その3
大型連休前はすごく忙しいけど、連休に入ってしまえば休めないけどそれなりに落ち着く。常にギリギリの人員で回し、誰かが休めば割と無理をしないとならないのは中小企業の定めなのだろうか。
「吉野さん、この連休は休まないんだね。偉いよ、若いのに」
望月課長がそう言いながら、私の机にコトンと缶コーヒーを置いてくれた。私は使用済みの裏紙を切り、みんなの簡易メモ帳を作る手を止める。
「まぁ、特に予定も無いので。お子さんいる長野さんとかはこういう時に休みたいでしょうから」
長野さんは三連休を取っている。旦那さんが公務員らしく、こういう時でもないと旅行に行けないからと事前に聞いていた。ずるいなとはあまり思わない。ただ子供を持つと大変なんだなと同情するばかり。
「偉いねー、今の若い人ってみんなこうなのかな? 俺らが若い時はもう暇さえあれば遊び歩いてたからねー」
「課長、時代が違うんですから」
スマホを見ていた富永さんがポツリと呟くと、望月課長は苦笑いを浮かべた。私もそれにならい、愛想笑いを浮かべる。
「そうなんだけどさ、偉いなって思って。友達とか連休じゃないの?」
「職種は違うんですけど、みんな忙しそうにしてますね。逆に一週間とか休んでも平気な職場って、なんなんでしょうね? 私達もそうしましょうか」
「そうなりゃスーパーに物が並ばなくて、みんな暴動だね」
望月課長が大笑いし、私を含め周りの人達も笑う。会社内の娯楽なんてこんなものだ。自虐し、慰め合い、他をくさす。私だって休めるなら休みたいけど、出たら出た分だけお金がもらえる会社だから出てるだけ。
だってこの仕事、世の中から蔑まれていると時々感じる。誰にも感謝されないし、そのくせ当たり前のように存在しないとならない。物流は社会の血液と言うけれど、配送有料になればすぐに文句を言う。私もだけど。
確かに顔が怖かったり、制服がよれたり汚れたりしているドライバーさんもいる。夏は誰しも汗臭い。でもそれでサービスを甘受しているくせに世間の人達からうっすら嫌われたりしてるのは納得いかない。
だから私も最後までしがみつきたいとは思えないのかもしれない。
仕事からの帰り際、私はホームセンターに寄った。家から徒歩で行くには少し遠い場所に中規模のホームセンターがあり、私は良くそこで日用品を買っている。
夕方六時半を過ぎればもうすっかり暗く、初夏と比べれば何だか遅くまで働いたなという気持ちになる。お腹も空いているので、とっとと済ませちゃおうと車をなるべく入口近くの空いてるスペースにバックで駐車した。他に車がたくさんあるから、運が良かったとわずかに心が軽くなる。運転はもう日常の一部なので、かなり慣れてきていた。
三人でドライブしてた頃が懐かしいな。今ならあんなにドキドキさせないのに。
苦笑しながらホームセンターに入れば、駐車場の車数が示していた通り店内には晩ご飯時なのに結構なお客さんがいた。私は買い物かごをサッと手に取り、足早に目的の物を買おうと売り場へ向かう。
二色ボールペン、風呂場の水垢取り、あと歯ブラシも買い換えようかな。それと台所のスポンジと……あぁ、そうだトイレの芳香剤も買っておこう。
最後に芳香剤のコーナーに立ち寄り、どんな匂いにしようか物色し始める。今使っていたのはシトラスの香り。ホワイトソープがいいかな、ローズはちょっと匂いが強いかななんて思っていると、ふと視線と足が止まった。
金木犀の香り……。
私はそれに向き直り、じいっと見詰める。どこにでもあるだろうそれは私の心をガリっと引っ掻き、動けなくさせるには十分だった。
心寧、今どうしてるのかな。
私はそれを手に取り、間近で見続ける。一体どのくらいそうしていたのだろう、幾人もの人達が私の側を通り抜けていく。中には不躾な視線を投げかけてきている気配すらあった。
それでも私は目を離せなかった。変な話だけど、そこに心寧がいるような気がして。絶対に違うのに、心寧と向き合っているような気がして動けないでいた。
『嗅ぎに来たらどう?』
不意に耳元であの言葉が再生された。私はびくりと少し震えると、急に胸が苦しくなる。
心寧、あんな事は今まで一度も言わなかった。いつだって楽しそうで明るい話しかしなかった。私が行けないのを知っているから、来て欲しいなんて直接言わなかったんだ。
いや、言えなかったんだ。
私は芳香剤を抱きかかえたまま、人目もはばからずぼろぼろと涙をこぼし始めた。しゃくり上げ、嗚咽する私をきっと変な目でみんな見ているだろう。でもそんなの、今はどうでもよかった。
私はバカだ、本当にバカだ。心寧は淋しいんだ、来て欲しいんだよ。それを訴え続けていたのに、いつだって私はその手を払っていた。距離? お金? 休み? 馬鹿じゃないの?
どうにでもなるよ、そんなの。それより心寧に会いたい。
どんな顔をして一人部屋にいるのか、確認したい。
だって心寧は私が大変な時、いつだって来てくれたじゃない。なのに私、何もしてあげられてない。ずっと、いっつも断ってばかりだ。
もう涙で前が見えない。頭に浮かんでいた心寧の顔も声も消えてしまった。キィンと耳鳴りがし、喉にも異物が詰まったかのような苦しさで息苦しい。私はついに膝から崩れ落ちたけど、芳香剤を手放せなかった。膝をつき、頭を垂れて泣くばかり。
「あの、お客様……大丈夫ですか? 具合、悪いんですか?」
そんな店員さんの声も、どこか遠かった。




