11_初めての修学旅行_入浴
初めての口づけをかわした後、マフラーを外してコートと一緒に左腕に持つ。
あれ以来体が熱く、首元を冷たい風が冷やしていくことでようやく落ち着いてきた。
この熱なら手袋も付けなくていいくらいだが、せっかくのプレゼントだからすぐにでも使いたい。
俺は両手に手袋をはめると、手を繋ごうとミコトに右手を差し出した。
ミコトは何も言わず、俺の手を握って共に歩いてく。
これから一度食事を取り、荷物を受取った後に旅館へとチェックインする予定だ。
だからまずはタクシー乗り場へと歩いて移動する。
ミコトが贈ってくれた手袋はとても暖かいが、こうして手を握って歩く場合はミコトの手の感触が伝わらないのが少し寂しい。
そう思っているとミコトは握っていた俺の手を離し、手袋の入り口からするりと手を滑り込ませた。
俺の手の腹を、ミコトの細い指が撫でながら進んでいく。
「ミ、ミコト……」
「なぁに……?」
俺の言葉を聞きながらも止まる気配のない指は、まるで生き物のように動いて滑り込むように俺の指を絡めとると、恋人繋ぎでしっかりと俺の手を握りしめた。
一つの手袋を二つの手が使うことによる圧迫感があるが、酷く窮屈と言う程ではない。
「……もしかして、このために大きめの手袋にしたのか?」
ミコトは恥ずかしそうに目を伏せたまま、こくりと頷いた。
クリスマスの贈り物も十年以上続く恒例のもので、何度か贈られた手袋のサイズは毎回俺にぴったりと合ったものだった。 それが今回は、少し余裕のある大きさになっている。
今回は俺の手に合うものが無かったのかと思っていたが、まさかこんな狙いがあったとは思いもよらなかった。
そう考えている間も、ミコトの指がすりすりと俺の中手骨を撫でており、くすぐったくて妙な気分になる。
「なんか……キス以上にいかがわしいことをされてる気がする」
「……ボクなりの反撃。 それと、これでも我慢してる方だからね」
ミコトは俺の右手にぴったりと寄り添ったまま、こちらをじっと見つめて笑顔を向けてくる。 先ほどまでずっと顔を伏せて黙っていたから心配だったが、その笑顔を見て少し安心した。
だけど、我慢してこれなら、仮に我慢していなかった場合俺は一体何をされていたのだろう。 ……理性があって安心したような、少し残念なような複雑な気持ちだ。
歩きながら美しい風景や街並みを、楽しそうに指差して笑顔を振りまくミコト。
だが、もう一方の手はしっかりと俺の手を握りしめている。
冷たい風が頬を撫でるが、繋いでいる右手だけはむしろ暑いくらいだ。
「……楽しかったけど、流石にここまでかなぁ。 ちょっと人が多くなってきちゃったから」
タクシー乗り場のある場所が近づくと、当然ながら人通りも多くなる。
ミコトは少し名残惜しそうに手袋から手を抜き取った。
「コートとかマフラーで隠せばまだ続けられるかも……って思ったけどね」
「ちょっと護送中見たいに見えるかもな」
「あまり目立ちたく無いんだよね、どこにリスナーがいるかわかんないし……」
手袋にはミコトの手一つ分のスペースがぽっかりと空いていたが、次第に伸びた生地が縮んで元に戻っていく。 とはいえこんなことを繰り返してると、一シーズンも持たないかもしれない。
やめるように言うべきだろうかと悩んだが……俺もミコトと手を繋いでいたい。
……もしも生地が伸び切ってしまったら数年前に貰った手袋を使うことにしよう。 それまで手袋には悪いが、この使い方をときどき楽しもうと思う。
***
京都料理を楽しみながら観光を行い、旅館にチェックインしたのは十六時。
今回宿泊したのは旅館内の離れの客室。 身バレの事故が怖いため、旅館のスタッフ以外と顔を合わせなくて済むようにしている。
食事は十九時に部屋へと運ばれて来るそうだ。
ミコトと一緒に宿泊する室内を見て回る。
高台にあるため、窓から見える眺めの良い古都の街並みも美しい。 今は冬だから木々に葉が付いていないが、秋に来れば美しい紅葉も見えただろう。
食事をとる和室には座布団と机があり、机の上には小さな饅頭も置かれている。
そして洋風の寝室にはベッドが二つ並んでいた。
全て和で統一しないのかという考えもあるかもしれないが、和式の布団だと足が出ることも多いから個人的には少しうれしい。
キャリーバッグを寝室に運び終え、いくつかの手荷物を出している俺にミコトが後ろから声をかけてきた。
「カクシ君、あーん」
思わず後ろを振り向くと、口に甘い味が広がった。
どうやら先程机の上で見かけた饅頭らしい。
甘く柔らかい生地にこし餡が入っており、二口程のサイズだった饅頭だが驚きのまま一口で食べてしまった。
「どう、美味しい?」
座りながら小首を傾げて尋ねるミコト。
確かに美味しかった、美味しかったのだけど……。
「途中から味がわからなくなった……」
「あはは、なにそれ」
口に入れて咀嚼している間は美味しいと思っていたのに、それがどうやって口に入ったかを自覚した後はもう駄目だった。
ミコトからあーんされたということに思考が取られてしまって、味を感じる余裕が無くなってしまった。
ミコトは俺の答えに軽く笑うと、自分も饅頭を食べ始めた。 表情を見るに、好みだったらしい。 嬉しそうに三口ほどで食べ終えていた。
「御馳走様。 温泉宿に置かれてるお饅頭って、入浴前に血糖値を安定させるためにあるんだってさ」
「へぇ……それは知らなかったな」
本をたくさん読んでいるからいろんな知識を蓄えている方ではある。 だけど、旅行には縁が無さすぎてそういった雑学は持っていなかった。
旅行ガイドとかももう少し読んでいても良かったな。
「うん、これでボクもキミも食べて準備は出来たよね」
「準備って……あぁ、お風呂のか……。 確かに食事までまだ時間はあるし、露天風呂に先に入るのも良いな」
今回は離れの客室を借りたから、露天風呂もこの客室を利用している俺達だけが使用できる貸し切りだ。
見ればミコトの側には自宅から持ってきたシャンプーやボディーソープ、スキンケア用品にタオルなど、お風呂セットが揃えられていた。
それを持ったまま少し恥ずかしそうに、ミコトは口を開いた。
「だから、ね……いっしょに入ろ?」
「……………………はい?」
***
脱衣場からはミコトが帯を緩める衣擦れの音と、帯や着物が床に落ちる音が耳に届く。
俺は気恥ずかしさから、脱衣所の外で背を向けて立っている。 視界に入らない耳への刺激で、心臓が激しく波打った。
「……カクシ君、そこまで恥ずかしがることないじゃん。 高校とかだとプールの授業とかもあったでしょ」
「男の裸でも、恋人の裸は違うだろ……」
「もう……、一緒に入らないなら何のために客室露天風呂付きの旅館にしたのさ。 どう考えても修学旅行で使うようなグレードじゃないよ?」
呆れたように言いながら、肌着とボクサーパンツだけになったミコトが俺の手を引いて脱衣場まで連れて行く。
確かにミコトの言う通り、俺達が手配した旅館は部屋も、この後に来る食事もかなり豪華になっていて、多分修学旅行で使うようなホテルの価格帯よりも遥かに高い。
俺は手を引かれながら、このホテルを選んだ理由をポツリと漏らした。
「……他の人にお前の裸を見せたくなかったからだよ」
普段と異なるラフすぎる格好に、まともに目を合わせられない。
露出度で言えばTシャツにショートパンツの時とそんなに変わらないのに、一体なぜだろうか。
「……ふふふ。 キミのそういう独占欲を見たの、初めてかも」
俺の言葉を聞いたミコトは嬉しそうに笑った。 だが俺を引っ張る力は一切緩む気配がなく、少しずつ脱衣場が近づいてくる。
……正直、本気で抵抗すれば一歩も動かないことだって出来る。
だがミコトといっしょに入ることが嫌なわけじゃない。 ただ緊張で勇気が出ないだけだ。
……とはいえ、脱衣場まで来てしまった以上はもう覚悟を決めるしかない。
俺は一度深呼吸をしてミコトに背を向けながら服を脱いでいくと、背後で扉の開く音がした。 服を脱いだミコトは一足先に浴場へ入ったらしい。 俺も少し遅れてから浴場へと向かう。
戸を開けて入れば、目に飛び込んできたものは絶景が広がる露天風呂だった。 流石に客室用だからそこまで広々としているわけではないが、二人程度なら余裕をもって一緒に入れる広さだ。
一糸まとわぬ姿での冬の屋外だが、傍に温かい露天風呂があるおかげで多少肌寒い程度で済んでいる。
「ほら、こっちこっち」
俺は声がする方に視線を向けた。
ミコトは既に洗い場の方にいて髪を洗い始めていたらしい。
「ボクはどうしても時間がかかっちゃうからね、シャワーは一つだけだから、あまり君を待たせたくないし」
俺も竹で出来た椅子に座り、髪を洗い始めた。 と言っても俺の髪はミコト程長くはないから、後から始めてもミコトよりもずっと早く終わってしまう。
最後にコンディショナーを洗い流し終えて、俺はふと隣のミコトを見た。
白く細身の肌に、黒い髪のコントラストが映える。
肩甲骨まで届く美しい髪をミコトが丁寧に洗っていく。
俺は始めて見るその姿に、気恥ずかしさを忘れてじっと見入ってしまった。
初めて会った時、髪の長さは男性としての物だった。
それが女装を本格的にするようになってからはエクステで伸ばし、Vtuberになってからは地毛になっている。
毛先まで手入れが行き届いた美しい髪を保つのは大変そうで……でも、俺の思い上がりでなければ、その苦労も俺のためにしてくれているのだろう。
ミコトのリスナーたちは、Vtuberとしての桃色の髪を普段見ている。
だがこの艶やかで綺麗な黒髪を見ることが出来るのは自分だけだと思うと、少しの優越感が有った。
そんな考え事も、ミコトが髪を洗い終えて石床を水が打つ音で我に返る。
「もう、何そんなにじっと見てるの? ……せっかく二人なんだし背中洗ってあげるよ」
ミコトの言葉に思わずドキリとした。
一糸まとわぬ体に、ミコトが触れる。
そのことに何も思わないわけもなく、しばらく考えるが……。
「…………お願いします」
「緊張しすぎ」
俺の頼みにミコトはくすくすと笑って、ボディスポンジを泡立てる。 肌を傷つけないように、泡で優しくなでる手つきがくすぐったい。
ミコトが背中を洗ってくれている間に、俺も自分で体を洗っていく。
「ふふふ、普通の友達でも銭湯とかプールに行くのに、ボク達は全然そういうのなかったよね」
「確かに……。 一緒に買い物とか家で遊んだり……あとは大学の敷地を借りてスポーツしたくらいか?」
「どれも楽しかったけどね」
ミコトを意識してしまうから避けていた……なんて理由ではない。 ただ単に機会がなかっただけだ。
お互いにアルバイトをしていたし、俺はともかくミコトはバイトの後に外で運動するようなことを好まなかったから、家でゲームや読書をすることが多かった。
話しているうちに背中を洗い終えたらしく、ミコトがからかうように声をかけてくる。
「……前もしようか?」
「わかってて言ってるだろ……、そっちはもう自分でやったよ」
ミコトおススメのボディーソープとスポンジは泡立ちが良く、俺は今モコモコの羊状態だ。 蛇口をひねり、シャワーを使って洗い流す。
さっぱりしたところで、俺はミコトに声をかけた。
「……さてミコト、次はお前の番だな」
「えぇ!?」
「お前がするなら俺もする……初めてで加減わからなくて悪いけど」
何かをしてもらったのなら、こちらも返したい。
義務感というわけでは無いが、どうにも俺はそういう考えが強いらしい。
ミコトは戸惑ってはいたが、少し間を開けてミコトはこちらに背を向けた。
「お、おねがいします……」
「お前も人のこと言えないな」
「に、似た者同士のカップルということで……」
体幹となる腰から背の筋肉こそついているものの、骨格から細身で華奢に見える体。 女性と比べて少し広めの肩幅や体のラインが、それでも男性であることを主張している。
陶器のようにきれいな肌を傷つけないように、しっかりと泡立ててからそっと背を撫でていく。
「く、くすぐったいよ……もう少し強くても大丈夫だから」
「ごめん……こうか?」
「うん、そのくらい」
力加減を微調整しながら、ミコトの背中を洗っていく。
「ミコトの体は綺麗だな」
気恥ずかしくてまじまじとは見れないが、思わずそんな言葉が漏れた。
「あ、ありがと……。 ずっと肌のお手入れとか、気を使ってたからね。 ……けどキミの体だってギリシャ彫刻みたいじゃん。 筋肉質だけど、ボディビルみたいな感じじゃないっていうか……」
「色々仕事で重いものを運ぶことも多かったし、運動習慣は維持してたから自然にな。 ……けどそういってくれるなら、このくらいの体は維持しておこうか」
仕事を辞めた今は自主的なジョギングや、ミコトの指導の下でダンスをするなど体を動かしているから、特に体が鈍っていることも無い。 筋肉が多いと食事量も増えるし不要なら落とそうとも考えていたが、ひとまずこのままでいようと思う。
ミコトは全身を洗い終えるとシャワーで泡を流していった。
泡の下から少しずつ肌が見えてくるのが妙に艶めかしく、俺は慌てて目を閉じる。 最初は背中の肌が全て見えた状態だったというのに、おかしな話だ。
シャワーの止まる音と共に、俺は深く息を吐いた。 疲れを癒すためなのに、なぜか少し疲れた気がする。
とはいえ、次はようやく寒さと疲れで固くなった体をほぐす入浴だ。
二人で連れ立って、ほとんど同時に露天風呂へと浸かる。 隣のミコトを見れば、長い髪を湯船に付けないよう、タオルで軽く巻いて保護している。
普段見ない新鮮な姿に思わず胸が高鳴った。
……どうやら俺は、ミコトの始めて見る姿には大体反応してしまうらしい。
お湯で温められたミコトの肩がほんのりと赤みを帯びている。
それなりにスペースには余裕があるというのに、ミコトは体が触れ合いそうな距離に座ってお湯に浸かっていた。
「近いかな?」
「……いや、大丈夫だ」
ここの風呂が濁り湯で助かった。 そうじゃなかったら、俺はまともに隣を見れなかっただろう。
「ふぅ……気持ちいいね」
「……そうだなぁ」
ミコトの言葉に、露天風呂の方に集中する。
暖かい湯と、顔に当たる少し冷たい風の対比が心地よい。
秋の京都も気になるが、旅行に来たのがこの時期で良かった。 もうとっくに雪は解けてしまっているが、雪に彩られた景色はいい思い出になった。
「今度ウチでも一緒に入る?」
「……流石に無理だろう」
家の浴槽はそれなりに大きい方だが、それでも流石に成人男性二人が余裕を持って入れるほどの大きさというわけでは無い。
それに……。
俺はミコトの手を取って自分の胸に当てる。 この激しく刻む心音がミコトに伝わっているだろうか。
なるべく平静を装っていたが、恋人が一糸まとわぬ姿で肩の触れ合う距離にいるということで俺はかなり限界に近い。
手を通して俺の状態を知ったミコトは、仕方ない、と軽く笑った。
「それじゃキミがもっとこういうことに慣れてからだね」
「……諦めるという選択は無いのか」
「もちろん! 実際にやって難しかったら……その時はまた旅行で一緒に入ろうよ」
「……ん。 そうだな、そのときはどこに行こうか」
「キミはどこか行きたいところある?」
「そうだなぁ……」
ミコトと、次に旅行をするときの候補地や経験したいことを話しながら、露天風呂の楽しいひと時は過ぎていった。




