その9
二週間後、北大の学校祭が終わった後の日曜日に私達は大型ショッピングモールのフードコートの片隅にいた。午前十時半なので、まだフードコートもかなり席が空いている。その奥の一角のテーブルで、私と向かい合うように心寧と詩織が並んで座っていた。
詩織の提案で現地集合と言われていたけど、ここに来るのが怖かった。だってどんな顔をして二人に、特に心寧に会えばいいかわからなかったから。
だからほとんど寝られなかった。そしてここに近付くにつれ胸が苦しくなり、喉が詰まるかのような苦しさがずうっと私を襲っていた。逃げ出したくなるような見えない圧、それでも私は行かなければならない。その一点のみにすがりついて。
そして遠目から心寧を見かけた時、わけもわからず汗をかいた。
「まぁとりあえず、何か飲む?」
重苦しい雰囲気の中、詩織が探るようにそう告げる。けれど私も心寧も静かに首を横に振った。ちらっと心寧を見れば、ずうっと気まずそうに視線を下げたまま。何だか私が悪者みたいだなという思いが脳裏をかすめるけど、今日はそういう場じゃない。
「じゃあ、後にしようか。そうしたらそうだなぁ……私はもう二人から色々聞いているから、私が何か言う事は無いよ。それじゃ心寧から、どうぞ」
あまりに雑なふりに心寧は大きく目を開け詩織の顔を見る。けれど詩織がニヤニヤしながらうなずいて促すと、諦めたかのように私の方へと目を向ける。その眼はもうどこか、滲みそうだった。
「和葉、その……ごめんなさい。私、ずうっと無神経な事ばかり言ってたんだね。大学に行けなかった事がどんな事か私わかっていたはずなのに」
目の前で小さくなり、か細い声で謝る心寧に私は罵声を浴びせたり怒る気持ちは微塵もわかなかった。ここで一時の気晴らしで怒ったらもうおしまいだとわかっている。それよりもただ、私は恥ずかしさに襲われるばかり。
だって全ては私の弱さ、受け身から生じた結果だったのだから。
「いや、私こそごめん。未だにこんなの引きずってさ、情けないよね。ただ、言い出すのが恥ずかしくてさ。なんか、みっともないって思って」
「そんな事無いよ」
相変わらず泣きそうな、でもしっかりと私の目を見詰める心寧に私は思わず息を飲む。
「そんな事、無い。だって和葉がどれだけ頑張ったか、一番近くで知ってたから。なのに私、気付けなかった。和葉が社会人として頑張ってて、あぁ大人なんだって遠くに思ってたの。そこに甘えてたんだろうね、きっと」
「大人なんかじゃないよ。私、何も変わってない」
自虐でも謙遜でもなかった。真実そのまま。確かに学生の頃はバイトで色々働いていたけど、それと社会人とでは違う。責任をもって仕事をし、お金をもらって税金を払っているけど大人になったかどうかなんてわからない。
気持ちはずっとあの頃のままなのだから。いや、中学生くらいから止まっているような気さえしている。
「学校祭、行けなくてごめん。でも私、あそこにはどうしても」
私は視線を少し落とす。きっと仲直りしたとしても、一生行けないだろう。
「私こそ、ワガママばかり言ってごめん。ただ、和葉と行きたいって思ったら引けなかったんだ。あの時はもう、そればかりがあって……結論ありきで話してた」
「まぁ、その気持ちは嬉しかったんだけどね」
胸に広がる、甘い疼き。憎しみに変えて捨てたはずなのに、どうしてまた蘇るのだろう。
「ごめんね、次から気を付ける。だから今度は別の場所に一緒に行けたらいいなって」
「あ、うん……それは私もそうかな」
心寧の目はもうすっかり輝きを取り戻しつつあった。あぁ、その眼だ。それが私をいつだって惹きつける。胸に再び収まった気持ちが広がり、肩の力が抜ける。顔の筋肉だってもうきっと、緩み始めているだろう。
あぁ、私やっぱり心寧の事が……。
「はい終わり―。もういいでしょ、ね」
突然詩織が手をばたつかせながら私達の間に身体を差し込んでくる。私も心寧も驚いて詩織を見れば、長い溜息をつかれた。
「もう仲直り終わったんだからさ、なんか飲もうよ。喉乾いちゃったんだよね」
私は心寧と目を合わせると、苦笑いを同時に浮かべた。そうして私が立ち上がろうとしたが、それより先に心寧がすっくと立ち上がる。
「ここは私が出すよ」
「あれー、いいの? じゃあお昼はたくさん稼いでる和葉におごってもらおうかな」
今までの私なら、それをよしとしていた。でももう違う。
「いやいや、お昼三人は高いでしょ。そこは割り勘にしないと」
「ちぇー、駄目かぁ」
わざとらしく肩をすくめる詩織に私も心寧も笑いだす。そう、これでいい。変に縛られなくてもいい。だって私達、同じなのだから。
それを肯定するかのように、詩織が二マリと笑いかけてきた。
心寧に依存しすぎなのだろうか、私。
仕事を終えてお風呂に入っている時、ふとそんな事を考えていた。結局心寧と一緒にいたい、嫌われたくないが先行して自分の気持ちを抑えていたからあんな事になったんだろう。
あの二人とは特別仲が良いけど、でも私は他にも友達がいた。就職してからすっかり会わないし、連絡も取らなくなったから今どうしているのかわからない。私自身、もっと世界を広げた方が心寧の負担にならないんじゃないだろうか。
……なんて、また心寧の事を考えてる。
私は苦笑しながら、湯船の中で大きく伸びをした。
家族三人で晩ご飯を食べてしばらくしてから私は自室に戻る。そうしてベッドに寝転がると、同級生だった子や友達のSNSを片っ端から見てみる。何人かがアカウントが変わってもう見れない人もいたけど、基本的にそのままの人が多かった。
音もなく、黙ってスワイプする私はきっと真顔。外からのバイクの音がやけに大きく聞こえる。そうして三十分ほど私は思いつく限りの人の生活を覗き見していた。
「……はぁ、バカバカしい」
私は枕元にスマホを置くと、疲れた目を閉じる。すると脳裏には先程まで見ていた楽しそうな大学生活、彼氏との素敵なデートの一コマ、バイトで買っただろうバッグやアクセサリーの紹介などが浮かんでは消えていく。
みんなと違う道を歩いている私にはどれ一つない。
高校の卒業時に私の他に何人か進学せずに就職した人がいると先生に言われた。でも、私の知り合いにはいない。誰がそうなのか、もうわからない。わかったとしても、見たくは無かった。
もし輝いていれば惨めになるだけだし、私とあまり変らないのならばそれはそれで辛い。
それでも誰かと繋がりたかった。私は電話帳をタップし、友達の一覧に目を通す。梨々花、鏡花、凪、七海……。名前を見ていると、あの頃の顔が浮かぶ。私を呼ぶ声が今も耳に残っている。
だけど誰にも触れられず、私はスマホを遠くに置いた。
正直、今更だろう。もう卒業して一年以上経っているから、連絡をしたところで喜ばれるかどうかわからない。何なら、もうあの頃の温度は無くなって「あぁいたね」なんて扱いかもしれない。
それが怖かった。
むくりと起き上がり、ベッドに腰かける。外からは雨の音が聞こえてきた。それはすぐに強くなり、窓を打つ。重苦しい湿度が襲い掛かってきているかのよう。私はもう耐えられず、ベッドの上で膝を抱えた。
私はもう、友達すら増やせないのだろうか……。
頭の重さに耐えられなくなった私は膝に目を押し付ける。まぶたの裏で踊る虹のマーブル模様。それだけが私の心を紛らわせてくれるかのようだった。




