2. ハピネス
「ホロホロの店長に打診してみようか?」
それはあじさい祭りを一週間後に控えた日曜日の夕方のこと。
私がバイトしているカフェ・MOONのマスターがそう言った。
MOONというお店は私たちが住む甲斐多町の、商店街の先にある。
日中はカフェ、夜はバーになるその店で、私は専門学校がお休みの土日にカフェスタッフのバイトをしていた。
この店は、日曜日の午後はお客が少ない。ランチタイムなのに、店の中にはマスターともうひとりのバイトくんの他には、お客として私と大ちゃん、槇くん、そして槇くんの彼女の菜々子、四人だけだった。
大ちゃんと槇くんは、CJというバンドを組んでいるバンドマンだ。私と菜々子はここ最近、いつも彼らのライブを観に行っていた。
◇
大ちゃんからラインが来たのは一昨日の夜のことだった。
〝カリン、今度の土日のMOONのシフト教えて〟
〝土曜日は朝十時から夕方五時まで終日入り。日曜日は、午後一時から五時までだよ~〟
私は気軽に返事を返す。
すると、大ちゃんからのお返事にはこう書かれていた。
〝日曜、ホロホロに来月のライブの予約しに行くから、予定空いてたら十一時にホロホロ前に集合な。槇も来る。それでカリンも、俺たちと一緒にMOONでランチ食ってからバイト入れば?〟
大ちゃんに会える日をひとつも逃したくないって気持ちで、私は即座にOKのスタンプを返していた。
そして、事の起こりは一時間ほど前のことだった。
◇
日曜日の十時五五分、ライブハウス・ホロホロの前に立っていたら、商店街のいくつもの看板の向こうから大ちゃんが歩いてくるのが見えた。
そこだけ空気が違うみたいな感じがする。
そんなことを思いながら、何か音楽を聴いているように流れるように歩く大ちゃんの姿をじっと見る。今日は黒っぽいTシャツに赤系の半袖シャツを羽織って、グレーの細身のパンツを履いていた。
「早かったな」
私を見て口の端で笑う。
「さっき着いたばっかりだよ。赤いシャツ、よくみたら白のドットが入ってるんだね〜」
ポロシャツ風のそのシャツは赤糸と白糸のかのこ編みになっていた。センスいいんだよなあと、私が大ちゃんのトータルコーデに感心していたその時。
「梅雨時で曇ってるから、派手なシャツだと気分上がるだろ?」
するりと私のピンクに染めている長い髪の先に指を絡めて大ちゃんは続けた。
「赤だとカリンの髪色とも合うだろうし?」
私が思わず顔が赤らむのを自覚して俯くのと、バタバタと足音がして槇くんと菜々子の声が聞こえたのとが同時だった。
「悪い! 遅れた!」
「ごめんね、私がちょっと出遅れたの」
私は顔が熱いのをごまかすみたいに「大丈夫だよ〜」と言って、皆でホロホロの中に入ろうとして……ドアを開けた瞬間、見つけてしまったのだ。
「これ……」
「カリン? どうした?」
思わず声を出した私を、大ちゃんが覗き込む。
そこには、前回貼っていたCJのフライヤーの下に、〝SODA FISH〟というメジャーバンドのステッカーがそっと貼り付けられていた。
◇
カフェに移動してランチを食べながら、自然に話題はさっき見つけたステッカーのことになっていた。
「びっくりしたね! CJのフライヤーの下に、SODA FISHのステッカーが貼ってあるなんてさ」
私の言葉に、皆うんうんと頷く。
「この前配信されたSODA FISHの〝ハイドレンジア〟って曲、すげえ良かったんだよな」
ハンバーガーランチを頼んだ槇くんが、チーズバーガーにかぶりつきながらそう言った。
隣でアイスクリーム付きワッフルを食べていた菜々子が微笑んで。
「一緒に聴いたんだよね」
菜々子の声に、アイスコーヒーを一口飲んだ槇くんが頷く。
「こんなサビ♪」
歌い出した槇くんの喉は、ファルセットという裏声を使って美しい高音を奏でる。
聴いていた大ちゃんがホットサンドをぱくつきながら感心したように言った。
「サビの高音、結構半端ねえな。槇でもギリギリいけるくらい?」
槇くんはにやっと笑って肩をすくめる。
「俺は音域広いから結構行ける」
その言葉に菜々子がくすくす笑った。
「槇、負けず嫌いだからすごく練習してて。全部歌詞覚えたって言ってたよね?」
「ちょっと忘れらんない感じのメロディラインで……すぐ覚えちゃったんだよな」
その時のことを思い出すような感じで、窓の外に視線を流して槇くんが言った。
外からは、空の雲が少し途切れてきたのか、日の光が淡く差し込んできていた。
「ちょっと震えたよね、なんか。心の奥の方が」
槇くんに同意するように菜々子が呟く。槇くんは頷いて。
その時だった。
少し遅れて私が頼んだ厚焼きホットケーキを持って来てくれたマスターから、聞かれたのだ。
「ライブハウスで、あじさい祭りの後夜祭をやるってのも面白いねって、ホロホロさんと話してたんだよね。ホロホロの店長に打診してみようか? 事務所に、あじさい祭りの後夜祭にSODA FISHも出演どうですかって、聞いてみてもらうといいんじゃない? それで、CJも出ることにしたらいい。僕から言ってみようか?」
私たちはぽかんとしてマスターを見つめて数瞬後、皆で口を揃えて言っていた。
「よろしくお願いします!!」
……と。
◇
マスターはすぐにホロホロに電話をかけてくれて、ホロホロの店長も快諾、同時にCJの出演交渉もしてくれた。
電話を切るマスターを見て、大ちゃんと槇くんはいつになくうれしそうに顔を見合わせて。自然に笑顔がこぼれるって感じだった。
「よかったな」
いつもの低い声で、大ちゃんが言う。槇くんも頷いて。
「SODA FISHのボーカルの人、声に透明感あってすごいんだよな~あれはちょっと真似できない」
珍しく他人を褒める槇くんの言葉を、私と菜々子は黙って聞いている。彼は続けた。
「だから一緒に歌えるなら、そんなうれしいことはないって思う」
「出てもらえたら良いねえ」
ほのぼのした感じで、槇くんの気持ちに寄り添うみたいに菜々子が囁いた。
二人を見ていて、いつもの黒っぽいシャツにブラックジーンズの槇くんと、今日は槇くんに合わせたのか黒いレーストップスとワイドジーンズの菜々子が、一枚の絵みたいに似合って見えて、私は微笑んでいた。
時刻はお昼の十二時半。あと少ししたら私はエプロンをつけてお店側の人にならなきゃな、と思っていたとき、不意に大ちゃんが言った。
「マスター、この間お願いしてたあれ、出せます?」
「?」
あれってなんだろ、と私は思ってる。マスターは大ちゃんの声に、もちろん、と言って、冷蔵庫から綺麗にデコレーションされた小さなショートケーキを出してきた。
「なんですか? デザート?」
首をかしげる私に、菜々子が笑う。
「明日! カリンの誕生日でしょ~」
……え。
びっくりした私、そのイチゴの乗った生クリームのケーキと、マスター、菜々子、槇くん、そして大ちゃんを順番に見て。私を見てニヤニヤ笑ってる大ちゃんと目が合った。
少し前のライブの帰り道。あじさい祭り楽しみだね~と話している途中で、私が大ちゃんに言ったのだ。その週の月曜日って、私の誕生日なんだよね、と。
そうしたら彼は、その時は特に興味もない感じで、
「ふうん。そうなんだ」
と言っていたので、まあいいかと思って続きは何も言えずに、その後は黙って家路についていたんだ。
なのに、なんでこの人。
(こんなに、すごくうれしくなってしまうことを、どうして知ってるんだろう?)
そこまで考えて、ぽろりと涙が一粒こぼれたと思ったら、止まらなくなった。
「え、なに急に泣いてんだよ?」
槇くんが慌ててそう言う。
「だって~」
うえーん。って、泣いちゃった私に、ハイ、って菜々子がハンカチを貸してくれる。私は、ありがとうも言えなくて、それで涙を拭いていたら、大ちゃんは。
しばらく黙って、泣く私のことを見ていたけど、ふと笑いをにじませた口調でこう言った。
「ばっかだなあ、カリン。……そんなにうれしかったかよ?」
突き放したような台詞だった。でもその言い方がものすごく優しくて、私は内心で、大ちゃんずるいって思ってる。そして、改めて思う。
この人のことが大好きだ。
私はうんうんと頷きながら、この人たちと、そして大ちゃんという人と出会えた幸せをかみしめていた。
出会いは偶然? それとも必然?
それはきっと、両方なんじゃないかとそう思う。
そして、大ちゃんと槇くんのCJというバンドがSODA FISHに出会ったことも。
ステッカーが貼られていたことは偶然だったのかもしれなかった。
まだ、SODA FISHが後夜祭に出てくれるかどうかはわからない。
でも、もしそれが実現したら。
それは〝ハイドレンジア〟という曲がつなげた、ある種の必然かもしれないなあ、って。
そんなことを考えていた。
Caita シェアワールド企画『拝啓、甲斐多町より』に寄稿したエピソード2となります。
同じく寄稿されているamenanoni様とお話して、amenanoni様の物語に登場するSODA FISHというバンドと"ハイドレンジア"という曲名を作中に登場させていただきました♪




