第11話 村を守るために、王都へ行くと決めた
荷車から回収した小箱は、思ったよりずっと重かった。
木箱そのものの重さじゃない。中に詰められた黒い細片と、それが意味するものの重さだ。王都の補給局へ向かう荷に、結界柱を壊し、人の身体を蝕み、獣を狂わせる異物が混じっていた。しかも配送先の符号は、第三結界柱の管理区画に近い。
村へ戻る道すがら、誰も軽口を叩かなかった。
エルナは周囲を警戒しながら歩き、セルドは手帳を握ったまま何度も小箱へ視線を落としている。見張り役の村人も、商人の男を連れて歩きながら、顔を強張らせていた。男は逃げる気力もないらしく、うなだれたまま足を引きずっている。
村の入口が見えたとき、工房の前で待っていたトーマが真っ先に駆けてきた。
「どうだった!? 何があった!?」
勢いよく言いかけて、俺の手の中の布包みと、連れてきた商人の男を見て言葉を止める。
「……見つかったのか」
「ああ」
それだけ答えて工房へ向かう。トーマもすぐ後ろについた。さっきまでの子どもっぽい勢いは消え、空気を読んで黙っている。こういうところは助かる。
工房の中では、ハルトとミナが起き上がっていた。まだ顔色は悪いが、さっきよりはしっかりしている。ガドも炉の前で待っていた。俺たちの顔を見た瞬間、ただ事ではないと悟ったらしい。
「見つけたか」
「見つけた」
作業台の上に布包みを置く。隣に、荷車から回収した王都印の小箱も並べた。セルドが無言で頷き、俺が蓋を開ける。
黒い細片が、工房の火を鈍く吸い込んだ。
トーマが息を呑む。ミナは思わず兄の袖を掴み、ガドの顔から表情が消える。商人の男は視線を逸らした。
「これが……」
ガドの声は低かった。
「結界柱に刺さってたのと同じだ」
俺は答える。
「狼の脚にも、人の身体にも、道にも混じってた」
セルドが紙片を広げる。
「そして、この配送符号は王都の第三結界柱管理区画に近い場所を示しています」
工房の空気が、さらに重くなる。
トーマが信じられないものを見る顔で箱を見つめた。
「じゃあ、村だけじゃなかったのか」
「最初からその可能性はあった」
俺は黒い細片を見下ろした。
「でも、これで確定に近い」
ガドが商人の男を睨む。
「お前、どこまで知ってた」
男は肩を震わせた。
「全部じゃない……本当に、全部じゃないんだ。ただ、検めを避けろって言われて、脇道へ入って……車輪が急に噛んで、馬が暴れて……」
「誰に言われた」
「商会の上だ。名前を出しても、俺みたいな運び手じゃ切られるだけだ……!」
情けない声だった。だが、末端の人間が全部を知っているとは思っていない。問題は、その“上”がどこまで繋がっているかだ。
セルドが静かに言う。
「王都へ連れていく必要があります」
ガドがすぐに反発する。
「王都へ行って、それでどうなる。こいつ一人差し出して終わりか?」
「終わりではありません。ですが、証拠と証言は必要です」
「必要なのはわかる。だが、その間にこの村はどうなる」
もっともな言葉だった。
工房の炉が、ぱち、と鳴る。火は生きている。井戸も戻った。畑の柵も昨夜は持った。結界柱も少し息を吹き返した。だが、全部“少し”だ。まだ完全じゃない。俺がいなくなったあと、また何か起きたらどうするのか。その不安は、ガドだけじゃなく、ここにいる全員が抱えている。
トーマが小さく言った。
「……行くのか」
その問いは、俺に向けられていた。
工房の中が静まる。エルナも、セルドも、ガドも、ハルトもミナも、みんな答えを待っている。
俺はすぐには口を開かなかった。
村に残れば、目の前の壊れたものは直せる。結界柱の残りの異物も、時間をかければ抜けるだろう。林道の粉も、少しずつ処理できるかもしれない。だが、それは流れてくる元を止めない限り、終わらない。
井戸を直しても、また壊される。
柱を戻しても、また異物が届く。
人を助けても、道そのものが汚れていれば次が来る。
それは修復じゃない。延命だ。
「……結界柱を見る」
まずそう言った。
ガドが眉をひそめる。
「今からか」
「ああ。今日のうちに、どこまで戻せるか見ておきたい」
王都へ行くにしても、村を最低限守れる状態にしてからだ。そうでなければ、ただ見捨てるのと変わらない。
エルナが頷く。
「私も行く」
「当然だろ」
「言質を取った」
「取ってない」
短いやり取りに、少しだけ空気が緩む。だが、すぐにまた張り詰めた。
俺たちは工房を出て、南東の結界柱へ向かった。今度はトーマも連れていく。危険はあるが、村に残して不安だけ抱えさせるより、見せたほうがいいと思った。ガドも来る。セルドは記録役だ。ハルトとミナ、それに商人の男は村に残した。まだ動かすべきじゃない。
林の中の結界柱は、昨日より少しだけ空気が通っていた。
石の表面に手を当てる。弱いが、返事がある。完全な沈黙ではない。二本抜いたことで、柱はようやく“生き返りかけている”。
「どうだ」
ガドが訊く。
「昨日よりましだ。でも、まだ足りない」
根元を掘り返した場所には、まだ黒い影が残っている。深く食い込んだ異物が二本。表面の紋様にも細い傷。全部を今日中に直すのは無理だ。だが、村を離れる前に、せめて“崩れない状態”までは持っていきたい。
「一本だけ抜く」
俺は言った。
「深いほうじゃなく、浅いほうから。流れを安定させる」
トーマが木べらを差し出す。もう何を渡せばいいか覚えている。ガドは土を払い、セルドは記録の準備をする。エルナは周囲を見張りながら、必要なときだけすぐ手を貸せる位置に立った。
作業は、昨日までより慎重だった。
柱の流れは少し戻ったぶん、触れれば反応も返ってくる。だからこそ、乱せば揺り返しも大きい。異物の周囲の土を崩し、石との境目を探り、流れの筋を避ける。木べらの先に伝わるざらつきが、嫌でも神経を削る。
「……ここだ」
釘抜きをかけ、ゆっくり力をかける。
ぎ、と石が鳴る。止める。角度を変える。もう一度。少し動く。さらに少し。汗がこめかみを伝う。昼を過ぎた林は涼しいはずなのに、指先だけが熱い。
やがて、異物が抜けた。
その瞬間、柱の紋様が淡く光り、今度は根元から上へ細い線が走った。昨日よりはっきりした反応だった。
トーマが声を上げる。
「上まで……!」
「静かに」
エルナが言うが、彼女自身も目を細めて柱を見ている。
風が抜けた。林の葉がざわめき、遠くで鳥が鳴く。昨日まで重く沈んでいた空気が、少しだけ軽くなる。
俺は柱に手を当てたまま、流れを確かめた。
「……これで、急には落ちない」
ガドが深く息を吐く。
「持つか」
「しばらくは」
「しばらく、か」
「完全に直したわけじゃない。でも、井戸と工房と合わせれば、村の息は繋がる」
それが今言える、いちばん正直な答えだった。
林を出て村へ戻るころには、俺の中でも答えは固まっていた。
工房へ戻ると、炉の火はまだ安定していた。ハルトとミナは水汲みを手伝おうとして、村の女に座っていろと叱られている。商人の男は隅で小さくなっていた。
ガドが炉の前で振り返る。
「で」
短い一言だった。
俺は作業台の上の小箱を見た。黒い細片。王都の符号。村の柱。林道の粉。全部が一本の線で繋がっている。
「王都へ行く」
トーマの肩がびくりと揺れる。ミナが息を止め、ハルトは静かに目を伏せた。セルドは何も言わない。ただ、その言葉を待っていた顔だった。
ガドだけが、じっと俺を見る。
「村を捨てるんじゃねえな」
「捨てない」
俺ははっきり言った。
「ここに残って直し続けても、流れてくる元を止めなきゃ終わらない。村を守るために、王都へ行く」
言葉にしてみると、不思議なくらい迷いが消えた。
そうだ。これは村を離れる話じゃない。村を守る範囲を広げる話だ。
エルナが壁にもたれたまま口を開く。
「なら、私はついていく」
「止めても来るだろ」
「当然だ」
セルドも続ける。
「私も同行します。もともとそのために来たのですから」
「知ってる」
トーマが唇を噛む。
「おれは」
その先を言う前に、ガドが肩へ手を置いた。
「お前は村だ」
トーマは悔しそうに顔を歪めた。だが、泣きはしない。
「……わかった」
その返事に、少しだけ成長が見えた。
俺はトーマの前に立つ。
「井戸を見ろ。工房の火を絶やすな。東の柵も毎日見ろ。何かあったら、順番を考えろ」
「順番……」
「全部いっぺんには直せない。だから、何から守るか決める」
トーマは何度も頷いた。たぶん今の言葉は、ただの留守番の指示じゃない。この村で俺がやってきたことの、いちばん大事な部分だ。
ハルトが静かに言う。
「俺たちも、動けるようになったら手伝う」
ミナも頷く。
「助けてもらったままじゃいたくない」
「無理はするな。でも頼む」
ガドが腕を組み、最後にひとつだけ確認するように言った。
「いつ出る」
「明日の朝」
セルドが小さく息を吐く。ようやく予定通りになった、という顔だ。だが今は何も言わない。たぶん、今の決断が“役所の都合”ではなく“村のため”から出たとわかったからだろう。
工房の炉が、低く安定した音を立てている。
井戸の水は戻った。
火も戻った。
結界柱も、まだ不完全だが息を吹き返した。
村は、かろうじて自分の足で立てるところまで来た。
だから次は、その足元を壊し続けるものを止めに行く。
村を守るために、王都へ行く。
その決断だけは、もう揺らがなかった。




