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[現代語訳]夢酔独言  作者: 雪邑基
19/70

小田原の喜平次

 飯を奢ってくれた人足の中にいた四十くらいの男が、「おれの所へ来て奉公しろよ。飯は沢山食えるからさ」と言う。

 男について行くと、小田原の城下はずれの横丁、漁師町についた。その町に住む喜平次、というのが男の名だった。


 喜平次はおれを家に入れて、「こいつを家で奉公させるから、可愛がってやれ」と女房や娘に説明した。

 女房や娘もあれこれ言ってくる。飯を食えと膳が出されたので食ったら、切らず飯(注1)だ。魚は沢山あって、焼いてくれた。


「明日からは海へ行って船をこげ」

 一日たって、喜平次が言う。江戸にいた頃にも海へは度々行っていたから、「はいはい」と軽い返事をした。

「小僧、名前はなんと言う?」言うと問われて、「亀という名だ」と慣れた幼名で答える。

「これに弁当を詰めて、朝七つ(注2)から毎日海に出ろ。ただ、お前は江戸っ子だろう。二、三日は海では飯を食えないだろうから、持って行くな」

 お鉢の小さいのを渡して、喜平次が言いよる。そう侮ってもらっては困る。

「江戸では毎日船に乗って海に出たから、怖くはない」

「いやいや、江戸の海とはわけが違う」

 反発するおれを喜平次がいなす。そんなもの納得できないから、聞かずに弁当は持って行った。


 それから同じ船に乗るやつの家へ連れられて、喜平次がよろしく頼むと手配してくれた。

「明日からだ。早く来いよ」

 同船のやつにそう言われた。そからは毎朝毎朝船に乗りに行った。

「亀が歩く姿はどうもおかしい」

 船に乗る生活をしていると、みんながそんな風に言った。それもそのはずだ。金玉の腫れが引かずに、水がぼたぼた垂れて困る。しかしとうとう、それを言わずに隠してしまった。本当に、困ったことだ。


 朝七つに海に出て、朝四つ(注3)時分には沖から帰ってくる。船を丘へ三、四町引き上げて、網を干す。少しずつ魚を貰って帰り、小田原の街に売りに行くという毎日だ。


 それから家へ帰って、切らずを買ってくる。四人の飯を仕度して、近所の使いをして二、三文ずつ貰った。喜平次の娘は三十ばかりだが、いい奴で時々西瓜なんかを買ってくれた。対して女房はやかましくって、よくこき使われたもんだ。


 喜平次は人足だから、家で会うのは夜ばかりだ。これは優しい親父で、時々菓子なんかを持ってきてくれた。十四、五日もいると、自らの子のようにしてくれるようになっていた。


「おらが所の子になれ」

 おれの江戸での生活を聞いて、喜平次はそう言いおる。

 そこで考えた。家を出てからはや四ヶ月。何しろおれも武士だから、こんなことをして一生過ごすというのもつまらない。江戸へ帰って、親父の判断次第にことを進めるのがいいだろう。

 そう思い立つと、喜平次の娘のご機嫌をとって引解きの着物(注4)を貰った。その継ぎ接ぎだらけな着物を着ると、閏八月の二日(注5)の夜八つ(注6)時分に起きて、浜へ行くと言って喜平次の家を逃げ出した。その時は、戸棚にあった銭を三百文盗み、飯を沢山弁当につめておいた。

 逃げ出した日は一日歩き、江戸には次の夜八つ頃にたどりついた。あいにくと空は暗くて、鈴ヶ森では犬が出ておれを取り巻いた。一生懸命に大声をあげてわめくと、番人が追いちらしてくれた。

 それから高輪の漁師町へ入り、海苔取りの船があったからそれをひっくり返して、その下で寝た。あんまりにもくたびれていたせいで、明くる日は日が昇っても寝ていたから、その町に住まう者の三、四人が見つけて叱りおった。


 叱った人たちにわびをして船の下から出ると、飯を食いながら愛宕山まで行って、一日休んだ。その日の晩は坂を下って、山の木の茂みで寝た。


 三日ばかりは人目を忍んで、五日目の夜には両国橋までたどりつく。その翌日には回向院のつき、墓場に隠れて生活となった。

 少しづつ食べ物を買っての生活だったが、しまいには銭がなくなってしまった。なので毎晩垣根からもぐり出て、物貰いをしていた。しかし夜は恵んでくれる人が少ないから、ひもじい思いをした。


 回向院の奥にある墓場には乞食の頭がいて、おれに「仲間になれ」とぬかしおった。おれはそいつの所へ行って、たらふく飯を食って、食い倒した。

 それから亀沢町へ帰ってみたが、なんだか敷居が高いように感じたから、引き返して二ツ目の向こうにある材木屋の河岸へ入って寝た。


【注釈】

注1 … 切らずはおからのこと。おから飯。

注2 … 午前4時。

注3 … 午前10時。

注4 … 中綿を抜いて仕立て直した着物。

注5 … 江戸時代は太陰暦を用いていたので、太陽暦とは一年で11日程度の差ができた。そこで数年に一回閏月を入れて、一年の日数を調整した。

注6 … 午前2時。


 飯を奢ってくれた人足の中にいた四十くらいの男が、「おれの所へ来て奉公しろよ。飯は沢山食えるからさ」と言う。

 男について行くと、小田原の城下はずれの横丁、漁師町についた。その町に住む喜平次、というのが男の名だった。


 喜平次はおれを家に入れて、「こいつを家で奉公させるから、可愛がってやれ」と女房や娘に説明した。

 女房や娘もあれこれ言ってくる。飯を食えと膳が出されたので食ったら、切らず飯(注1)だ。魚は沢山あって、焼いてくれた。


「明日からは海へ行って船をこげ」

 一日たって、喜平次が言う。江戸にいた頃にも海へは度々行っていたから、「はいはい」と軽い返事をした。

「小僧、名前はなんと言う?」言うと問われて、「亀という名だ」と慣れた幼名で答える。

「これに弁当を詰めて、朝七つ(注2)から毎日海に出ろ。ただ、お前は江戸っ子だろう。二、三日は海では飯を食えないだろうから、持って行くな」

 お鉢の小さいのを渡して、喜平次が言いよる。そう侮ってもらっては困る。

「江戸では毎日船に乗って海に出たから、怖くはない」

「いやいや、江戸の海とはわけが違う」

 反発するおれを喜平次がいなす。そんなもの納得できないから、聞かずに弁当は持って行った。


 それから同じ船に乗るやつの家へ連れられて、喜平次がよろしく頼むと手配してくれた。

「明日からだ。早く来いよ」

 同船のやつにそう言われた。そからは毎朝毎朝船に乗りに行った。

「亀が歩く姿はどうもおかしい」

 船に乗る生活をしていると、みんながそんな風に言った。それもそのはずだ。金玉の腫れが引かずに、水がぼたぼた垂れて困る。しかしとうとう、それを言わずに隠してしまった。本当に、困ったことだ。


 朝七つに海に出て、朝四つ(注3)時分には沖から帰ってくる。船を丘へ三、四町引き上げて、網を干す。少しずつ魚を貰って帰り、小田原の街に売りに行くという毎日だ。


 それから家へ帰って、切らずを買ってくる。四人の飯を仕度して、近所の使いをして二、三文ずつ貰った。喜平次の娘は三十ばかりだが、いい奴で時々西瓜なんかを買ってくれた。対して女房はやかましくって、よくこき使われたもんだ。


 喜平次は人足だから、家で会うのは夜ばかりだ。これは優しい親父で、時々菓子なんかを持ってきてくれた。十四、五日もいると、自らの子のようにしてくれるようになっていた。


「おらが所の子になれ」

 おれの江戸での生活を聞いて、喜平次はそう言いおる。

 そこで考えた。家を出てからはや四ヶ月。何しろおれも武士だから、こんなことをして一生過ごすというのもつまらない。江戸へ帰って、親父の判断次第にことを進めるのがいいだろう。

 そう思い立つと、喜平次の娘のご機嫌をとって引解きの着物(注4)を貰った。その継ぎ接ぎだらけな着物を着ると、閏八月の二日(注5)の夜八つ(注6)時分に起きて、浜へ行くと言って喜平次の家を逃げ出した。その時は、戸棚にあった銭を三百文盗み、飯を沢山弁当につめておいた。

 逃げ出した日は一日歩き、江戸には次の夜八つ頃にたどりついた。あいにくと空は暗くて、鈴ヶ森では犬が出ておれを取り巻いた。一生懸命に大声をあげてわめくと、番人が追いちらしてくれた。

 それから高輪の漁師町へ入り、海苔取りの船があったからそれをひっくり返して、その下で寝た。あんまりにもくたびれていたせいで、明くる日は日が昇っても寝ていたから、その町に住まう者の三、四人が見つけて叱りおった。


 叱った人たちにわびをして船の下から出ると、飯を食いながら愛宕山まで行って、一日休んだ。その日の晩は坂を下って、山の木の茂みで寝た。


 三日ばかりは人目を忍んで、五日目の夜には両国橋までたどりつく。その翌日には回向院のつき、墓場に隠れて生活となった。

 少しづつ食べ物を買っての生活だったが、しまいには銭がなくなってしまった。なので毎晩垣根からもぐり出て、物貰いをしていた。しかし夜は恵んでくれる人が少ないから、ひもじい思いをした。


 回向院の奥にある墓場には乞食の頭がいて、おれに「仲間になれ」とぬかしおった。おれはそいつの所へ行って、たらふく飯を食って、食い倒した。

 それから亀沢町へ帰ってみたが、なんだか敷居が高いように感じたから、引き返して二ツ目の向こうにある材木屋の河岸へ入って寝た。


【注釈】

注1 … 切らずはおからのこと。おから飯。

注2 … 午前4時。

注3 … 午前10時。

注4 … 中綿を抜いて仕立て直した着物。

注5 … 江戸時代は太陰暦を用いていたので、太陽暦とは一年で11日程度の差ができた。そこで数年に一回閏月を入れて、一年の日数を調整した。

注6 … 午前2時。


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