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金木犀を知らない私達  作者: 砂山 海


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12/22

その6

「……C判定、かぁ」

 二学期の中間考査から一ヶ月後、最終模試の結果はあまりよくなかった。心寧は隣で悲しそうな顔をして私を見ているけど、私自身は半ば予想できていた結果でもあった。ただ、予想できていてもショックは強い。

「まだ大丈夫。これから盛り返せるよ」

 チラッと見える心寧の模試の結果は当然A判定。行きはしないけど実力を図るためと選んだ早慶でもA判定の表記が見えた。

「そうだね……まだ諦めないよ」

 そうは言っても、もうこれ以上勉強時間を捻出する事は難しかった。

 夏休みはある意味、メチャクチャ無理をして勉強していた。それこそ、学校に行かなくていいからと睡眠時間を凄く削ってひたすら勉強していたからこそ、あの結果に繋がったのだろう。

 でも今は違う。

 学校に行き、生活のためにバイトをし、その合間でしか勉強できない。そうなれば必然、他の人に追いつかれるし抜かれてしまう。幾ら一生懸命勉強した所でみんなと同じ程度にしかできないのならば、現状維持も厳しい。

「……あのさ、和葉」

 心寧の呼びかけに落ちかけていた視線が戻る。目を向けた先の心寧は笑っていなかった。

「もしよかったら、うちで勉強する?」

「えっ?」

 胸が大きく鼓動を打った。一瞬視界が揺らいだが、すぐに心寧に焦点を合わせる。心寧は私の動揺も気にせず、ただ真っ直ぐ私を見詰めていた。

「家にある参考書とか問題集を持ってきてもいいんだけど、渡しただけじゃ効果は出にくいと思うんだよね。だから、私がもっと付きっ切りで教えた方がいいかなぁって」

「でも、それじゃあ心寧自身の勉強は?」

「人に教えるのって、自分の復習にもなるんだ。それに慢心してるわけじゃないけど、私はもう大丈夫だから。今は和葉が受かるようにしたいの」

 そこまで言うと、心寧はキョロキョロと辺りを見回してみんながこっちに注目していないのを確認してから声を落とした。

「私、和葉と大学生になりたい。もっと一緒にいたいから」

 眉根を下げ、すがるような目でそういうなんてもうほぼ告白じゃなかろうか。そのくらい、私にとって破壊力があった。私はもう一度辺りを確認すると、心寧の目を見る。一切ブレないその目力に、胸に甘い痛みを感じながら私はうなずいた。

「私ももちろん、そうなりたい」

 あぁ、この気持ちはどこまで通じるのだろうか。親友の範囲を越えようとしているこの気持ち。どこまで知られているのだろうか……。

 そうして私はその流れで、学校が終わってから心寧の家に行く事になった。

 心寧の家はまだ行った事が無い。それは彼女の家が裕福でもあり厳しそうというのもあって、行きたいとはとても言えなかったから。心寧も心寧で、家に誘う事は今まで無かった。だからもう、私の胸は学校からずっと鼓動が激しいまま。

 私の降りる駅より二駅先なので、差額分を払って降りる。同じ市内だけどほとんど降りた事のない駅なのでまるで新世界。階段の感じや通路の長さにまで新鮮さを感じつつ、心寧はいつもここを使っているんだなぁと感慨深くなる。

 それからバスに乗って、閑静な住宅街へ。ここは有名な高級住宅地だからか、停まっている車も高そうなのばかり。門構えも立派な家が多く、自然と小さくなってしまう。でもそれに反して、期待と不安が膨らんでいく。もうずっと、息苦しい。

「ここだよ」

 そう紹介されたのはレンガ調と白い壁の二層になっている、バルコニーの大きな二階建ての家だった。車が二台停まっているけど、どちらも高そうな格好良い車。私は思わず立ち止まり、呆然と見上げる。

 今まで抱いていた格差というものを目の当たりにした衝撃に動けなかった。でも、もうそこに嫉妬など負の感情は少ない。ただ目の前の立派な様子に圧倒され、改めて文字通り住む世界が違うんだなと納得しただけ。

「お邪魔します」

 玄関も広く、中に入れば掃除が行き届いておりまるで光っているかのようだった。するとすぐに奥から心寧のお母さんらしき人が現れる。

「あら、いらっしゃい。心寧のお友達?」

「はい、吉野和葉と申します」

 部屋着とは思えないほど綺麗な服装をした心寧のお母さんは柔和な笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。私もそれにならい、お辞儀を返す。

「一緒に大学に行くため、勉強するんだ。だからお母さん、何もしなくていいから」

「そうなの? せめてお茶菓子とか飲み物とか」

「そういうのは私が用意するから」

 学校ではあまり見せない心寧の強気な言い回しに、私は心の中で微笑んだ。そうして心寧に案内されるように二階へ行くと、手前の部屋に入る。

「あまり友達入れた事無いから汚いかもしれないけど、気にしないで」

 照れながら心寧がローテーブルに置いてあった雑誌や雑貨を慌てて部屋の隅に置く。汚いかもというけれど、これで汚かったら私の部屋なんてゴミ屋敷だ。

 部屋は全体的に白とピンクで統一されており、可愛らしい部屋。ベッドには数体のネコとウサギのぬいぐるみが置いてあり、勉強机の隣にはパソコンが置かれている。壁側にはウォークインクローゼットがあるのだろう、引き戸があった。

 全体的に広く、この部屋だけで十二畳くらいあるかもしれない。ただそれよりも、私が部屋に入った時から気になっているものは一つしかなかった。

 これが心寧の部屋の匂いかぁ。

 甘くこもった匂いが強く、それはたまに触れる心寧の匂いを濃くしたようなもの。気持ち悪いと思われるだろうが、私は部屋に入った時から胸がざわつきどこか取り乱していた。

「ごめんごめん、じゃあそこに座って」

 ローテーブルを片付けた心寧が座る様に促してきたので、大人しくそうする。ローテーブルの下にはラグが敷かれており、ちょっと気持ち良かった。

「飲み物持ってくる?」

「あ、大丈夫だよ。それより、いい部屋だね。小物とか素敵だし、ベッドのぬいぐるみ可愛い」

「恥ずかしいからあまり見ないでよ。ベッドにあるぬいぐるみは子供の頃からずっと一緒だから、結構汚れているんだよね」

 心寧がはにかみながら本棚に近付き、数種類の参考書を手にする。そうして私の前にそれを置き、向かい合うようにローテーブルの傍に座った。

 参考書や教科書、ノートを開き静かな時間が過ぎていく。時折、私がわからない所を訊けば心寧が丁寧に教えてくれる。そうして理解を深め、また黙々と向き合う。シャープペンがノートの上を走り、壁掛け時計の音が響き渡る。

 私のためにやってくれている。そう思うと、生まれて初めて勉強が好きになってきた。

 心寧はいつだって私に寄り添ってくれている。誰よりも可愛らしく、誰よりも頼りになる存在。彼氏はいないみたいだけど、だからこそこうして独り占めできるのだろう。きっとクラスの誰も、ここには来ていない。

 そんな特別感が秘めている想いを刺激する。口には出せないし、態度でも示せない私だけのひそやかな想い。

 ずっと一緒にいたい。ただそれだけのために大学に行こうとする私はきっと、主体性が無いのかもしれない。でも、そんなものはどうでもいい。大事なのは動機が何であれこうして真面目に勉強し、目標に向かう事だろうから。

「ごめん、ここってどうすればいいのかな?」

「ここはね、代数Xをまず使って、ここの公式に当てはめるの。そうして、この順番で計算していけばできるよ」

 私にとっての難問も淀みなく答えられる心寧はきっと受かる。私はまだ難しいだろうけど、このまま行けばきっと合格できるかもしれない。やっと手が届くところまで来たんだ。入学金とか授業料とか、今は忘れよう。

 ただ目の前の目標だけを見ていたい。

 そうして隣にいる心寧と、もう四年間一緒に過ごしたい。

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