その6
「何言ってるの、詩織」
「何って、事実でしょ」
馬鹿馬鹿しいとばかりに私はグラスを手にし、お酒を飲む。ただ、手が震えていた。悟られないようにすぐグラスを置くと、薄ら笑いを浮かべる。けれど詩織はじっと私を見詰めていた。
「だってさ、友達同士だよ。女同士だよ」
「うん、そうだね。でも、恋してるでしょ」
言ってて辛い言葉も詩織はまるでそよ風のように聞き流す。私はもうどうすればいいかわからず、ただ視線を横にずらした。
「高校の時からかな。なんか私と心寧との距離感が違うなって思ってたんだ。心寧といる時の和葉、表情が柔らかいんだよね。それにほら、古傷えぐるようで悪いんだけど、大学受験。あれだって心寧と一緒にいたかったからなんでしょ?」
「あれは……北大だと、就職に有利になるし……」
声が震える。隠し切れない動揺をそれでも誤魔化すように、私はグラスに手をつけたけどすぐに離した。そうして自分の膝をきゅっとつかむ。
「でもさ、北大じゃなくてもあの頃の学力なら他の大学にでも行けたでしょ。それなりの大学には行けて、大卒の肩書はもらえたから就職にはまぁ役に立ったんじゃないの?」
私は目を伏せ、ただじっとする事しかできない。
「和葉さ、恋の話とかしないよね。それってそういう人なんだって思ってた事もあったけど、心寧の事が好きだとしたら話題にはしたくないのかなって。どこで漏れるかわからないから、あえて避けているのかなって」
視線を上げられないが、心が異様に渦巻く。恥ずかしさとか自己嫌悪とか、そういうものじゃない。ましてや嬉しさとかじゃない、ただふつふつと、当たり前のことに対する怒りのようなものがアルコールで加速していく。
「だったら何なのよ」
「別にどうもしないよ。そういう時代だからとかって言うつもりも無い。ただ、もしそうなら、あぁそうなんだって納得する感じ」
やや怒りを込めても、詩織は全く動じずに柔らかく微笑んでいた。顔を上げた私はきっと泣きそうな表情になっていたかもしれない。そんな気がした。
「好きになった人が、たまたま心寧だったんだよ。しょうがないじゃない」
詩織が一つ大きくうなずき、グラスを傾ける。その眼はどこまでも優しく、私の心の奥まで撫でるかのよう。
「いいんじゃないの、それで。だって心寧、いい子でしょ。放っておかないよ、普通」
その言葉を噛みしめるよう、私はゆっくりとうなずく。
「……私さ、一目惚れだったんだ。一年生の最初の挨拶の時、何でかわからないけど惹かれたの。それから仲良くなれて、でもいつしか友達としてじゃない気持ちを持っちゃって……悩んだんだよ、これでも。頑張ったんだよ、これでも」
「わかるよ。すごいわかる。言いにくいもんね、その恋は。辛かったでしょ」
鼻先がツンと痛み始めた。これはまずいと私はグラスを空にすると、グラスがもう空になりそうな詩織に何を飲むか訊く。そうして注文をして時間を空けると、ほんの少しだけ冷静になれた。
「気持ち悪いでしょ、女同士なのにさ。友達だ親友だと言いながら、ずうっとそういう目で見ていたんだよ」
「気持ち悪いって何が? 友達に恋する事が? 別にいいんじゃない? 男女だって友達から恋愛に発展する事なんか普通でしょ。でも和葉が悩むのはわかるよ。私だってその立場ならそうなるよ、絶対」
そう言うと詩織は運ばれてきたグラスワインの白をぐいっと半分ほど飲む。
「まぁ、何が言いたいかって言うとさ、もっと信用して欲しいなって事」
「信用?」
私がぽかんとしていると、詩織が赤い顔をずいっと寄せてきた。
「そう、信用。私にも話せなかった? 嫌われるとか、馬鹿にされるとかって思ったの?」
「それは……」
当然の事だろう。恋なんてデリケートな事、他の人になんか話せない。ましてや仲良し三人組の心寧だ。完璧なトライアングルを壊すし、私が一番心地良い場所を二つも手放すかもしれない。出来なくて当然だ。
「そんなのするわけないでしょ」
ぺちりと詩織が笑いながら私の頭にチョップしてきた。呆気に取られていると、詩織がケラケラと笑い出す。
「ほんと、なーんも見てないんだから私の事。心寧ばっかり。あのね、私は真っ先に祝福するよ。和葉も心寧も大好きなんだもん、幸せになって欲しいよ。そこで二人の時間が増えて、私と話さなくなったり疎遠になってもいいよ。だってさ、もしくっついたら私が知ってる中で最高のカップルだからさ」
「疎遠になんかしないよ。するわけないじゃない!」
私がムッとして詩織を見れば、何だか嬉しそうに手をひらひらさせてはにかんでいた。
「うん、ありがと。それでいいよ」
私達は見詰め合い、同時にグラスを傾ける。アルコールの熱さだけでない何かが私の胸を支配していた。
「まぁ和葉が心寧の事を好きなのはおいといて、心寧も和葉の事が好きそうに見えるんだよね」
「えっ、そうなの?」
思わず前のめりになるが、そのはずみでグラスに触れてしまいあわやこぼすところだった。とっさにグラスを持ち、ほんの少しだけお酒がこぼれる。私は安堵の溜息をつくと、最初にもらったおしぼりでそこを拭いた。
「まぁ、直接は聞いてないから何とも言えないけど、傍から見たらそんな感じはするよ。正直、和葉はどう感じてた?」
「どう、って……」
正直、好かれているはず……だと思ってる。けれどそれを言ってしまえば自惚れだとか勘違いだとか思われそうだし、何より違っていたら恥ずかしい。
考えるふりをしながら視線を落とすと、ポンと肩を叩かれた。顔を上げればニヤついた詩織の赤い顔が近くにある。
「和葉ぁー、正直の会でしょ。わかるよ、何考えてるのか。違うかもしれないとか、そんな後ろ向きな事でしょ。違うでしょ、本心は。ほら、教えてよ」
図星だった。気まずさを誤魔化すように私はグラスに手を伸ばす。
「まぁその……好かれているとは思ってるよ。じゃなきゃ二人きりで学校祭行こうとか言われなかっただろうし、心寧が東京に行く時に一緒に来ないかとか言われなかっただろうから」
「ちょっと和葉、そんな事言われてたの? そんな事まで言われてまだ迷ってるの? バカなの?」
思いがけない強い言葉に私はムッとして眉根を寄せる。
「バカって何よ」
「いやだって、そんなの告白どころかプロポーズでしょ。和葉どんだけ過小評価というか、自信が無いわけ? いやもう、そんなの……あー、ありえない」
「いやだって、急にそんな事言われても仕事はあるし、家族の事だってあるし。それに、釣り合って無いような気がして、怖くなって」
盛大な溜息が詩織から漏れる。大きく首を振り、やれやれと言わんばかりに手をかざしているその姿は絶対に私を煽っているんだろう。
「だからさー、心寧は絶対そんなこと考えてないってば」
「わかってるよ、私の問題なの」
「和葉の問題、ねぇ」
今度はどこか寂しそうに、詩織が小さく溜息をついた。
「まぁ、そうだね。そればかりは本人にしかわからないし、和葉自身が何とかするべき問題だよね。ただ、いつまでものんびりはできないよ。気付いたら二十五、三十となっていくんだから。そうなった時、いつまでもこのままなんてのはありえないんだよ」
「……わかってる」
そんなの、わかってる。でもどうすればいいのかわからない。いや、わかっているけれど足が動かないんだ。だって今までできなかった。思い返せば何度もチャンスはあったのかもしれない。九十九パーセント上手くいくかもしれないと思った時でさえ、一パーセントの失敗が怖くて何もできなかった。
呆れられたって仕方ないだろう。
「ま、この話はここまでにしよ。私もあれこれ言うつもりはないし。さぁ、飲み直そう。次はね、私の彼氏の愚痴でも聞いてもらおうかな」
「えっ? 詩織、彼氏できたの?」
あっけらかんと言い放った新事実に私は目を丸くし、頭に渦巻いていた諸々の想いが一気に吹き飛んだ。詩織はこくりとうなずき、次に何を飲むか選んでいる。
「まぁね。付き合って半月だけどね。でもさぁ、ちょっと聞いてよ」
いいだけ飲んでからの詩織の彼氏の愚痴は面白おかしく、気付けば後半の記憶があやふやになるほど飲んでしまった。ただ、それで笑っていられた時は確かに自分の問題はどこかに消えていたのだろう。
楽しいという記憶が最後まで残り続けていたのだから。




