その8
心寧と連絡を取り合わなくなって半月が過ぎた。
仕事はそれなりに順調で、帰ってからもそれなりの自由時間を確保できている。一週間の間で少しだけ暇な時間が増えたけど、どうって事は無い。
それに私は心寧だけじゃない。詩織がいる。頻度こそ心寧ほどじゃないけど、気が向けば詩織と話して気晴らし出来た。
だから今日も一週間ぶりだけど、私の頬は緩んでいた。私はいつものように自室のベッドに腰かけ、リラックスした格好になっている。
「でさぁ、その先輩が四回目のお見合い相談所に行くみたいなのよ」
「いやいや、もう無理でしょ。趣味にそこまでお金使ってるなら、結婚しない方が幸せなんじゃないのかな?」
「私もそう思うんだよねー」
ケラケラ笑い合いながら私はもう肩が軽かった。詩織は心寧では言いにくいような話題やトーンでもすぐに合わせてくれるし、何なら彼女の方が強い。だからより自然体でいられる。
「はー、和葉面白い。やっぱ和葉と話してると面白いわー」
「そう? でも私も詩織と話してるのすっごい楽しい。気使わなくてもいいし」
「なによそれ、雑に扱ってるって言いたいの?」
「違うの?」
「違わない。こんなんでいいのよ。私からしても、それが一番楽でいい感じ」
軽やかな笑い声がまた響く。浮き上がるようなむず痒い心はとんとんと雲の上に昇っていくかのよう。もう仕事の疲れも家族の重荷も、今は消えていた。
「でさぁ和葉、いっこ訊いてもいい?」
「いいよー、何?」
「心寧とはいつ仲直りするの?」
私の軽やかな心は全てその一言で凍りついた。私の口角も、同じように。
「……どうしたの、突然」
声のトーンが自ずと落ちる。けれど電話口から伝わる詩織の雰囲気は変わらないように思えた。
「いやー、そりゃあ仲良し三人組だもの、気になるでしょ。やっぱり二人がギスギスしていると、こっちもやりにくくてさぁ」
「心寧は詩織に何て言ったの?」
「それを教える前に、まず和葉の話を聞かなくちゃ」
私は大きく溜息をこれ見よがしにつく。そうしてしばらくの沈黙の後、渋々ながら口を開いた。
「学校祭行こうって誘われたんだ。北大のやつに」
「えー、それ私誘われてない。二人で行くつもりだったんだ」
明るい調子で驚く詩織に私は眉根が寄った。けれどこういう時の詩織は怒っても何をしても変わらないのを知っている。柳に風。私はもう一度溜息をつくと、今度は間を置かず続けた。
「いや、そもそも行かないつもりだった。仕事があるって言ってね」
「え、なんで? 二人で思い出作れば良かったのに。あー、でも和葉も仕事があるからね。色々忙しいもんね」
「……そうじゃないの」
私は目を閉じ、うなだれる。世界が真っ暗になり何も見えない中、私は必死に沈んだ理由を拾う。
「こんな事言ったら詩織にだって嫌われるだろうから言いたくなかったんだけど……私、大学の話をされるのが辛いんだ。北大なんて、世の中で一番行きたくない場所なんだよ」
「あぁ……」
察してくれたように詩織の声のトーンが落ちた。私はもう、我慢していた心のダムが決壊するのを感じる。溢れ出る思いが止められない。
「いつまで引きずっているんだって思われてもしょうがないけど、私だって行きたかったんだよ。これでも一生懸命に勉強して、目指してたんだよ。自分なりにバイトも頑張ってお金貯めて、奨学金の手続きも勉強してさ」
あの雪の日の出来事が鮮明に思い出される。心寧の家からの帰り道に鳴った、運命を分ける電話。冷たい雪の中で駆け付けた病院。老け込んだお母さんの顔……。
心の古傷が痛む。背中がもう痛いし、喉も締め付けられているみたいだ。
「行けるかどうかわからなかったけど、手が届きそうだったんだよ。挑戦すらさせてもらえなかったんだよ、私。もうそれが悔しくて悔しくて! みんなが大学に進学した中で、私だけ就職の支援も無しに就職活動してさ」
鼻の頭がつんと痛くなる。薄く開けた視界が滲み、波のよう。
「耐えられないの、もう。キラキラした毎日を送るみんなが羨ましすぎて。三人で話していても、会話についていけなくてすごい孤独を感じるんだよ。何で私、働いてるんだろうって。どうして私、そこにいられないんだろうって。それが辛いの」
「和葉……」
頬を伝い、膝を湿らせる。こんなのいけないとわかっていても止められず、しゃくり上げながら紡ぐ言葉は解放よりも後悔が上回った。
「こんなに言ったら気を遣わせるし、二人は話しにくくなる。だから言わなかった。ずっと我慢していたの。でももう、終わりだね。私もう、一緒にいられないや」
「和葉、待って。ちょっと待って、何言ってるのよ」
私がもう重い扉を閉めようとしていたら、詩織の怒声がそれを遮った。
「だって、だって私」
「あのね和葉、勘違いしてるよ。そりゃあ私も心寧もそういう配慮はあまり無かったかもしれない。それは本当に、ごめん。でもね、私も心寧も和葉と一緒にいたいんだよ。今、和葉のいいところをどんなに上げてもきっと和葉は同情だとか思うでしょ。だから言わないよ」
閉じようとした扉にまるで身体を差し込まれたかのよう。私はもう指一本動かせず、ただその言葉を耳にするばかり。
「だけどこれだけ言わせて。私はやっと、和葉の本音を聞けた。それはきっと、また新しい関係を作れると思うの」
新しい、関係……?
訊き返そうにも、言葉が出なかった。私はただ、情けなく泣きじゃくるばかり。
「確かに私達、それぞれ別々の道を歩んでいるよ。心寧と私は大学生だけど、同じ大学じゃない。それに、もう数年したら就職だってする。そうなればみんな別々の道。きっと話してもわかり合えない事だって出てくると思うの」
その言葉にハッとする。私の涙の勢いを止めるのに十分だった。
「心寧もね、私に言ってたんだ。和葉が悩んだりしているみたいだけど、わかってあげられないって。私もだよ。でも、今一つ知れた。それが嬉しいよ」
「詩織……」
「少しずつ、もっと話していこう。遠慮しないでさ。私達、そういう事ができる仲だと勝手に思ってるんだよね。道は違うけど、気持ちはあの頃のままだよ」
それからどのくらい泣いただろうか、どれくらい縋っただろうか。詩織は優しく受け止め、でも全肯定はしなかった。それが私には本当に嬉しくて、胸が震えて止まない。
そして私の涙が収まる頃、三人で会う事を約束したのだった。




