一件落着
翌日は七つ(注1)に出立して京へ向かったが、それについて村方は何も言わなかった。
京都の三条の橋脇に三日逗留してゆっくりと骨を休め、東海道を下った。
大磯で泊まった晩には髪を切り、撫でつけにして江戸への帰路を進む。川崎に泊まった時に家へ連絡をしておいたから、大勢が迎えに来て、十二月九日に帰宅した。
集めた金子を持って孫一郎の所へ顔を出したら、みんなが神様のようにおれを扱った。
それから中一日を置いて丈助を呼び出して、立替金の三百三十九両余りを残らず渡し、親類の書付まで取って孫一郎へ渡した。
その翌日の事。家の祖母、養家のばばあ殿が死んだから、色々と法事にとりかかった。
「百両は大坂に登っても出来ないだろう」
そう言ったのは、武州・相州の知行所のやつだった。そいつらはおれが金を作ってきたのを聞いて驚いていた。
孫一郎の親類にも、「五十両でも出来たら勤めを辞めてやる」と言ったやつがいたが、へこましてやった。
この顛末には、虎之助も大いに喜んでいた。
大川丈助は「生涯あなた様の方へ足を向けて寝ません」というほどで、今でも折々に機嫌を伺いに来る。
そしてその年の暮れの始末を残らずしてしまうと、「こんな年越しは孫一郎の代になって初めてだ」と地主親族一同がおれの所に寄って馳走をしてくれた。
しかし考えてみれば、金を拵えるのに骨を折るのは今回の一件がこれまでで一番だ。だから、この一件に関わった者は皆々おれを畏敬した。
これほど骨を折った替わりに、道中の内は家来の四人も江戸まで駕籠に乗って連れて来たから、一同が喜んだ。往復で六十七、八両かかった。
翌年の春には忌明(注2)になったから、諸々で遊び面白く暮らした。
去年の丈助の一件の礼として、丈助の返金した残りは自由に使っていいと孫一郎は言った。しかしそれでは孫一郎が暮に使う手当がないから、一文も貰わなかった。
それを案じて、孫一郎の家中が相談して、木綿の反物を一反(注3)くれた。
世間では、おれの功ならば百両は取れと言ったが、おれはおれの考えで取らなかった。
【注釈】
注1 … 午前4時頃。
注2 … 喪が明けること。
注3 … 反は面積を表す場合に使用するが、布の面積にも用いた。1反はおよそ着物1着分の面積で、材質によっても差異があるが、およそ幅30cm・長さ6m。




