第四章~その1~
四年目となった私だけど、未だに事務所では一番新人のまま。というのも事務所の人間は足りているからか、採用すらしていないんじゃないかと思っている。ドライバーさんはたまに入ってくるけど、すぐに辞めてしまう。逆に少し長続きしたかなと思えば、今度は六十五を過ぎたベテランが辞めていく。
うちの会社はドライバーさんの平均年齢が五十歳くらいだけど、みんなこんなものなのだろうか。二十代、三十代のドライバーさんがいないのだ。何だか近い未来、物が世の中に届かなくなりそうだ。
「吉野さん、運行管理記録まとめてくれた?」
「はい、もうできてます」
私は伝票処理の手を止めず、望月課長に答える。目を見ながら、でも手を止めず。
「さすがだねぇ。前に見せてもらった集計表、あれ便利だね」
「ありがとうございます」
私はまだ、なんだかんだとやっている。もちろん毎日心が辛いし些細な事で気が重くなったりもするけど、辞めるまでには至っていない。仕事も割と覚えてきたし、事務所の人達はもちろんドライバーさんにも私という人間を知ってもらえた。嫌な人はいるけれど、気持ち良く会話できる人もチラホラ増えてきたのが救い。
「しっかし、年明けは暇だねぇ。年末の忙しさが嘘みたい」
望月課長が大あくびをする。けれどみんなその気持ちがわかるから、何も言わない。
事実、十二月は残業続きでかなり大変だった。業務も詰まっており、みんなピリピリしていた。こればかりは四年目になっても慣れない。だけど年が明けて物流が動き出せば、物量も減ってすっかり暇だ。これは年末に向けて各ベンダーが荷物を大量に仕入れるのだが、結局余らせるので年明けはそれにほんの少し補充するだけでいい。
そして購買層も年末にお金を使い過ぎるので、年明けは財布のひもが固くなっているのだ。
私もこの伝票の処理が終われば、二時間くらい暇になってしまう。
暇な時間にスキルアップのために何かをする事は無い。ただ、給料さえもらえればいい。忙しい時はお昼休みすらロクに取れないのだ、こういう時があって差し引きゼロにして丁度良いのだ。
しかし、もう一月か……そうだ、そろそろ心寧の就職祝いの飲み会開かなきゃ。
「じゃあ心寧の就職をお祝いして、乾杯」
札幌駅の近くにイタリアンバルの半個室にて、私は心寧にグラスを差し出した。心寧は嬉しそうにグラスを手に、カチリと合わせる。間接照明だけど割と明るい店内は雰囲気も良く、私達はお互いに微笑んでいた。
「ありがと、和葉。詩織が来れないのは残念だったけどね」
「急な法事だから仕方ないよね。まぁ、後日また三人でやろうよ」
「そうだね」
二十二になった私達はこうして会う度、すっかりお酒を楽しむようになっていた。いつもは焼き鳥屋とかチェーン店の居酒屋にも行くけど、今日はお祝い。だから私もいつもよりオシャレしてメイクも気合を入れてきた。
「しかし、すごいよね。東京の香料メーカーなんでしょ。私も名前の聞いた事のあるような会社だし、すごいよ。心寧は夢を叶えたんだね」
「ありがとう。ほんと、和葉にそう言ってもらえるのが一番嬉しいな。採用通知も嬉しかったけど、それを和葉に話した時に大喜びしてくれてさ」
目を細め、噛みしめるようにゆっくりと心寧の口角が上がる。心寧は本当に綺麗になった。元々の顔立ちに加えてスキンケアもしっかりしているみたいだし、化粧も上手。贔屓目無しにしても、モデルか女優のよう。
「そりゃそうでしょ。ほらだって、一年生の時に言ってたじゃない、調香師になりたいってさ。それから四年かけて勉強して、夢に向かって努力していたのを知っているんだから。本当に凄いよ、心寧は」
「よく覚えているね。でも、キッカケを作ってくれたのは和葉なんだからね」
「え、なんで?」
すると心寧が目を細め、悪戯っぽく笑った。
「金木犀」
その言葉を聞くと私の中で思い出がぶわっと広がった。
「あぁ、修学旅行のね」
「うん。でもそれもそうなんだけど、最初のキッカケは高校一年生の時なんだ」
「高校一年……なんかあったっけ?」
すると心寧がグラスを軽く傾けてから、私の方へと顔を寄せてきた。
「忘れてるの、和葉?」
「あぁ……うん、何の事かちょっと」
心寧の期待に応えたいけど、本当にわからない。一生懸命に思い出そうとして眉根にしわを寄せていると、心寧がそこをちょんと触ってきた。私は思わず目を大きく開くと、心寧がクスクスと笑い始める。
「制汗剤借りたんだよ、和葉から。それが金木犀の匂いでさ、なんかよかったんだよね。本当に一番最初のキッカケはそれだと思ってるんだ」
「よく覚えているね」
さすがにその事は憶えていない。けれど心寧がそうまで言うのならば、きっとあったのだろう。
「まぁね。だって嬉しかったんだから、私」
その笑みに多くの思い出が詰まっているのだろう。きっとそこで私は良い事をしたのかもしれない。だから何だか今の私も嬉しくなり、心がじんわりと温かくなった。
「それで心寧、いつから向こうに行くの?」
「三月下旬からかな。来週にお父さんと向こうに行って、ピックアップした部屋の内見をする予定。向こうはこっちよりも危ないから、オートロック付きのマンションにするつもり。最初は幾らか出してもらえるけど、落ち着いたら自分で払っていくつもりなんだ」
「そうだね、その方がいいよ。物騒だもんね、何かあってからじゃ遅いし」
私はグラスを傾けると、もう空だった事を思い出す。心寧のグラスももうすぐなくなりそうだったので、揃って注文をしてから改めて心寧を見る。
「しかし、そっか……三月下旬か。なかなか会えなくなっちゃうね」
湿っぽくしないようにと思っていたのに、思わず溜息が漏れた。グラスを持てば、カランと氷がぶつかる。それが二人の間に妙に響いた。
「そうだね。まぁたまには戻ってくるけど、それでも気軽にはね……」
心寧の視線が落ちる。憂いを帯びた瞳は美しいけど、今は切なさの方が強く感じてしまう。
大人になるってこういう事なのかもしれない。それまでは家や学力の近い子が一緒になって、何となく仲良くなって育っていく。けれど時期になればそれぞれの道を歩み始める。就職や進学、結婚に引っ越し。そうして自分の道から一人、また一人とこぼれていく。
サヨナラをどれだけ受け入れられるかが、大人の強さなのかもしれない。




