線の感じ、そして視線の向け方。
私はもう少しだけ残っているそれを飲み干した。
「とりあえず私の家に行こうか。まずは荷物置いて、それから色々見て回ろうよ」




