10_初めての修学旅行_観光
十二月、寒さが本格化してきた京都の朝を、俺はミコトと歩いている。
高校の時に経験できなかった修学旅行をようやく行うことになったのだ。
新幹線の始発でたどり着いた京都の朝は当初の想像と異なり、雪の白で彩られたものだった。
大きな旅行鞄を預かり所に預けて、旅館にチェックイン出来る時間まで観光を楽しもうと散策する。
隣を歩くミコトの服装は無地の着物に雪駄というシンプルなもので、その上から防寒用にマフラーを巻いている。
旅行初日の天気は真冬並みの寒さとなっており、昨晩から降っている雪は通路の側に数センチ程度だが積み重なっていた。 今もそれなりの量が降っているが、俺の差す傘の下にいるミコトは少し楽しそうだ。
「相合傘だね。 キミとはずっといるけど、これをするのは初めてだから嬉しいよ」
「確かに……、天気の悪い日は出かけてなかったから、機会が無かったな」
「早めに同棲したから、雨の日は外の音を聞きながらのおうちデートだったもんね」
それはそれで楽しかった。
雨音を聞きながら本を読んで、ミコトが俺の膝に頭を乗せながらゲームで遊ぶ。
学生の頃よりずっと距離が縮んだ日常のひと時。
今は雨じゃなくて、早朝の雪。
時間帯と天候のせいか観光客も少なめで、記念に美しい風景を何枚か写真に収める。
「冬は、つとめて。 雪の降りたるはいふべきにもあらず」
視界に写る雪を見てふと、枕草子の一節を思い出した。
「冬は働けってこと?」
授業で習ったことをすっかり忘れてしまっているミコトに少し笑って、解説をする。
「このつとめては早朝の意味、冬は朝早くから雪が降ってると素晴らしいよね、と言う意味だよ」
「確か、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れだっけ。 あーなるほど、全部時間帯だったんだね」
「結構覚えてるんだな」
「ただのテストの詰込みだよー、穴埋めするだけだったから意味とか覚えてないもん。 ボク古文が苦手だったしね」
中学ぐらいのテストを思い出しているのだろう、ミコトは苦笑しながらそういった。
「枕草子はここから、暖を取るために炭を運んでるところとか、冬を感じていいよねー、って続くんだよ。 SNSで、日常の良いところを呟いてる感じだと思えばいい」
「へぇ……そう聞くと親しみやすいかも。 ボクなら、そうだなぁ……」
ミコトは大きめの傘から外に出ないように身を寄せながら、俺に視線を合わせる。
「ボクが起きてくる前にコタツの電源を入れて、動かなくていいようにミカンや急須を机に置いてくれてるところとかを見ると、冬って良いなぁ……って思うよ」
「じゃあ俺はそうだな……。 毛布にくるまってミノムシになるくらい寒がりなのに、耐えながら可愛い恰好をしてるところ、かな」
俺はコートを脱いで、ミコトの肩にかけた。
平気そうにしているが、先程から指が着物の袖から少ししか見えていない。 例年並みの寒さを基準に選んでいたのなら、きっと寒いはずだ。
「……ありがと。 これ、厚手の生地だから結構暖かいんだけどね。 流石に石畳からの冷気が冷たくて。 けど、キミはコートを脱いでも大丈夫?」
「元々体温が高いから余裕だよ」
これは強がりじゃなく本当に平気だ。 筋肉量の違いか、俺はかなり寒さに耐性があるからミコトにコートを貸しても全く問題ない。
そんな様子を見たミコトはコートがズレ落ちないように位置を軽く調整すると、俺のマフラーを掴んで何度か軽く引いた。
「ん? どうした?」
内緒話かと思って、俺は体をミコトの方へと傾けた。
すると、頬に温かく柔らかい感触が触れた。
「……お礼」
そういうミコトに俺も黙って、同じように頬に口づけを返す。
以前よりも多少慣れたとはいえまだまだ気恥ずかしくて、寒さで朱に染まった耳がさらに赤みを増していった。
***
京都駅からタクシーで数十分、下賀茂神社を参拝する。
流石に有名な観光地ということもあって先程よりもずっと人が多くなっていた。
美しい境内をミコトは目を輝かせて歩く。 やはり目で楽しめるものをミコトは好む傾向にあるようで、俺の手を引いてあちこちへと歩き回った。
「あ、ここの主催神って玉依姫なんだ……けど、キミから聞いた話と違うね」
「漆塗りの矢が男神になって玉依姫と子を為した、と言う伝説だな。 ただ、神武天皇の母ともちゃんと書いてるからどっちも採用してるんだろう。 この流れてきた矢を由来にした矢来餅っていうのが人気らしいし、帰る時に買って食べてみようか」
「良いねー、お昼まで時間はまだまだあるし、美味しかったらお土産にもしよ」
多少出来ている参拝客の列に並び、お賽銭を準備しながらミコトと話す。
「そう言えばキミ、子供を捨てた豊玉姫のことをそんなに嫌ってないよね」
「うーん、そもそも自分以外の誰かを嫌いになることが俺は全然なかったからなぁ…………けど、捨てたとはいえ、玉依姫を派遣して子の面倒を見てもらってたからかな?」
玉依姫は捨て子である鵜葺草葺不合命を育てているから、個人的には好きな神様だ。
……まぁ、大人になった彼と結ばれて神武天皇を授かるという、光源氏もビックリの展開なのだが。
「……あの二人も、俺を捨ててくれていれば良かったんだが」
日本はセーフティーネットがしっかりした国だ。
もし捨てられていたとしても、多分俺は生きて大人になることができただろう。
むしろ同じような境遇の人が側にいて、周りとの劣等感に悩まされることも無かったのかもしれない。
その呟きに、ミコトはギュッと俺の手を握った。
「キミには悪いけど、そしたらキミと出会えてなかったかもね」
「……確かに。 なら、これまでの苦労も仕方ないか」
俺は笑ってそう答える。
確かにこれまでの人生に苦労は多かったけど、今の幸福を考えれば十分にお釣りがくる。
過去は無かったことにもできないし、変えることは出来ないが……それが今に続いてるなら、俺は受け入れて進んで行ける。
「キミは何かお願い事するの?」
「特に願いは無いし、捨て子みたいな俺が大人になれました、って報告ぐらいかな。 ミコトは? ここのご利益は美容らしいけど」
「ボクも特にお願いする気はないよ、神様のおかげで何かが上手くいったってつまらないからね」
「お前らしい。 確かに、神は干渉せずに見守ってくれてるぐらいがちょうどいいな」
お互いに笑って、お賽銭を投げる。
歴史的に見れば現世利益を求めて参拝するのが基本ではあるのだが、俺達にとっての神に対する向き合い方はこのくらいでいいのだろう。
いつの間にかすっかり雪は止んで、雲間から明るい陽射しが差していた。
***
その後も、色々な名所を巡った後に休憩として鴨川へとやってきた。
時間はすっかりお昼になって早朝に比べて寒さが和らいでおり、ミコトの肩にかけていたコートは今俺の腕にある。
「見て見て、アニメでよく見る飛び石!」
「おー、本当だ」
アニメはそれほど見ているわけではないが、鴨川の飛び石は学生の時にミコトの家で見させてもらったものにも登場していた。 アニメのOPなどでは良く使われている名所らしい。
着物姿のまま楽しそうに、リズムよくミコトが飛び石に飛び移っていき、俺もすぐ後を追った。
「子供の時に遠足で奈良や京都に行ったこともあるけど、良さが全然わからなかったんだよね。 なんなら、ちょっと退屈だなぁなんて思ってたよ」
川の飛び石の中腹辺りで、ミコトがそう言う。
俺が経験したくてたまらなかった出来事も、ミコトのように毎年のイベントとなればありがたみも無くなるものだ。
「けど大人になって色々行くと、ゲームで知った偉人と縁がある場所だったり、アニメの舞台だったりするんだね。 観光名所って、歴史好きの人たちの聖地巡礼みたいなものなんだなーって、ちょっと楽しみ方が分かった気がする」
「聖地巡礼、確かにそうかもな」
全ての名所がそうと言うわけではないが、その場所の情報を得ることでより楽しめるという場所は多い。 ミコトの場合はその情報源がアニメやゲームで、俺は図書館で借りた本だった。
「義経とか安倍晴明とか聞いたことある名前がいっぱい出てきて、ホントに歴史が長いんだなーって楽しくなっちゃった」
「確かにな。 ……今日の朝話してた枕草子も京都の話だ。 一緒に行った下賀茂神社も登場するんだよ」
「え! そうなの!?」
笑いながら飛び石を飛んでいたミコトが驚いてこちらを振り向く。 長い髪が動きに合わせてたなびいた。
「俺達が見た雪景色も、あの神社の風景も。 もしかしたら清少納言とかも見てたのかと思うと、俺も楽しくなる。 気候や景色、文字で読むだけだったお話を、肌で感じられるのが嬉しい」
「来て良かった?」
「あぁ、もちろん。 ……ミコトと来られて良かったよ」
物語の舞台を楽しむのなら一人旅でも構わない。
でも、この風景にミコトが映っていること、そして楽しさをミコトと共有できることが嬉しくて、この二人だけの修学旅行をしてよかったと思う。
いつの間にか飛び石はもう最後になっていて、俺達は対岸へとたどり着いた。
ミコトは俺がしっかりと岸に立ったのを確認すると、カバンからラッピングされた袋を取り出して俺に手渡す。
「……これは?」
「クリスマスはまだ先だけど……もし寒い日が有ったらって用意してたの。 少し早いけど今のうちにクリスマスプレゼント」
ミコトからのプレゼントは年に三度、誕生日とバレンタイン、そしてクリスマスだ。
例年この時期は、ここから寒さが本格化することもあって防寒具を貰っている。
開けてみると伸縮する生地で作られた手袋だった。 中に指を入れてみると、とても暖かい。
「ありがとう。 ……けどゴメン、クリスマスに渡すつもりだったから今はお返しを持ってないんだ」
「あははは、ボクがフライングで渡したかっただけだから気にしなくていいのに……けどそうだなぁ、キミが気にするって言うなら今すぐできるお返しもあるよ?」
ミコトはラッピングしていた袋を受取ってカバンにしまうと、少しイタズラに笑いながら人差し指を口元に持っていく。
……それは、確かに何の用意も必要ないだろうけど。
俺は周囲を見渡した。
鴨川はデートスポットとしても有名だ。 今日は朝から雪が降るくらいに寒かったし平日だから人はあまりいないが、それでも何組かのカップルはいる。
そして人混みでも頭一つ抜けて大柄な俺と、和服を着た美人であるミコトはどうしても注目を集めてしまう。 今も一組のカップルがこちらを見ながら話をしている。 恋人がいるなら恋人だけ見ててほしい……ってそれは俺も同じか。
ミコトは多分、出来るはずがないと思ってからかっているのだろう。
けど、初めて頬にキスをしてからそれなりの日数が経った。 俺だって、そろそろ先へと進みたい。
首に結んだマフラーをほどくと、俺とミコトの姿が周りに見えないように、目隠しとして互いを包むように軽く巻いた。
「え、ちょ、カクシ君……?!」
戸惑うミコトの顎に指を当ててこちらへと向けさせる。
3Dお披露目で候補に有った顎クイを、半年たった今ミコトに行う。
ミコトも戸惑っていたのは一瞬だけで、顎に指をあてた時から、目を閉じてこちらの行動を受け入れている。
俺は意を決して、ミコトの唇に静かに口付けた。
唇に触れる、頬とも違う柔らかい感触。
一瞬か、数秒かもわからない時間を終えて、どちらともなくそっと離れた。
互いに目を合わせられず、頭から湯気が出そうなほどに全身が熱くて、思わず背を向けてしゃがみ込んで動けなくなってしまう。
数度、深呼吸してから立ち上がってミコトの方を振り向くと、限界を超えて恥ずかしいのは向こうも同じらしく、しゃがんだまま自分のマフラーに顔を埋めて口元を隠していた。
「ひ、引き分け!」
「……普段負けてばっかだから大きな前進だな」
照れ隠しでそう言いながら立ち上がったミコトに、思わず笑う。
プロポーズを受けて早数ヶ月、ようやく恋人として先に進めた気がする。




