第8話 既知の怪異
弘人が口にした現実は、正直勘弁してもらいたいものだった。
序盤でいきなり不具合だらけのラスボスと対面させられたような、やるせない絶望感。やるかたない世の中の不条理。
だが、これはゲームじゃない。理不尽でも生き残るしかないブラックなサバイバルだ。
「そういうのに詳しい先輩から聞いた話、どうも最近になってやたらと噂が増えたらしくてさ。俺が調べた去年の夏ごろに比べて、内容もずいぶん様変わりしてるっぽいんだよ」
「増えた? 七不思議なのに?」
「あぁ。だからもう七不思議ってか、事件やら問題を面白おかしくでっち上げた、ただの学園怪談だな」
「まぁ、イマドキ伝統なんて虫の息ですしねー。若者の自己顕示欲と相性悪いですから」
虫の息。今日もどこかで、ひっそりと死に絶えていく、『古き良き』と呼ばれていた何か。重んじられていたものが現代では軽んじられ、塗り替えられていく。それが時代の趨勢だとしても、汐遠の言葉には一抹の哀愁があった。
「七不思議なんて、語り継ぐべきかどうかは疑問だろ。むしろいらないまであるわ。なんで増やすんだよ意味わかんねぇ」
こと怖いものに対しては、完璧なまでに否定的な弘人は、大層ご立腹なようだ。
「旧校舎だけじゃなく新校舎に体育館、校庭まで怪談だらけだぞ」
「冗談だと言ってくれ……節操がないにもほどがある」
眩暈がしてきた。
なんだそれは。そんなの、学園内に安全な場所がないじゃないか。
「例えば、どんな話があるんですか?」
「当たり障りないやつだと『六月の謎スイカ』とか『素敵な自販機』だな。校庭の隅に毎年六月になると現れる、断面が血のように赤いスイカ」
「やばっ!……ホントに怖くもなんともないですね」
汐遠がネタの寒さに身震いする。僕も同感だ。
「まあ、スイカは実話なんだけどな。人知れず用務員さんが育ててただけで、内緒にしろって俺たちがご馳走になったってオチだが」
「美味かったな、あのスイカ」
「囮先輩。命の危険、あります?」
汐遠から冷たい視線が飛んでくる。
「実際のとこ、大半はこんな感じだぜ? 『新校舎の青空教室』なんて話に至っては、優しく相談にまで乗ってもらえるそうだ」
調査……必要なんだろうか?
「でも――ヤバそうな噂もちゃんとある」
おちゃらけた雰囲気から一変、弘人が真面目な顔になった。
「しかもヤバい噂だけで七つを超えてる。ただ、すまんけどどれが定着した『本物』かは分かんねぇ」
「……それで構わない、教えてくれ」
「ちょっと待ってな。全部メモってあるから」
そう言いながら弘人は、ポケットからメモ帳を取り出した。肌見放さず持ち歩いているらしいところから、弘人の本気が窺える。よほど関わりたくないのだろう。
「いくつか最新の話に更新できてないのもあるが……ヤバそうな噂の代表格は『旧校舎の窓から手を振る女子生徒』。あと『更衣室のとうさつ魔』だ」
「は? 盗撮魔?」
汐遠が冷ややかな声を漏らす。女子として、その名称は聞き逃せないのかもしれない。
「それってただの犯罪者じゃないですか」
「字が違うのよ。盗み撮るんじゃなくて、盗んで殺す。まず一人で更衣室に入るだろ? んで、全裸になると殺されて、服を盗まれる。だから盗殺魔」
「うわ、それなんか最近の噂っぽい。名前の付け方が変に小賢しくてキモいし。考えたヤツ絶対根暗ですね」
「囮ー、この子案外口悪いぞー」
「気づいたか。僕はとっくに知ってたよ」
これは……心配する必要はない、か?
条件が明確で、しかも状況が特殊すぎる。水泳部でもない限り、更衣室で全裸になることなんてないだろう。
「三つ目は『下駄箱の赤い長靴』。雨の日に旧校舎の下駄箱から長靴が消えて、黄色いレインコートのバケモンが徘徊する。そいつに見つかった生徒は行方不明だ」
あぁ、不味い。最も危惧していた、『自由に動ける怪異』だ。雨の日という条件があるにしても、危険度がまるで違う。優先して確認するべきかもしれない。
「四つ目は『体育倉庫の熱血キャプテン』。それから『異世界校舎』に『理科室の横取り人体模型』……んで、七つ目が『飛び降り自殺の叶恵さん』だ」
叶恵さん――その名に僕の眉が跳ねる。
「あ。七つ目、あたしも聞いたことあるかも。どんな話でしたっけ?」
「昔イジメられた女子生徒が屋上から飛び降りて、そっから校舎内を彷徨うようになった。彼女を目撃すると、道連れにされるヤバいやつらしい」
それは誤解だ。
見当違いな噂の言われようである。僕の知る彼女は、そんな理不尽な害をなす怪異ではない。だって彼女はむしろ――――
「あ――――」
汐遠が目を見開き、小さく声を漏らす。彼女の視線は、弘人の隣の空席に向けられていた。
「ほうほう。私のお話ですか?」
呑気な声とともに、彼女はそこにいた。はじめからそこに座っていたかのように溶け込んで。
僕らと同じ制服だが、着ているのは三年生を表す赤ネクタイの冬服。黒髪のボブカットに、整った知的な顔立ちの綺麗な女性。
惜しいのはただ一点。
頭からダラダラと血を流し、顔の半分を真っ赤に染めてさえいなければ、普通の先輩に見えたのに。
「え? なに? なんなの二人して?」
僕らの視線に気づいた弘人が一人で怯え始める。
「……囮先輩」
「彼女は汐遠にも視えるんだな」
彼女こそ旧校舎の少女と同じく、僕が確認するまでもない既知の七不思議の一つ。
――――『飛び降り自殺の叶恵さん』である。




