第12話 修復師は、村を守るために旅に出る
出立の朝は、思っていたより静かだった。
夜明け前の空はまだ薄青く、村の屋根には朝露が残っている。工房の煙突からは細い煙が上がり、井戸のそばにはもう水桶が並んでいた。誰かが起きて、火を見て、水を汲んでいる。それだけのことが、数日前のこの村にはなかった。
炉の前にしゃがみ込み、俺は灰の下の炭を確かめる。火は生きている。昨夜のうちに薪の置き方をトーマへ教えておいたが、ちゃんと空気の通り道を残していたらしい。赤い芯が、静かに息をしていた。
「消えてないだろ」
後ろから、少し得意げな声がする。
振り返ると、トーマが胸を張って立っていた。眠そうな顔はしているが、起きたばかりではない。たぶん、かなり早くから火を見ていたのだろう。
「ちゃんと見たな」
「当たり前だ。任されたんだから」
その言い方に、思わず少しだけ口元が緩む。
工房の外では、ガドが荷の確認をしていた。旅支度といっても大げさなものじゃない。水袋、乾パン、干し肉、包帯、簡単な工具。俺の荷はもともと少ない。エルナは剣と最低限の着替え、セルドは書類と金、それに王都へ持ち帰る証拠の小箱を厳重に包んでいる。
ハルトとミナも起きていた。二人ともまだ本調子ではないが、昨日より顔色はいい。脚の重さも少し引いたらしい。完全に異物が抜けたわけではないが、少なくとも自分の足で立てる。
「本当に行くんだな」
ハルトが言う。
「ああ」
「なら、村のことは任せてくれ」
その言葉に、ガドが横から鼻を鳴らした。
「任せるのはいいが、無理はするな。お前らはまだ半分病み上がりだ」
「わかってる」
ミナが頷く。
「でも、水汲みくらいならできます」
「それなら十分だ」
村は、少しずつ人の手を取り戻している。俺一人が直したんじゃない。直したものを、誰かが守り、繋いでいくから意味がある。
工房の壁にもたれていたエルナが、空を見上げた。
「晴れるな」
「雨よりはいい」
「道の粉が舞いやすいかもしれない」
セルドが現実的なことを言う。
「それでも、足止めされるよりはましです」
相変わらず愛想はないが、最初に比べればずいぶん柔らかくなった。少なくとも、今はもう“王都の役人”として俺を連れていく顔ではない。同じものを見た者の顔だ。
出る前に、もう一度だけ結界柱を見に行くことにした。
村の南東、林の手前。朝の空気の中で、石柱は静かに立っていた。見た目は何も変わらない。だが、手を当てればわかる。沈黙していた流れが、細くても確かに巡っている。
「どうだ」
ガドが訊く。
「持ってる」
俺は答える。
「まだ弱い。でも、昨日より安定してる」
根元に残る異物はまだある。表面の傷も消えていない。完全な修復には時間がいる。だが、今すぐ崩れる状態ではない。村を出るために必要な最低限は、越えた。
トーマが柱を見上げる。
「帰ってきたら、これも全部直すんだよな」
「そのつもりだ」
「絶対だぞ」
「約束は軽々しくしない」
「じゃあ、絶対やるつもりで行け」
子どもの言葉にしては、妙にまっすぐだった。俺は少しだけ目を細める。
「……ああ」
林を抜ける風は、最初にここへ来た日より軽い。鳥の声も戻ってきている。村はまだ壊れたままだ。けれど、完全に沈んではいない。
戻る途中、東の畑にも寄った。応急修復した柵は、継ぎ目だらけのまま朝露を受けている。見栄えは悪いが、昨夜も持った。トーマが得意げに言う。
「朝、ちゃんと見た。緩んでるとこ、一本締め直した」
「勝手にやったのか」
「駄目だったか?」
「いや」
俺は柵の縄を指で弾く。締め方は少し甘いが、考えてやっているのがわかる。
「次は結び目をこっち側に回せ。雨で緩みにくい」
「……うん、覚える」
こうして一つずつ残していくしかない。全部を自分で抱えたままでは、どこにも行けない。
村の入口へ戻ると、見送りの村人たちが集まっていた。数日前まで、余所者を見る目をしていた人たちだ。今は違う。感謝だけじゃない。不安も、期待も、託す気持ちも混ざっている。
その視線を受けるのは、少し居心地が悪い。
ガドが前へ出る。
「レイン」
「なんだ」
「お前はこの村を救った、とはまだ言わねえ」
老人らしい言い方だった。周囲の村人が少しだけ苦笑する。
「まだ全部直っちゃいねえからな」
「そうだな」
「だが、お前がこの村を見捨てなかったのは、本当だ」
その言葉は、思っていたより深く胸に落ちた。
追放されたとき、俺に向けられたのは“もういらない”という目だった。ここへ来たときも、最初は似たようなものだった。だからこそ、“見捨てなかった”と言われる重みがわかる。
「帰ってこい」
ガドは短く言った。
「全部直しきる前に、どっかでくたばるな」
「縁起でもないな」
「年寄りはこういう言い方をする」
少し笑いが起きる。重くなりすぎないようにしてくれたのだろう。
トーマが一歩前へ出た。
「おれ、待ってるだけじゃないからな」
「わかってる」
「井戸も、火も、柵も見る。ハルトたちともやる。だから帰ってきたとき、ちゃんと驚けよ」
「驚けるくらいやれ」
「言ったな」
悔しさと意地と、少しの誇らしさが混じった顔だった。たぶん、こいつは本当にやる。
ハルトとミナも頭を下げる。
「助けてもらった恩は、村で返す」
「王都で何が起きてるのか、確かめてきてください」
「ああ」
セルドが小箱を抱え直す。
「そろそろ出ましょう。日が高くなる前に林道を抜けたい」
「急かすな」
「急かしているのではなく、現実的な提案です」
「同じだ」
エルナが小さく鼻で笑った。
「いつもの調子に戻ったな」
「最初からこうだ」
「違いない」
村の外れまで歩く。背後で、井戸の桶が鳴る音がした。工房の炉も、きっとまだ燃えている。東の柵も、朝の光の中で立っているだろう。
村の境で、俺は一度だけ振り返った。
大きな村じゃない。立派な城壁もない。結界柱だって傷だらけだ。井戸も工房も、ようやく息を吹き返したばかりだ。けれど、ここには今、守るべきものがある。
だから行く。
ここを離れるためじゃない。
ここを守るために、もっと遠くまで手を伸ばすために。
「行くぞ」
俺が言うと、エルナが隣に並び、セルドが一歩後ろにつく。
南の林道は、まだ完全にはきれいじゃない。黒い粉の気配も残っている。だが、昨日までとは違う。何が壊れているのか、どこへ繋がっているのか、少しずつ見えてきた。
村を守るために、王都へ行く。
その決意を足元に置いて、俺たちは林道を進み始めた。
背後から、トーマの声が飛ぶ。
「レイン!」
振り返ると、少年は村の入口で両手を口に当てていた。
「今度帰ってきたら、結界柱の直し方も教えろ!」
思わず、少しだけ笑う。
「順番を覚えたらな!」
「覚える!」
その返事を最後に、村の姿は木々の向こうへ隠れていった。
工房の火も、井戸の水も、結界柱の息も、今はもう俺一人のものじゃない。
だからこそ、次に直すべきものを止めに行ける。
道は王都へ続いている。
壊れたものの根へ向かう道だ。
そしてたぶん、追放された俺自身の居場所へも。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
村編は今回で一区切りになります。
井戸や工房、結界柱を直しながら、少しずつ村に居場所を作っていく流れを書いてきましたが、ここからは舞台を王都へ移して、物語も少しずつ広がっていきます。
村で起きていた異変が、外で何に繋がっているのかも見えてくるはずです。
レインたちの旅を、この先も楽しんでもらえたら嬉しいです。
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