虹をかけるような ーカリンと大介ー
六月初旬のある夜。
私は、地元・甲斐多町の商店街の先にある〝ホロホロ〟という名前のライブハウスを訪れていた。
「カリン」
低い声に呼ばれて振り向くと、高倉大介、通称大ちゃんが立っていた。私の名前は斎木カリンという。甲斐多高校を卒業した後、町の外にあるデザイン専門学校に通っている十八歳だ。大ちゃんは高校時代の先輩で、今は郊外の大学に通いながら、時々ここでライブをしているバンドマンだった。
「あ、大ちゃん。おつかれー」
思わず笑顔になってそう言う。ライブが終わってすぐの時間帯、今日の出演者はアマチュアバンドばかりで、出演者に知り合いが多かった。そして、踊ったり歌ったりした余韻を残しつつ、SEと呼ばれる終演後の気持ちいい音楽が流れているフロアに、ライブ後も私は残っていた。
この店はライブが終わったあとクラブのようになり、飲み物が楽しめて、踊ることもできる。
そして今、私の隣に立っているのは大ちゃん。
今日の出演者の一人で、個人的には私の好きな人、だった。
背が高くて、短い髪とつり上がった眉、そして胸に響くような低い声を持っている。その存在感ときたらとても二十歳とは思えないほどで、毎回、会う度私は感心していた。いつだったか友人の佐伯奈々子も、「大ちゃんの存在感ってすごい」と言っていたから、私だけが感じてることではないと思ってる。
私が大ちゃんと、ここで何か一杯飲んだ後で、しばらくしてから他の友人たちと合流しようかと話していたとき。
「カリン、カリン」
鈴みたいな高くて綺麗な声が聞こえて振り向くと、色素の薄い茶色の長い髪と大きな目をした、友人・佐伯菜々子がそこに立っていた。
この綺麗な子がモデルでもなんでもない、普通の大学生だと言って、信じる人がどれくらいいるだろう? そんな風に思うほど、菜々子は清楚な美しさを持った子だった。その見た目も性格も、やわらかくて儚くて、ちょっと冷たくて優しい、空からはらはらと降る雪みたいな印象を見る人に与える。
「あ、菜々子」
「よお菜々子ちゃん」
片手をあげる大ちゃんに笑顔で応えて、菜々子は私たち二人に問う。
「槇、どこにいるか知ってる?」
槇という子は大ちゃんの親友、そして大ちゃんと一緒にCJというバンドをやっている人だ。大ちゃんがギターで、ボーカルを槇くんが務めていた。
いつも黒っぽい服を着て、ナイフを思わせる鋭い眼をしていて、はっきりと物を言う。そして歌うと声量が凄くて、彼と大ちゃんが所属しているCJというバンドはアマチュアながらにとても人気があった。
菜々子はその槇くんと少し前からお付き合いしている。二人は端から見てもよくわかるくらい、お互いのことをとても大切にしていた。
「あたし、ライブ終わった後、まだ槇くん見てないよ」
「さっき、まだ裏にいたぜ? そろそろ出てくるんじゃねえの」
大ちゃんも私の言葉を補足するようにそう言った。
「裏って楽屋?」
少し首をかしげて菜々子が問う。
「まあそう。楽屋ってほどのスペースないけどね」
「わかった。行ってみる。ありがとう」
笑顔で私たちに手を振って去っていく。菜々子と話すと、それがほんの一瞬の他愛もないものであっても、胸の奥に何かかけがえのない綺麗なものに触れたような余韻が残る。私は軽い足取りで去って行く、レースワンピ姿の菜々子を見つめていた。
「どうした?」
去って行った菜々子の後ろ姿を追っていた私の視線に気付いて、不思議に思ったのか大ちゃんが声をかける。私は半分上の空で答えていた。
「いや、菜々子かわいいなあって」
「ああ、そうだな」
大ちゃんのあまりにあっさりした言い方に、瞬間、胸に氷みたいな何かがするっと流れ込んだ気分になる。何だか悔しくなった私、思わず言ってしまってた。
「いいなあ、って思うんだ」
「なにが?」
「菜々子くらい可愛ければ、私も向かう所敵無しなのに!って」
「はあ?」
大ちゃんは、聞いた瞬間、ちょっと驚いたように目を見開く。そして、ほんの少し沈黙した後、ため息まじりにこう言った。
「お前バカ? 人間の魅力が見た目にあるとか思ってんの?」
「え……、そりゃあ、ある程度は見た目も重要だと思ってるよ?」
そう言ったら、大ちゃんは軽く肩をすくめた。
「そればっかりじゃないんじゃねえの」
結構冷たい感じで言うから、思わず心臓がどきんと跳ねる。
私の表情が固まったのを見てとったのか、そこで大ちゃんはかすかに笑った。
その顔を見た瞬間、私は安心している。
大ちゃんと一緒にいると、私のちっちゃな不安の芽は、毎回小さいうちに取り払われる。それは魔法みたいで、とても不思議だと思う。
彼は続けた。
「じゃあ、お前はオレのことは見た目だけがいいと思ってる訳かよ?」
「…………」
私は沈黙して、彼を見上げた。
自信家すぎる。
そしてその台詞から、私が大ちゃんのことを大好きだっていう気持ちなんて、完全にバレてるんだなと、後で思った。
でも、言われた瞬間、私は単に焦って。
「そんなこと!」
と反論していた。思わずムキになった私を見て、大ちゃんは面白そうに笑う。
「じゃあ逆に、オレはお前の顔が好きだからいつも構うと思ってんの?」
「そういうこと言ってるんじゃないよ。別に大ちゃんがそういう人だって言ってるんじゃなくて」
それを聞いた彼は、少しの沈黙の後で。
ブリーチしてアッシュピンクに染めている、私の肩にかかる長い髪の先にそっと触れて、少し笑った。
そして低く、私にだけしか聞こえないくらいの大きさの声で囁いたんだ。
「じゃあ、お前はお前に自信持て」
さりげない調子で。でも、はっきりとした低い声だった。
だから、その言葉はまっすぐ私の心にたどりつく。
なんだろうこの人。
こんなとき、思うことはいつも同じだ。
この人は誰なんだろう。
そして私のなんなんだろう?
涙が出るくらい強い気持ちで、そんな風に思う。
「菜々子は菜々子、カリンはカリンだろ。誰にもなれねえだろ。オレはオレで、槇は槇、ってのと同じだろ?」
「うん、……そうだね。……ってなんかあたし、悔しいなあ!」
「なにそれ」
「だっていっつも大ちゃんに一本取られてる感じなんだもん」
「なんだそれ。ほんっとおもしれえなあ、お前って」
大ちゃんは、心底おかしそうにくっくと笑う。
心の奥に残る、虹みたいな残像。この人の言葉が、その存在が残す軌跡みたいなもの。そんなきらめくような何かを胸の奥に感じながら、私は思った。
一本取られた感じは悔しい。でも、それ以上にうれしかった。あたしはこの人と関わることができてうれしいんだ。
今に見てろよ。なんて思いながら。
もういいじゃん。いつまで笑ってるの! と笑って、私は大ちゃんの手をひいて、ドリンクバーのカウンターに飲み物を取りに、一緒に向かった。
ありがとう、なんて、照れて口にすることができないこの気持ちが、つないだ手から伝わればいいと思った。そして、カウンターで生ビールを受け取る大ちゃんに、私はジンジャーエールをもらいながらそっと囁く。
「ね。今度、二一日は噴水のところで紫陽花まつりなんだって。一緒に行こうよ」
大ちゃんはそう囁いた私を見下ろして、面白そうに口の端で笑った。
「いいな。ギター持って行って急に路上ライブしたら怒られっかな~」
「バイト先の店長、運営の一人って言ってたから聞いてみようか?」
あたしの台詞にははっと笑う。
「さすが! じゃあ、聞いといて。ギター弾いて二人で歌ってもいいかって」
「二人ってなに?」
「ぜったいに槇も歌いたがる」
私は大ちゃんと一緒に歌わせたら右に出る者がいない、槇くんの声を思い出す。
「わかった。明日、聞いてみる」
「よろしく」
そう言って大ちゃんは、私のジンジャーエールにおまけでついていたオレンジを取ってぱくんと食べた。
「あっひどい! それお楽しみだったのに!」
「ははっ! 速いもの勝ちだな」
「もう~酔ってるでしょ!」
くすくすと笑う大ちゃんを見上げながら、私は思ってた。
今、この瞬間の記憶は、カケラみたいな小さなものとして、きっと私の中にずっと残るだろう。
そしてこんな時間が、また次の紫陽花まつりに続いていくことは、とてもうれしいことだと思えた。
Caita シェアワールド企画『拝啓、甲斐多町より』に寄稿したエピソード1となります。




