旅に病んで
それから二人で話し合い、またまた伊勢を訪れた。その男はそこから四国の金比羅へと参ると言って、山田で別れた。おれは伊勢で十日ほどふらふらしていたが、だんだんと四日市の方へ帰る。
帰りの道中、白子の松原で寝た晩にひどい頭痛がした。熱も出て苦しい思いをし、翌日にはどうなっているかもわからず松原に寝ていた。
二日ばかりしてなんとか人心地つけるまで動けるようになると、また往来の人に一文ずつ貰って、あとは倒れて水ばかり飲んで腹を満たす日々。それが七日ほど続いた。
松原の脇に半町ばかり引っこんだ寺ある。そこの坊主が行き倒れたおれを見つけてくれて、毎日毎日麦粥を食わせてくれた。そのお陰で、なんとか力がついた。
松原に寝る生活をしていると、坊主はこも(注1)を二枚持ってきた。
「一枚は下に敷いて、一枚は夜にかけて寝ろ」
坊主がそう言うので、その通りにして二十二、三日はぶらぶらして日をおくった。
二十三日目ごろになると、やっと足で立てるまでなった。とても嬉しくて、竹切れを杖にして少しずつ歩いた。
それから三日ばかりして寺へ礼に行った。
「大事にしろよ」
坊主はそういって古い笠とわらじをくれた。さて門を出るかと言う時にまたまた呼び止められて、銭の百文までくれた。それだけの餞別を貰ったから、一日に一里(注2)くらいずつ歩けた。
しかし伊勢路では火で炊いた温かいものを一向に食えず、生米ばかりかじって歩いたから、病み上がりというのもあってかどうにも腹の調子が治らない。そうなるとまた気分が悪くなる。場所は忘れたが、どこぞの河原の土橋の下に大きな横穴があいていたから、そこへ入って五、六日寝た。
ある晩。若い乞食の二人組が穴に居座るおれの所に来た。
「その穴は先月まで神田の者が寝床にしていた所だが、どこかに行ったから今じゃおれらの寝床になった。三、四日は稼ぎに出て留守にしていたが、だからってお前に取られると困る」
乞食にそう言われても、おれだって病気だから動けない。その旨伝えると、「そんなら三人で寝るとするか」とぬかしおる。
それから六、七日はそいつらと一緒にいた。その内に食う物に困り、どうしようと二人に言ったら、
「伊勢では火の物は太神宮様(注3)が外へ出すのを嫌うから、温かいものなどくれんよ。それなら在野に行ってみろ」
とすすめられた。
おれは杖にすがって、そこから十七、八町(注4)行った脇の村方へ入ろうとする。すると番太郎(注5)が六尺棒を持って現れて、
「なぜこの村方へ来た? 入口に勝手に入るなと札が立ててあるだろうが、べらぼうめぇ!」
とのたまっていきなり棒で打ちおった。おれも病気だったから、そのまま気が遠くなって倒れた。
番太郎はおれを足で村の外まで蹴り出しおったから、おれはほうほう這うようにしてなんとか橋の下まで帰った。
「どうだったよ?」
二人にそう聞かれるから、おれはことの次第を言った。
「お前、米は持っているか?」
そう聞いてきたから、おれは麦と米とを貰ってためた三、四合を出して見せる。
「そんならおれが粥をにてやろう」
乞食はそう言って、土手に穴を掘って欠けた徳利を置いた。そこ米を入れ水を入れ、小枝を燃やして粥をこしらえてくれる。その粥を少し食って、あとは礼として二人にふるまった。
それからはおれも古徳利を見つけて、恵んで貰った米・麦・ひきわり(注6)を煮て食うようになった。それで冷や飯には困らなくなったが、それまでは誠に困ったものだ。
体調も戻ると段々気持ちが良くなったから、そろそろと行くかと出立したが、府中までの帰り道はとにかく銭がなくて困った。
七月。丁度盆だからみんなも功徳が積みたかろうと、毎晩毎晩町々で施しを貰おうと歩いた。
その時訪れた伝馬町という所の米屋では、施行(注7)のために小さい皿にひきわりを入れて店先に並べていた。ありがたく一皿いただくと、別の皿に一文が入っているのが見えて、そっとまた一皿取った。すると、米をついていた男がそれを見つけおった。
「二度取りをしおるか!」
腹を立てた男がとがめざまに、握り拳でおれをしたたかに打ちおった。病み上がりだったので、おれはなすすべなく道に倒れるしかない。
しばらくして気がつき、観音堂で寝た。しかしその時は、二本杖をついてようやく歩くような状態である。翌日は腰が痛くて、どこへも出なんだ。
【注釈】
注1 … マコモで編まれたむしろ。
注2 … 約4km。
注3 … 伊勢神宮の宮司。
注4 … 一町は約109cmなので、およそ2km。
注5 … 番人のこと。
注6 … ひきわり麦。大麦の粗挽き。
注7 … せぎょう。僧や貧民に施しを与えること。




