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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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18/30

その3

 約束の日、私は高校の時に行った記憶を辿って心寧の家に迎えに行った。六月の朝の九時は既にもう暑くなりそうな予感があり、私はエアコンで少しばかりの冷風を車内に循環させていた。

 あっ、出てきた。

 玄関から心寧が出てくるなり大きく目を開けると、満面の笑みで駆け寄ってきた。私が運転席から小さく手を挙げると、心寧が大きく手を振る。薄青いサマーパーカーの下には黒いシャツと青いジーンズ姿。高校の時も私服で遊ぶ時はこんな感じだったけど、一番変わったのはやはり顔。綺麗に化粧された心寧は見惚れるくらい綺麗で、近付くにつれ言葉を失ってしまった。

 綺麗だなぁ……。なんかぐっと、垢抜けた感じ。

 けれど何とか我に返り、ぎこちない笑みと共に助手席の窓を開ける。

「おはよう、和葉。へぇ、ピンクで可愛いね。乗ってもいい?」

「どうぞどうぞ。私の助手席に初めて座って。誰かを乗せるの、心寧が最初なんだよ」

「えぇ、そうなの? わぁ、じゃあ私が最初なんだ。お邪魔します」

 そう言いながら心寧がドアを開けて助手席に乗り込んできた。するとふわりと良い匂いが漂う。女の子らしい甘い、でも爽やかな柑橘系の匂いが心地良い。

「心寧、なんか良い匂いする。香水?」

「あ、そうなの。ジルのピュアブルーってやつなんだけど、良い匂いでしょ。あれ、でも和葉もつけてる? 何だろ、甘くてすっきりしたような感じの」

「あぁ、私のはキャンメイクのピーチブラン。普段使いの安いやつなんだ」

 ドラッグストアで千円もしないような安物。ただ身だしなみのためだけにつけていて、オシャレとしてのアイテムではない。だから何だかちょっとだけ恥ずかしかった。

「でも、香水ってそれ自体も良い匂いするけど、本人の体臭と合わさると香りが凄く良くなる事ってあるんだよね。私、この匂い好きだなぁ」

 目を細めすんすんと嗅ぐ心寧に恥ずかしさを覚えたけど、悪い気はしなかった。むしろ何だかむず痒く、くすぐったい。

「いや、またまた、褒め過ぎだってば。そんな事言わなくても、ちゃんとドライブ行くからさ」

「ううん、本当に。和葉の匂い、私好きなんだ」

 私はもう目を見られなくなり、ちょっとだけにやつきながらハンドルを握り直して前を向いた。ゆっくりと動き出す愛車の行き先はとりあえず海岸線。私はナビを見ながら小樽方面へと向かい始める。

 法定速度を守り、車内は私の好きな音楽で溢れている。心寧も好きだと言ってくれたやつで、二人して口ずさむ。

「あー、海だ」

 心寧が私の方を向いたかと思うと、嬉しそうに大きな声で報告してくれた。私はがっちりハンドルを握ったままチラッと右手を見れば少し遠くに海が見え、何だか心が弾む。別に海はそんなに珍しくないけれど、でもいつだって楽しくなってしまう。

「綺麗だね」

「うん、綺麗。今日晴れてて良かったよ。あっ、ヨットだ。もう少し遠くには船も見える」

 私はまたチラッとだけ見たけれど、道がカーブしていたのですぐに前を向く。心寧の言ったそれが見えなかったのは残念だけど、事故を起こすわけにはいかない。車は海を舐めるように見ると今度は山側へと入り、小さな峠を迎える。

「ねぇ和葉、運転結構してるの?」

「あー、まぁ通勤で使ってるくらいだよ。こういうドライブは初めて」

「そうなんだ。結構上手だなぁって思っててさ。私もいつか、免許取りたいな。でね、どっか旅行に行って交互にレンタカーとか運転したいなって思ったんだ」

「いいね、それ」

 心寧と旅行かぁ……考えるだけでも楽しそうで、ドキドキしてくる。国内旅行くらいなら、きっと何とか貯められるだろう。心寧の運転姿、見てみたいな。

「でもさー、こんな休日の晴れた空の下でドライブなんて、まるでデートみたいだね」

 清々しささえ感じるその言い回しに、私は思わずドキッとして視界が白んだ。

 デート? それって、冗談で言ってるんだよね。そんな冗談、ずるいよ。だってそんなの、心寧が何とも思ってないから言えるんだ。

 私は……私はそうじゃないのに。

「和葉、前!」

 心寧の短い叫びに我に返ると、左折しようとしている車に接近しているのに気付いて思わず急ブレーキを踏む。ぐんと身体が前に飛び出そうとするのをシートベルトが強烈に抑えつけたため、胸に強烈な圧迫感を感じた。

 幸いにもまだ車間距離があったから車はぶつからず、前の車は気にすることなく左折していった。後続の車はまるで舌打ちするかのように私の車を追い抜き、前に出ていったけれど。

「ごめん」

「まだ慣れてないから仕方ないよ。いやーでも、こういうのも初ドライブあるあるだよね」

 まるで怒っておらず、軽やかに笑う心寧に私は申し訳なくも、場の空気を壊さないように微笑んだ。そうしてまた安全運転で小樽方面へ向かっていると、左手にコンビニが見えてきた。

「何か飲まない?」

「いいね、そうしよう」

 喉が渇いていたのもそうだけど、少し運転に疲れてきた。私はちょっと離れた所に駐車すると、エンジンを切って外へ出る。ムッとした夏を感じさせる暑さに思わず目を細め、避難するようにコンビニの中へと入った。

「ここは私が出すよ」

 ジュースを選んでいると、心寧がそう私の顔を覗き込んできた。私はちょっと目を大きく開けて見詰め返せば、心寧がにんまりと笑った。

「ガソリン代だと思って。それに結構、高校の時はジュースおごってもらったからね」

 そんなのいいのに。と言いかけたその言葉は胸の奥へとしまう。

「ありがとう、助かる」

 だってこっちの方が言われて絶対嬉しいから。

 私が選んだジュースを手渡すと、心寧はニコニコしながらそれを受け取った。そうして会計をしてくれている背を見て、やっぱり一緒に大学生になりたかったなという思いがふっと顔をのぞかせたけど、でもそうなったら今日ドライブには行っていない。今日この素敵な心寧と会えたのは私が車を持てたからだろう。

 そう思えば、こんな人生もちょっとだけマシに思えた。

 小樽に到着し、小樽運河や小樽港を巡った後は早めのお昼ご飯。さすがに高いお寿司は無理だけど、雰囲気だけでもと安い回転寿司屋に入る。お互い八皿ほど食べて満足すると、また車を走らせた。

「心寧、大学生活はどう? サークルはいい感じ?」

「そうだね。先輩は優しいし、知識も深いの。もちろんコミュニケーションの場を持ちたいって人もいるから、幅広いよ。この前、新歓コンパも行ったんだ」

 コンパと聞いてちょっといかがわしいものを想像したけど、そんな所に心寧が行くはずもないのですぐに単なる新人歓迎会なんだろうなと思い直す。

「そうなんだ。お酒とか飲んだの?」

「私は飲まなかったよ。そこまで興味無いし、もし親にバレたら物凄い大変だからね」

 苦笑いをする心寧に私は少し胸を撫で下ろす。私もお酒はまだ飲んでいないから。

「まぁでも、飲む人は飲んでたね。植物研究会って名前だけ見れば地味な感じだけど、ノリはやっぱり大学生って感じ。私は友達と一次会で帰ったけど、話を聞いたら先輩方は朝まで飲んでたみたい」

「へぇー、いかにも大学生って感じ。うちは運送会社だからさ、そんなのやったら全員出勤できなくなっちゃうよ」

「ドライバーさんは大変だよね。和葉は仕事どうなの?」

 どう、と言われてもとっさに何を言えばいいのかわからなかった。幸か不幸か曲がりくねった道に入ったので、運転に集中しているように思わせつつ頭を働かせる。

「まだまだ覚える事がたくさんだよ。パソコンだっておぼつかないし、配送チャートを見てもよくわからないから、ドライバーさんがどう動いているのかもまだわからないんだ。でも、一番大切なのはコミュ力だって改めて思ったよ」

「やっぱどこでもそうなんだ」

「そうなの。何気ない雑談や挨拶で、まず顔を覚えてもらわないとならないからね。信頼関係が無かったら何もできない。職場がすごい年上ばかりだから、難しいんだけどね。会話に入ろうにも、わからない話が多くてさ」

「そうかぁ、和葉も大変なんだね。お金を稼ぐって、やっぱりそうだよねぇ」

 こくりとうなずき、そのまま無言になったのでやたらと音楽が耳に入る。ハイトーンでサビを歌うこの曲はいつも好きで聞いているのに、どうしてか今はやたらと耳に障る。その他の音に耳を傾ければ、坂道を上っているからかエンジン音がすごい。逆に風の音、波の音は何も聞こえない。

 それでも音楽に身を任せていると心中言い訳しながら、二人とも無言のまま車を走らせていると見慣れた街並みに帰ってきた。日曜日の夕方はこの辺も結構混んでおり、法定速度以下になってしまう。

 何か言わないと、このままだともうすぐ心寧の家に着いちゃう。

 そんな焦りとは裏腹に、ちらっと心寧を見るけど涼しげな顔をしているばかり。その姿に私は心に広がっていたモヤが濃くなってくのを感じた。

 結局、何も言い出せないまま心寧の家に到着した。心寧はシートベルトを外すと私の方をやっと向き、にこりと笑った。

「和葉、今日はどうもありがとう。すごい楽しかったよ」

 言いたい事はたくさんあったけど、何もかもを私は飲み込む。吐き出したって仕方ない、言えば言うだけ関係が悪化してしまう。というより、この縁が切れてしまえば私はほぼ友達がいなくなる。だけど心寧は大学で新たに見つけるだけだ。

「うん、私も楽しかった。また会おうね」

「そうだね、近いうちにでも」

 ふふっと笑って軽やかに心寧は車から降りた。そうしてパタンとドアが閉まると、私は心寧に軽く手を振って去る。ゆっくりと走り出した車は家路へと向かうだけ。

 一瞬、ドアミラーに何か言いたげな心寧が映ったような気がした。でも、もう遠ざかりその真偽はわからない。私はただ、前へと進むしかないのだから。

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