↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/28

第15話 壊されていたのは、荷車ではなく流通そのものだった

 厩舎の裏へ戻るころには、宿場の空気が少し変わっていた。


 さっきまで半信半疑だった旅人たちが、水場から距離を取り始めている。管理役の指示で桶がいくつも運ばれ、井戸から直接汲んだ水だけを使うよう切り替えが進んでいた。足を悪くしていた三人も、まだ完全ではないにせよ、自分の足で歩けるようになっている。


 目に見えて状況が動けば、人は信じる。


 だが、信じた先で何を守るべきかを間違えれば、また同じことが起きる。だからこそ、今ここで見極める必要があった。


「こっちの荷車です」


 管理役が案内した先で、例の一台は朝と同じように傾いたまま止まっていた。だが、さっきより周囲に人が増えている。御者らしい男が二人、荷主らしい商人が一人、それに厩舎番まで顔を揃えていた。


 商人風の男が俺たちを見るなり、苛立った声を上げる。


「あんたが直したっていう修復師か?」


「そう呼ばれてる」


「なら早く見てくれ。こっちは荷が遅れたら損になるんだ」


 言い方は気に入らなかったが、焦る気持ちはわかる。荷が止まるというのは、それだけで金が止まるということだ。宿場にとっても、商人にとっても、旅人にとっても。


 俺は荷車の前へしゃがみ込んだ。


 左前輪の沈み込みは、やはりただのぬかるみじゃない。泥に取られたように見せかけて、軸の内側に黒い粉が噛んでいる。しかも今回は、車輪だけじゃない。荷台の前方、荷重がかかる継ぎ目にも細かな異物が入り込んでいた。


「……悪いな」


 俺が呟くと、エルナが横から訊く。


「さっきよりひどいか」


「ひどい。でも、直せないほどじゃない」


 セルドが荷台を見上げる。


「積荷が重いですね」


「重さも狙われてる」


 俺は立ち上がり、商人へ向き直った。


「この荷、何を積んでる」


「乾物と布、それに金具類だ」


「全部ここで積んだのか」


「いや、二つ前の町で布を足した。金具はその前だ」


 積み替えがある。なら、どこで混じったかは一つじゃないかもしれない。


「最近、荷の検めは受けたか」


 その問いに、商人の顔がわずかに曇った。


「……関所で一度」


「ちゃんと通ったのか」


「通ったさ。何が言いたい」


「別に責めてるわけじゃない」


 だが、責められる覚えがある顔だった。


 セルドが静かに口を挟む。


「検めを避けた荷が、別の経路から混じっている可能性もあります」


「そんなこと、俺が知るか」


 商人は吐き捨てるように言ったが、その声には苛立ちより不安が強かった。


 俺は荷台の継ぎ目へ手を当てる。ざらつきが、木の呼吸を止めている。車輪だけを戻しても、荷重の逃げ場がなければまたすぐ噛む。順番が必要だ。


「まず荷を少し下ろす」


「は?」


「全部じゃない。前に偏ってる分だけだ」


「そんなことしたら積み直しに時間が——」


「今動かしたら、今度は本当に軸が折れる」


 言い切ると、商人は口をつぐんだ。御者たちも顔を見合わせる。無理に動かして悪化させるか、今少し手間をかけるか。選ぶまでもない。


「……どれを下ろせばいい」


「前の布束を二つ、金具箱を一つ。そっちは触るな、荷重が崩れる」


 指示を出すと、御者たちが慎重に動き始めた。荷台がわずかに軽くなる。そこでようやく、継ぎ目の噛み方がはっきり見えた。


 黒い粉は、ただ付着しているだけじゃない。木の繊維の間へ入り込み、しなりを殺している。車輪の回転を止めるだけじゃなく、荷台が重さを受け流す働きまで鈍らせていた。


「……徹底してるな」


 思わず漏れる。


「何がだ」


 エルナが問う。


「壊し方だよ」


 俺は車輪と荷台を交互に見た。


「ただ車輪を止めるだけなら、軸に噛ませればいい。でもこいつは荷重の逃げ道まで潰してる。動けば壊れるし、止まっても負担が残る」


 セルドの目が細くなる。


「つまり、故障ではなく——」


「ああ。流れを殺してる」


 その言葉が、自分の中で妙にはっきり響いた。


 村の井戸もそうだった。水の流れを止める。

 工房の炉もそうだった。火の巡りを鈍らせる。

 結界柱もそうだ。守りの流れを沈黙させる。

 そして今、荷車と旅人の足、宿場の水場、街道の土。


 壊されているのは、物そのものじゃない。

 **流れそのもの**だ。


「レイン?」


 エルナの声で意識を戻す。


「……いや、見えた」


「何が」


「相手のやり方だ」


 俺はしゃがみ込み、車輪の軸へ布を差し込む。


「異物は、壊したいものを直接砕いてるんじゃない。動き続けるための流れを噛ませて、機能不全を起こしてる」


 セルドが低く繰り返す。


「機能不全……」


「井戸も、炉も、柱も、荷車も、人の足も同じだ。全部“動くための仕組み”を殺されてる」


 言葉にした瞬間、宿場で起きていることの輪郭が一気に繋がった。


 荷車が止まる。

 御者が足を悪くする。

 水場が汚染される。

 馬が進まなくなる。

 そうなれば、荷は遅れ、人は滞り、宿場は詰まる。


 これは単なる嫌がらせじゃない。

 道を通るものすべてを鈍らせ、止め、詰まらせるための壊し方だ。


「……壊されていたのは、荷車じゃない」


 俺は軸の奥から黒い粉を掻き出しながら言った。


「流通そのものだ」


 その場にいた全員が黙った。


 商人も、御者も、管理役も、言葉の意味を飲み込むのに少し時間がかかったらしい。だが、理解した瞬間の顔は同じだった。青ざめるか、息を呑むか、そのどちらかだ。


 宿場は道で食っている。

 道が止まれば、ここは死ぬ。


「そんな……」


 管理役が掠れた声を出す。


「じゃあ、ここだけ直しても……」


「また来る可能性は高い」


 俺は正直に言った。


「でも、だからって何もしない理由にはならない」


 軸の噛みを外し、荷台の継ぎ目へ指を滑らせる。木のしなりを戻すように、流れを押し直す。村の工房で炉を戻したときに似ていた。違うのは、相手が火ではなく重さだというだけだ。


「少し持ち上げろ」


 御者たちが荷台の前を支える。俺はその隙に継ぎ目の異物を掻き出し、車輪の位置を戻す。


「下ろせ。今度はゆっくり引け」


 ごり、と鈍い音がした。


 一瞬、全員が息を止める。


 次の瞬間、車輪が泥から抜け、荷車がまっすぐ前へ転がった。


「動いた……!」


 御者の一人が叫ぶ。商人が慌てて荷台へ駆け寄り、継ぎ目や車輪を確かめる。さっきまで傾いていた荷車は、今は何事もなかったように立っていた。


「本当に、直ったのか」


「応急だ」


 俺は立ち上がる。


「積み方を偏らせるな。次の町で軸を洗え。水場の泥は使うな。乾いた布で拭け」


「わ、わかった」


 商人はさっきまでの苛立ちを忘れたように何度も頷いた。


 周囲で見ていた旅人たちのざわめきが広がる。


「また直したぞ」


「荷車だけじゃなく、人の足まで戻したって話は本当だったのか」


「修復師って、ああいうのまでわかるのか……」


 その声を聞きながら、俺は少しだけ息を吐いた。


 村では、直しても直しても次が来た。

 ここでもたぶん同じだ。

 だが、今は違う。何を相手にしているのかが、前よりはっきり見えている。


 セルドが管理役へ向き直る。


「宿帳と荷の控えを見せてください。最近、どの商会の荷が多かったか、どの街道筋から異常が増えたかを確認したい」


「すぐ持ってきます」


 管理役は走っていった。


 エルナが俺の隣に立つ。


「顔つきが変わったな」


「お前、さっきも似たようなこと言ってなかったか」


「今はもっとはっきりしてる」


「何が」


「村を出たときは、守るために進んでる顔だった」


 エルナは宿場の往来を見た。荷車、旅人、馬、水桶。動くものばかりだ。


「今は、壊してる相手を見つけた顔だ」


 否定できなかった。


 まだ黒幕の顔は見えていない。

 王都に何が待っているかもわからない。

 それでも、相手のやり口だけは掴んだ。


 流れを止める。

 巡りを鈍らせる。

 人も物も街も、動けなくしていく。


 なら、俺のやることはもっとはっきりする。


 止められた流れを戻す。

 詰まったものを通す。

 壊れた仕組みを、もう一度動かす。


 それが修復だ。


 管理役が帳面を抱えて戻ってくるのが見えた。宿場の奥では、さっき直した荷車がゆっくりと位置を変え、道を空けている。止まっていた流れが、少しずつまた動き始めていた。


 俺は手についた黒い粉を布で拭い、帳面へ目を向ける。


 壊されていたのは、荷車ではなく流通そのものだった。

 その答えを掴んだ今、王都への道はただの移動ではなくなった。

 この壊れ方の先にいる相手へ辿り着くための、確かな道筋になり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。