↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/33

第9話 南の林道に、壊れていないはずの人が来る

 工房を出ると、昼の光はまだ高かった。


 だが、村の南へ伸びる林道の先だけが、妙に薄暗く見える。木々が道の上で枝を重ね、風の通りも悪い。結界柱の流れが少し戻ったとはいえ、村の外縁にはまだ重さが残っていた。


 先を走る見張りの村人の背を追いながら、俺は頭の中で状況を並べる。柱から異物を二本抜いた。井戸の水は澄み、畑の土も少し戻った。なら、本来なら村の空気は上向くはずだ。そんな日に、南の林道から“様子の変な人影”が来る。


 偶然とは思いにくい。


 隣ではエルナが無言で歩いている。右手はもう自然に剣の柄へ伸びていた。セルドも後ろからついてきているが、さすがに村の外れを走るのは慣れていないらしく、靴音が少し乱れていた。ガドは村に残った。トーマも工房に置いてきた。あの二人まで連れていくのは危ない。


「見えた場所はこの先だ」


 見張りの男が声を潜める。


 林道は緩やかに曲がり、その先に少し開けた場所がある。昔は荷車のすれ違いに使っていたのだろう。今は草が伸び、轍も浅い。


 俺たちは木陰に身を寄せ、そっと先を覗いた。


 人影は、二つだった。


 ひとりは男。旅装の上から薄い外套を羽織っているが、裾は泥だらけで、片足を引きずっている。もうひとりは女で、男より若い。肩を貸しているように見えるが、その歩き方もおかしい。疲れているだけじゃない。足を出すたびに、一拍遅れる。まるで、自分の身体と歩幅が噛み合っていないみたいに。


 そして、二人とも無言だった。


 旅人なら、普通は何か話す。励ますとか、道を確かめるとか。だが二人は、ただ前だけを見て、壊れた人形みたいに歩いている。


 エルナが低く言う。


「普通じゃないな」


「ああ」


 セルドも目を細める。


「負傷者には見えますが……」


「見えるだけだ」


 俺には、もっと嫌なものが見えていた。


 二人の身体の周りに、薄い黒い靄が絡んでいる。狼ほど濃くはない。柱ほど深くもない。だが、確かに“異物の気配”がある。しかも、外から刺さっているというより——内側で何かが噛んでいる。


「止まれ!」


 エルナが一歩前へ出て声を張った。


 二人の足が止まる。


 男がゆっくり顔を上げた。頬はこけ、唇は乾いている。だが目は虚ろではない。ちゃんとこちらを見ている。女も同じだ。意識はある。あるのに、身体だけが壊れたように動いている。


「……村、か」


 男が掠れた声で言った。


「水を、もらえないか」


 その一言で、少なくとも敵意は薄いとわかった。だが油断はできない。


 俺はエルナの横へ出る。


「どこから来た」


「南の……街道沿いの、宿場から」


 男の声は途切れ途切れだ。女が代わりに続ける。


「森を避けたかったのに、道を外れて……気づいたら、変な音がずっとついてきて」


 変な音。


 俺とエルナが一瞬だけ視線を交わす。狼の脚が鳴らしていた、あの壊れた音を思い出す。


「名前は」


「俺はハルト。こっちは妹のミナ」


 偽名かどうかはわからない。だが、少なくとも答えは返ってくる。完全に壊されているわけではない。


 セルドが一歩前へ出た。


「王都の者です。あなた方の身体に異常は?」


 その言い方に、俺は少し眉をひそめた。案の定、女——ミナが警戒した顔になる。


「異常って……」


「歩き方が変だ」


 俺が言い直すと、ミナは唇を噛んだ。


「……朝から、足が重いんです。兄も。怪我はしてないのに、うまく力が入らない」


 男のハルトが苦く笑う。


「最初は疲れかと思った。でも、だんだん身体の中で何かが引っかかるみたいになって……」


 やはり同じだ。


 俺は二人に近づき、手を見せてから言った。


「触れてもいいか」


 ハルトは少し迷ったが、頷いた。右腕を差し出す。手首に指を当てた瞬間、ぞわりと嫌な感触が走った。


 流れが鈍い。しかも、脚へ向かう線の途中に、小さな棘のようなものがいくつも引っかかっている。エルナのときのような大きな異物ではない。もっと細かく、散っている。


「……細片か」


「何かわかるのか」


 エルナが訊く。


「たぶん、柱や狼に刺さってたのと同じ類だ。でも砕けてる」


 ミナのほうも見る。こちらも同じ。脚へ向かう流れに、砂みたいな黒い粒が噛んでいた。


 セルドの顔色が変わる。


「人にも、ここまで……」


「王都ではなかったのか」


「報告はありました。原因不明の歩行障害や倦怠感が一部で。ただ、ここまで明確な共通性は——」


「見えてなかっただけだ」


 言いながら、俺は周囲を見た。林道の土。草の根元。轍の溝。目を凝らすと、ところどころに黒い粉のようなものが混じっている。雨で流れきらず、ぬかるみに残っていた。


「道だ」


 俺はしゃがみ込み、土を指で払った。


「この道に混じってる」


 エルナもすぐに気づく。


「踏んで、体内に?」


「いや、そこまではわからない。でも、長くこの中を歩けば、流れに触れる可能性はある」


 ハルトが顔をしかめる。


「じゃあ、俺たちは……」


「すぐ死ぬようなものじゃない」


 不安を煽らないよう、先に言う。


「でも放っておくと悪化する。村へ入る前に、少し見たい」


 ミナが兄の袖を握る。警戒と疲労が入り混じった顔だ。無理もない。見知らぬ村の入口で、身体の中を見せろと言われているのだから。


 エルナが静かに口を開いた。


「信用しろとは言わない。だが、私はこの人に剣を取り戻してもらった」


 短い言葉だったが、十分だった。ミナの目が少し揺れる。ハルトは妹を見て、それから俺に頷いた。


「頼む」


 林道の脇に倒木があった。そこへ二人を座らせ、俺はまずハルトの脚の流れを探る。細片は散っているが、中心は膝の裏に近い。そこへ流れが集まり、引っかかっている。


「痛むかもしれない」


「歩けるようになるなら、構わない」


 その言い方に、少しだけエルナを思い出した。


 俺は指先の感覚を沈める。大きな棘を抜くのではない。細かい砂を、水の流れで少しずつ寄せるような作業だ。無理に掻き出せば、流れそのものを傷つける。


 ハルトの呼吸が浅くなる。ミナが不安そうに見守る。セルドは珍しく口を挟まず、ただ観察していた。


「……ここだ」


 膝裏の一点に集まったざらつきを、流れの外へ押し出す。皮膚の下で、ちり、と小さな熱が走った。ハルトが歯を食いしばる。


「っ……!」


「もう少し」


 最後に指先を払うように動かすと、黒い粉が汗と一緒に皮膚の表面へ滲んだ。ほんのわずかだが、確かに出た。


 トゲではない。砂だ。黒い、細かな砂。


 セルドが息を呑む。


「異物が……排出された」


「全部じゃない。でも、流れは少し通る」


 ハルトに立つよう促す。彼は恐る恐る足に力を入れ、ゆっくり立ち上がった。最初の一歩はまだぎこちない。だが、さっきのような“噛み合わなさ”は薄れている。


「……軽い」


 本人がいちばん驚いた顔をした。


 ミナの目が見開かれる。


「お兄ちゃん、本当に?」


「少しだけだが、違う」


 なら次はミナだ。彼女のほうは足首に近い位置で流れが詰まっていた。こちらも同じように細片を寄せ、押し出す。痛みで肩が震えたが、声は上げなかった。気丈な子だ。


 処置を終えると、ミナもまた立ち上がり、何度か足踏みした。


「……さっきより、ちゃんと地面を踏める」


 その言葉に、林道の空気が少しだけ緩む。


 だが、俺は安心しきれなかった。道に黒い粉が混じっている。旅人がそれに触れてこうなるなら、村の外だけの問題ではない。もっと広い範囲で、異物が撒かれている可能性がある。


 セルドが低く言う。


「王都へ急ぐ理由が、また増えましたね」


「増えたな」


 否定はしない。だが同時に、この村の周辺が“通るだけで壊れる道”になり始めているなら、放置もできない。


 エルナが林道の先を睨む。


「この二人だけじゃないかもしれない」


「ああ」


 ハルトが息を整えながら言う。


「俺たちの前にも、荷車を引いた商人を見た。街道から外れて、この辺りへ入っていったはずだ」


「いつだ」


「昨日の昼ごろだ」


 昨日。狼が畑へ出た日だ。


 俺はセルドを見る。


「聞いたか」


「ええ。見過ごせません」


 ガドに知らせ、村の入口を見張らせる必要がある。工房に残したトーマにも、勝手に外へ出るなと言わなければならない。


「二人は村へ」


 俺が言うと、ミナが不安そうに林道を振り返った。


「迷惑じゃ……」


「歩けないまま外にいるほうがまずい。水もいるし、休め」


 ハルトが深く頭を下げる。


「恩に着る」


「まだ早い。完全には抜けてない」


 それでも、二人の顔色はさっきよりましだった。少なくとも、自分の足で歩けるというだけで、人はこんなに表情が変わる。


 村へ戻る道すがら、俺は何度も林道の土を見た。黒い粉は、日向では目立たない。知らなければただの汚れだ。だが、知ってしまえば見える。見えてしまえば、もう無視はできない。


 工房の煙突が見えてきたところで、トーマが飛び出してきた。


「遅い! 何かあったのか!?」


 言いながら、見知らぬ二人に気づいて目を丸くする。


「旅人だ。水を頼む」


「わ、わかった!」


 トーマはすぐに井戸へ走った。こういうときの動きは本当に早い。


 ガドも工房の前で待っていたらしく、二人の様子を見るなり顔をしかめる。


「また壊れてたのか」


「道が壊れてる」


 俺がそう言うと、ガドの表情がさらに険しくなった。


「道までか」


「南の林道に黒い粉が混じってた。踏んだか、吸ったか、触れたかはわからないが、身体の流れに細片が入ってる」


 セルドが補足する。


「王都で報告されていた原因不明の症状と一致する可能性があります」


 ガドは舌打ちした。


「村の外も中も、じわじわ壊されてるってわけか」


 工房の前に、重い沈黙が落ちる。


 その沈黙を破ったのは、エルナだった。


「なら、もう猶予は少ないな」


 彼女は俺を見る。セルドも、ガドも、トーマも、そして助けたばかりの兄妹も、同じように俺を見ていた。


 王都へ行くか。

 村に残るか。

 その二択だったはずなのに、状況はもうそんなに単純じゃない。


 村を守るには、外で何が起きているかを知らなければならない。

 外を止めるには、この村の根を見失ってはいけない。


 工房の炉が、低く鳴る。

 火はまだ消えていない。

 だが、燃えているだけでは足りないところまで、事態は広がり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。