その4
ちょっとずつ会社の雰囲気にも慣れてきたのと比例して、新しい仕事を覚えていく事が増えてきた。私は何とか自分なりにメモを取り、自分なりのマニュアルを作りながら業務に当たる。
けれどやる事が増えてきたため、次第にミスも増えてきた。自分なりに確認しているつもりでも、見落としが生まれてしまう。丁寧にやろうとすればもう少し早くしてねとやんわり言われ、焦りがどうしても生まれる。
最近は朝、憂鬱で仕方ない。食欲も落ちたし、朝日を浴びても何だか薄暗いまま。学生の時も学校行きたくないなと思っていたけど、その比じゃない。まだみんな優しいけど、このままじゃいずれ愛想を尽かされる。そうなった時、私はどうなるのだろう。
そんな事ばかり考えてしまう。
「和葉、鬱なんじゃないの? やっぱり仕事って大変なんだねぇ」
ある日の夜、私は久々に詩織からかかってきた電話でそんな悩みを話すと心配されてしまった。詩織にガチめに心配されるなんて、私は余程なのだろう。
「鬱……そうなのかなぁ。でも、嫌な事ってみんなあるし、我慢してやるもんでしょ。ここで嫌だって逃げても、きっと私はどこも務まらないよ」
「待って待って、和葉落ち着いて。それはそうなんだけど、その考えこそが自分を追い詰めてるよ。ねぇ、最近何時間寝てるの?」
私はチラッと小学生の頃から使ってる壁掛け時計に目を向ける。
「六時間くらいかな」
「あー……まぁ、ギリ大丈夫かぁ。休みの日は何か気晴らしとかしてる?」
「ほとんど疲れてゴロゴロして、気付いたら終わってるかなぁ」
まだ二十歳にもなっていないのに、今からこれだとどうなってしまうんだろうか。
「じゃあさ、今度心寧も誘って何か美味しい物食べようよ。人間の悩みって、寝るか美味しいものを食べるかで大体解決できるらしいよ。それでも無理なら、もう限界のサインみたいだって何かで見たんだ」
気遣ってくれるのは本当にありがたい。それに心寧も誘ってくれるなんて、やっぱり離れていても詩織は私の大切な友達だ。
「美味しい物が何かは私にはちょっと考えが浮かばないけど、もし行き先決まったら車出すよ」
「やったー、和葉の運転楽しみ。心寧から聞いたよ、ドライブしたって」
何だ、言っちゃったのか。胸にしまっておくべき二人だけの秘密にしようと勝手に思っていたのにと、つい苦笑してしまう。
「まぁね。まだ下手だけど、練習に付き合ってよ」
「いいよいいよ、私なら幾らでも付き合うよ」
心寧がしっとりと私の中に染み入るような存在なら、詩織はさっぱりとした風のような軽やかな存在。私の悩みや内向きに沈む心もこうして風のように淀みを吹き飛ばしてくれる。時折イラッとする言い回しはあるけど、でも根は優しい。
「それじゃあ、日にち決まったら連絡するね。なるべく日曜日か土曜日がいいでしょ」
「できれば再来週の土曜日が良いかな。それが駄目なら、その翌週の土曜日。駄目なら日曜日だと助かる」
「わかったよー。じゃあそれで心寧と調整するね」
通話を終えた後、私の心はむずむずと今にも笑い出しそうだった。こんな気持ち、いつしか忘れていた。日々の責任と重圧に心が固まった汚れを創り出していたのかもしれない。
私、笑う事も忘れていたのかも……。
生活のため、家族のため、将来のためと周りに比べて早々と就職した私はどこか引け目を感じていたのだろう。どこか不幸だと感じる我が家に合わせ、自分自身も狭く縮こまっていたのかもしれない。
心のどこかで、自分なんか幸せになっちゃいけないんだと縛り付けていたのだろう。
そんな事は全く無いし、誰に言われたわけでもない。ただ、私がそうさせた。全ては受験できなかったから。自分の未来より、家族の未来を選んだから。それが自分にとって重く呪われた足かせになっていたのだろう。キラキラした大学生活とは程遠い、どこか真剣で汗と泥にまみれた職場。中小の運送会社というのが更に私を卑屈にさせたのかもしれない。
でも、視点を変えれば家にお金を入れてもまだ月に十万円以上は手元にある。そこからスマホ代とか諸々引いても、五万はある。こんな家庭だからと将来のためにそれらを貯金に回していたけど、考えようによっては結構使えるお金がある。
ご飯代くらい、出してあげようかな。
それは優しさなのか、さもしい優越感なのかわからなかった。でも、頭の片隅に浮かんだ二人の笑顔。私はただ、それを見たいだけなのかもしれない。




