地主岡野孫一郎が不行跡
地主の当主岡野孫一郎は道楽者で、揚代(注1)が十七両もたまって吉原の茶屋から催促くると言って困っておった。
いつものことと誰も相手にしないから、岡野はおれを頼ってきた。おれもそういった事情は知らないから、金を工面して済ました。
しかしその後も五両に一分の利の金(注2)を七十両にも借りて、女郎を身請けした。
その時に皆済目録(注3)だかを代わりに置いてきたとかで、用人や知行の者が困っていた。そこでまたおれに頼んできたから、諸方の道具屋から集まっていた大小やら道具やらを色々と算段して、皆済目録を取り返した。
しかし岡野は金を一向に返さないから、今度はおれが困った。道具屋諸方へは少しずつ返したけれど、それからは万事金の融通が悪くなる。それに付き合いもあるから、大迷惑をこうむった。
それから当分は色々と道具を売ってしのいだが、段々と売る物も尽きる。しまいには武器も売り払ったが、年来丹精込めてこしらえた物だから惜しかった。それでも仕方ないとて売ったけれど、値はこしらえる時の半分にもならないものだ。
そんな風にしていると四文の銭にも困った。これも全部地主の借金を立て替えたからだ。
それからしばらくしたある晩、孫一郎の母親が忍んでおれの所に来た。
「孫一郎はふしだらで、家中が困っています。どうか支配と相談して、隠居させてくれませんか?」
そう言われたので、その旨取扱の長坂三右衛門にも話した。
「そういうことなら、母親から証拠の文を貰ってこい」
三右衛門に言われて、母親に話して証文を作った。それを見せて、頭の長井五右衛門に始終を話す。すると支配から「隠居しろ」の沙汰が出た。そう言われれば孫一郎も何にも言うことが出来ず、隠居することとなった。
名を継ぐ後の孫一郎はまだ十四だから、みんなおれが世話してやった。家督相続の時も一緒にお城へ連れて出た。
先の孫一郎は隠居して、名を江雪と改めて、剃髪(注4)した。
それから岡野の家の事も滅茶苦茶になっていたから、家来を差図して人を整理し、とりあえずの決め事をつけてやった。
程なくして、またまた隠居した江雪が岩瀬権右衛門という男を用人にして、色々と悪い法を家中にしいた。権右衛門へ給金を二十両に二十俵五人扶持もやって、好き勝手やりおる。これに困って岡野の家中が寄って頼んできた。
とりあえず頭に話して権右衛門を追い出し、他の用人を入れた。
その内に後の孫一郎のお袋が死に、隠居が色々と目論み出した。その時の一件もおれが片付けたし、その後江雪が女郎を引き連れて来た時も世話をして、柳島へ別邸を拵えてやったよ。
それから一年ばかりして、江雪が大病にかかった。その時もおれが色々と世話してやった。
「今度は快気する気配がないから、倅のことは万事頼む。嫁を取らせた後に、御番入りするまでは、なにとぞ見捨てずに世話してやってくれ」
と江雪が言うから、「聞き届けた」と答えたら喜んで、翌日死んだ。
江雪が死んだから、またまたその片付けを残らず世話した。しかし世間で岡野というと誰も嫁をくれないから、麻布の市兵衛町の伊藤権之助の娘を貰ってやった。
「何も持ってくるものがいないから、家には何も入らない」
江雪の母がそう嘆くから、権之助とおれで協力して、百両の持参金と高に相応しい諸道具も用意した。
これには知行所(注5)の百姓も驚いて、
「私共も二、三年色々な方面に頼んで、奥様のことは骨を折ったのですが、岡野に嫁ぐと聞くとみんな破断になりました。しかしあなた様のお陰で、殿様始め一同安心できて喜んでいます。ことに御持参金もあるのが有難い」と言いおった。
岡野家は千五百石だが道具が一つもなく、腰に下げる大小まで逢対のたびに借りて出るくらいだった。これでは世間が認めてくれないのももっともだと思った。
まず家は壊れて寂れているので、武州相州の百姓を呼んで五、六日色々と説明して納得させ、四百両を出させて家を直した。
そして岡野の家を頼っていた大勢な厄介な身内の世話までして、片付けてやった。
岡野家当主の伯父で、坊主をやっていた仙之助と言う男がいた。こいつには領地内に家を作ってやり、妾まで持たせてやった。これで家内の者はおれを神様のように言いおった。
暮らし向きも二百両の生活だったので、三百三十両の暮らしにしてやった。
厄介な親類には一ケ年分の金をやり、稽古事でもできるようにと手配した。
馬まで用意して、千五百石の位には少しすぎるくらいにしてやった。しかしそれでも借金が五千両ばかりあるのは変わらんので、家を潰さないでおくには馬鹿ものではできない。
【注釈】
注1 … 遊女に払う金。
注2 … 金利5%のこと。
注3 … 年貢の取り立て詳細を記入した帳簿。
注4 … 仏門に入ること。
注5 … 幕府に与えられた領地。つまり岡野の支配地。




