第13話 王都への道で、修復師は最初の答えを掴む
セルドが王都から乗ってきた馬車は先に返していたので、一行は歩いて王都に向かっていた。
村を出てからしばらくは、誰もあまり喋らなかった。
朝の光は林道の上にまだ浅く、木々の隙間から差し込む白い筋が、湿った土を細く照らしている。昨日まで何度も往復した道なのに、今日はまるで別の場所みたいだった。背後に村があるとわかっているだけで、足の置き方まで変わる。
俺の前をエルナが歩く。剣を背負い、周囲へ視線を配りながらも、歩幅は一定だ。セルドは少し後ろで、例の小箱を布に包んで抱えている。王都へ持ち帰る証拠。軽くはないが、あいつは一度も弱音を吐かなかった。
村の気配が完全に遠のいたころ、エルナがぽつりと言った。
「静かだな」
「何がだ」
「お前が」
「いつもだろ」
「村を出た直後くらい、もう少し感傷に浸るかと思った」
俺は少しだけ前を見たまま考える。
感傷がないわけじゃない。井戸も、工房も、結界柱も、まだ完全には直っていない。トーマの顔も、ガドの言葉も、背中に残っている。だが、それを口にしたところで何かが軽くなるわけでもない。
「戻る場所があるってわかったからだろ」
そう答えると、エルナは一瞬だけ目を細めた。
「……そうか」
セルドが後ろから口を挟む。
「珍しく、少しだけ詩的ですね」
「うるさい」
「事実です」
いつもの調子だ。だが、そのやり取りがあるだけで、道の空気が少し軽くなる。
南の林道を抜け、街道へ合流するころには、日もだいぶ高くなっていた。村の周辺ほどではないが、街道の土にもまだ黒い粉の気配が残っている。荷車の轍、馬の蹄跡、旅人の足跡。いろんなものが重なり、その上をさらに人が通る。これでは、どこで混じり、どこへ運ばれていくのか追いきれない。
「広がり方が厄介だな」
俺が言うと、セルドが頷く。
「ええ。局所的な破壊ではなく、流通に紛れて拡散しているなら、王都だけを見ても止まりません」
「だから元を掴む」
「そのために、まずは王都です」
理屈はわかる。だが、王都へ着くまでにも、きっと同じような壊れ方がいくつもある。見過ごせるかどうかは、そのとき次第だ。
昼前、最初の宿場が見えてきた。
街道沿いに建つ小さな宿場町だ。石造りというほど立派ではないが、木柵と見張り台があり、旅人向けの水場と厩舎もある。村よりは人の出入りが多く、荷車も何台か停まっていた。
だが、入口のあたりで妙な人だかりができている。
「止まってるな」
エルナが言う。
近づくと、理由はすぐにわかった。荷車が一台、街道の真ん中で斜めに止まり、後ろの荷車が詰まっている。御者らしい男が何人かで押しているが、びくともしない。馬は苛立って鼻を鳴らし、周囲の旅人たちも困り顔で様子を見ていた。
「車輪か」
俺が呟くと、セルドが小さく息を吐いた。
「嫌な予感しかしませんね」
「同感だ」
人混みをかき分けて近づく。荷車は見た目には大きく壊れていない。車輪も割れていないし、車軸も折れていない。だが、右後輪だけが不自然に沈み込み、押しても引いても動かないらしい。
御者の男が汗だくで叫ぶ。
「くそっ、さっきまで普通に動いてたんだぞ!」
「どけるだけでも手伝え!」
「手伝ってるだろうが!」
苛立ちが周囲へ伝染している。こういう空気はよくない。焦って無理に動かせば、今度は本当に壊れる。
「離れろ」
俺が言うと、御者の男が振り返った。
「は?」
「無理に押すな。余計に噛む」
「噛むって……お前、何がわかる」
「壊れ方が見えてる」
男は露骨に怪訝な顔をしたが、エルナが一歩前へ出ると、それ以上は言わなかった。剣を抜いていなくても、あいつが本気で立っているだけで大抵の人間は黙る。
俺はしゃがみ込み、問題の車輪へ手を当てる。
やはりだ。
車軸の金具の奥に、黒いざらつきが入り込んでいる。村で見た荷車と同じだ。ただし、こちらはまだ軽い。完全に壊される前の段階。だからこそ、今なら戻せる。
「セルド」
「ええ、見えます。黒い粉ですね」
「布を」
受け取った布を指に巻き、金具の隙間へ差し込む。ざらり、と嫌な感触。木と鉄の間に、本来あるはずのない抵抗が噛んでいる。これが回転を殺していた。
御者が半信半疑の声を出す。
「それで直るのか?」
「黙って見てろ」
粉を掻き出し、軸の位置を少し戻す。歪みはまだ浅い。なら、力任せじゃなく順番だ。噛んでいるものを外し、流れを戻し、最後に荷重を逃がす。
「押すなよ。俺が言ったら少しだけ引け」
「……わ、わかった」
周囲の視線が集まる。宿場の入口で、見知らぬ余所者が荷車をいじっているのだから当然だ。だが、今は気にしない。
「今だ。少しだけ」
御者と後ろの男たちが慎重に引く。ごり、と鈍い音がして、車輪が半寸だけ戻る。
「もう一回」
今度は、す、と動いた。
車輪が回る。
一瞬遅れて、荷車全体がまっすぐ立ち直った。
「……動いた」
御者が呆然と呟く。
「動いたぞ!」
後ろの男が声を上げると、周囲がざわめいた。さっきまで押してもびくともしなかった荷車が、今は軽く前へ進む。馬も落ち着きを取り戻し、鼻を鳴らして足を踏み直した。
「なんだ今の」
「車輪、壊れてなかったのか?」
「いや、でも止まってたぞ……」
ざわめきの中、御者が俺を見る。
「お前、何したんだ」
「壊れる前に戻しただけだ」
「だけって……」
言葉を失っている。無理もない。見た目には何も変わっていないのに、動かなかったものが動いたのだから。
そのとき、宿場の奥から年配の男が慌てて出てきた。番頭か、管理役か。人だかりを見て飛んできたらしい。
「何事だ! また車輪か!?」
“また”という言葉に、俺とセルドが同時に反応する。
「また?」
セルドが問うと、男ははっとした顔をした。
「あ、いや……最近、この手の足止めが多くてな。車輪が急に噛む、馬が進まなくなる、御者が足を痛める。最初は整備不足かと思ったが、どうにも変なんだ」
やはりここでも起きている。
俺は荷車の軸から掻き出した黒い粉を布に包み、男へ見せた。
「これに見覚えは」
男は目を細める。
「煤か泥にしか見えんが……」
「そう見えるなら厄介だな」
エルナが周囲を見回す。
「他にも止まってる荷車はあるか」
「厩舎の裏に一台、朝から動かんのがある。あと、御者が足を引きずってるやつも二人ほど……」
そこまで聞いて、俺の中で何かが繋がった。
村で見たのは、壊された結果だった。
林道で見たのは、流通の痕跡だった。
そして今ここで見たのは、壊れる“手前”だ。
つまり、これは止められる。
全部を一気には無理でも、壊れ方が浅いうちなら、戻せる。村でやったことは、村だけの話じゃなかった。
セルドが低く言う。
「最初の宿場でこれですか」
「ああ」
俺は立ち上がり、宿場の奥を見た。厩舎、荷車、水場、旅人たち。どこも一見普通だ。だが、普通に見えるまま壊れていく。それがこの異物の厄介さだ。
「なら、ここで一つ答えを掴める」
「答え?」
エルナが問う。
「異物は、壊すためだけに撒かれてるんじゃない」
俺は布に包んだ黒い粉を握る。
「流れを止める場所を選んでる。道、荷、足、人。動くものを順番に噛ませてるんだ」
セルドの表情が引き締まる。
「物流そのものを殺すために」
「たぶんな」
村の結界柱も、井戸も、工房もそうだった。全部を爆発させるんじゃない。目立たない場所を少しずつ壊し、気づいたときには全体が動かなくなっている。これは破壊というより、機能不全の設計だ。
その理解が腹に落ちた瞬間、不思議と迷いが消えた。
王都へ向かうのは、ただ証拠を届けるためじゃない。
この壊れ方そのものを止めるためだ。
「厩舎の裏の荷車も見る」
俺が言うと、宿場の男が目を丸くした。
「見てくれるのか?」
「その代わり、最近足を悪くした御者も集めろ。水場の周りも触るな。黒い粉が混じってるかもしれない」
男は一瞬ぽかんとしたあと、慌てて頷いた。
「わ、わかった! おい、誰か呼んでこい!」
周囲が一気に動き出す。さっきまで立ち往生していた空気が、今度は別の熱を帯びて流れ始めた。
エルナが俺の横で小さく笑う。
「村を出たばかりで、もう仕事を増やしたな」
「見つけた以上、放っていけるか」
「だろうな」
セルドも珍しく否定しなかった。
「むしろ好都合です。王都へ着く前に、事例を増やせる」
「役人らしい言い方だ」
「事実です」
だが、その事実は悪くない。
村で直した火は、村の中だけの火じゃなかった。
井戸も、柱も、林道も、全部ここへ繋がっている。
そして今、宿場の入口で止まっていた荷車が再び動き出したように、俺たちの旅もただの移動ではなくなった。
壊れたものを見つける。
壊れ方を見抜く。
直して、次へ繋ぐ。
それが俺のやることだ。
宿場の奥で、また別の荷車の軋む音がした。
俺はそちらへ向き直る。
王都への道は、もう始まっている。
そしてその道の上で、修復師として掴むべき最初の答えも、確かにここにあった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
村を出て、ここから少しずつ世界が広がっていきます。
ただ、やることの芯は変わらず、レインは「壊れたものを見抜いて直す」ことで前に進んでいきます。
次回は宿場で見えてきた異常を、もう少し掘っていく流れになります。
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